渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ナイスデイ

2023年04月09日 | open















走りがいのある一日だった。

小説『武装警察 第103分署』(鷹樹烏介)

2023年04月09日 | open
 


東京湾岸地区。
東京大震災以降、そこは塀で
仕切られた「犯罪特区」だった。
極悪犯罪者たちが巣食うその地
に、日系アメリカ人の刑事が
来日して赴任した。
彼は愛銃コルトSAAをガンベ
ルトから抜いて撃ちまくる。
痛快アクション小説。
 
刑事がピースメーカーだと(笑
あほか?きさーん!
なんか?それは!
でも、面白いけど(笑
まるで1960年頃の日活無国籍映
画みたい。
『俺の故郷は大西部(ウエスタン)』
(1960)なんてしどかったよ。
アメリカから日系人のワイアット・
アープの子孫が来日して、クラン
トンの子孫と決闘するの(笑
で、使うのはSAAもどき。
それが右側にスイングアンドす
んだな、これが(笑
多分、お笑い漫画『ドーベルマン
刑事』のシングルアクションの
スイングアウトは、この映画を
観ていた作者の脳裏に刷り込ま
れたのかも知れない。カット割
までそっくりだったから。
これは、ちょいとしたコアネタ
だぜ(笑
なんせ、珍作『ドーベルマン
刑事』は、シングルアクション
リボルバーのシリンダーがスイ
ングアウトしたり、素っ裸で犯
人の前に出る時に肛門に拳銃
隠していたり、荒唐無稽に
も程
があるからだ。都市伝説の
『恐
怖の青リンゴ』じゃないん
だか
らさ。
 


 

撞く

2023年04月09日 | open
 


 
昨日の稽古会では、相手は連続
マスワリするも、私も粘張り
強く
頑張ってよく入れた。
結果、ナインボール(1990年代
テキサスルール)5ラック先取り
7セットマッチで、総合の
セットウント5-2で私の勝
ち。
私もかなり入れ倒した。
タップの状態が良い時期に入っ
ので、とてもよく狙い通り
動き出す事ができた。
うまく
行った。
ただ、どうしても5連続マスワリ
(45球ノーミス全落とし)が出
ない。
ブレイクとっても大切です(笑
ブレイクして、綺麗に割れて、
見えた玉(大体残り8個〜5個)な
全てまずワンキューで互い
に取り切る。ブレイクこそが
命だ。
私のほうが相撞きの人より遥か
にブレイクが下手だが、私のほ
うが激薄玉カットと手玉の任意
移動はよく撞ける。一般玉
ドローでもギュイギュイ
引く。
キュー切れは私のほうがやや勝
る。
プレースタイルは二人とも全く
同じで、どちらもしなやかに撞
いてキューを切らせて行く
プ。
 
スコア上の勝ち負けなどはどう
でもいい。公式戦ではないのだ
から。
真面目な玉をきちんと撞けたか
どうかが極めて重要だ。
その点では、昨日の稽古会では
二人とも良い展開だった。
平凡な平玉は地道に確実に。
難球も見ていて「うお!」とい
う超絶技法のナイスショット
互いに繰り出して取り切って
た。録画しとけば良かった、と
いう感じで(笑
クリーンなビリヤードは、やっ
も見て
いても楽しい。
 

殺陣師 林邦史朗

2023年04月09日 | open
 

林邦史朗先生。
(1938-2015)
 
NHK大河はじめ多くの映像作品
で殺陣師として殺陣や武術やア
クション演出を担った第一人者。
歌舞伎のような芝居がかった剣
劇ではなく、リアルな殺陣を歴
史の中で確立させた人。
 
斬鉄剣小林康宏の関係で、私は
林先生とは個人的に付き合いが
あった。ご自宅にも泊めてもら
ったりもしていた。
ある案件で困っている時、私が
職場の弁護士を紹介した。
林先生はスズキのバンデット
250に乗って来訪した。緑の。
「都内はこれが一番速い」と
笑顔を見せながら。
林先生は二輪乗りだった。
忘年会や普段見せる笑顔はナイス
スマイルの人で、お人柄もとても
いい。仕事の時のキッとした感じ
とまるで違う。奥様も笑顔が素敵
な方で、笑顔に包まれた明るいご
家庭だった。
林先生と個人的に付き合うと気づ
く事があった。
それは、見抜きに非常に長けてい
た人だった事だ。識別眼がとても
鋭い。これは何についても。
どんな事でも理解をうやむやにせ
ず、明確な認識をする方だった。
それと、記憶力が半端なかった。
普通の人ではない。
私は林先生は、仕事は映像作品
製作と劇団主宰ではあるが、武
術者が真の姿だと感じた。武芸
者だ。役者でもあったので、一
刀流の小野忠明役も武田信玄役
もNHK大河で演じた事もあった
が、剣士役などは剣術者そのも
のだった。
プライベートでの日常会話は東京
町育ちらしく、調江戸弁
の人
だった。喋り方がスパッと
して
いて気持ちがいい。
 
一度、林先生が所蔵される真剣
刀剣類を全て見せてくれた事が
あった。全部拝見するのに何時
間もかかった。
美術刀剣愛好家たちからしたら
眉をひそめるかもしれない。
林先生は歴史的な銘刀だろうと
全て切っていた。
「すべて切ってますね」
と私が言うと、林先生は、
「だって、私は刀は刀だと思う
から」(ママ)
と答えた。
然り、であると感じた。
 
終電に乗って下りた私鉄駅の駅前
で、二人ですすった屋台ラーメン
の味が忘れられない。
「うちに泊まっていきなよ」と
林先生が誘ってくれて来た初めて
の町での駅前屋台ラーメンだった。
日本の映像作品の歴史に大きな
足跡を残した林邦史朗先生は、
2015年に残念ながら病気で他界
した。良人がまた一人鬼籍に入
った。
時代劇などの武術演技指導は、
先生の後進がしっかりと今担っ
ている。