ふと思った事だが。
山本のタロサが「れいわ新
選組」という政党名を命名
したのは、「日本維新の会」
の「維新」の対抗勢力になら
んとした意味合いもあった
のではなかろうか。
1867年~1868年頃の時代背
景を念頭において。
現実的な歴史では日本におい
て「維新」などは一度も起き
てはいない。
幕末東西戊辰戦争は、毛利が
関ヶ原の恨みを晴らすためだ
けの無益な人殺しを敢行した
内戦だった。
天皇を警護する大任を任じて
いた会津中将が「賊軍」であ
るなどという、とんでもない
捏造でっち上げが日本人の歴
史にあってよい筈がない。
恭順の意を示し、大政奉還ま
でしている幕府と東日本の
列藩を「賊軍」とし、どうし
ても血祭りにあげる為の人殺
し殺りく戦を毛利が実行した
かっただけだ。
戦死した反「新政府」軍の武
士の遺体は弔う事も厳禁とし、
野に晒された遺体は烏がつつ
き野犬が食い散らかし、腐臭
はあたり一面を覆い、凄惨な
状態を関東以北で「新政府」
軍は作った。弔おうとする
庶民には厳罰を命じた。
それが武士のやる事かという
以前に、もはや人間のやる事
なのかという日本人としての
醜態を曝したのが「新政府」
軍だった。
天皇を新たに作り上げ、それ
を機関としてもち上げる神輿
にして倒幕と追撃戦は西軍に
よって実行された。
「明治維新」が仮にあったと
したら、その真相の実態は歴
史に残る大逆事件だ。
事実上、天皇親政などは実現
されておらず、実権は長州閥
が完全掌握した。
伊藤博文があらたに据えた明
治新天皇に対しても、いい気
になるなと侮蔑的言動を為し
た事にも歴史の闇が表出して
いる。
本当に天皇親政だったならば、
天皇は日中戦争、太平洋戦争
の戦争責任を問われて死刑に
なるべきだっただろう。
だが、天皇は機関でしかなか
った。
国民感情を勘案してとかでは
ない。
GHQはそれを見抜いていた。
なぜならば、幕末時に彼らが
日本の実効支配をどうするか
方策を巡らして資金支援まで
していた政治的軌跡は、彼ら
自身が一番よく知っていたか
らだ。
幕末戦争のあの潤沢な資金は
どこから出たのか。
倒幕サイドの資金繰りとどこ
からの武器供与、抵抗戦線た
る幕府東国列藩の資金ぐりと
どこからの武器供与。
米英と仏の当時の覇権争いの
図式がそのまま日本列島に持
ち込まれ、それを利用した者
たちによって幕末戊辰東西戦
争は遂行された。
寝ぼけまなこが150年以上続い
ている現代日本人にはそれが
解るまい。
Wシリーズとしてのライン
ナップだが、実質的には
エストレヤの後継機種の
ポジションだろうなぁ。
ライトウエイトモデルとし
て走行実力がいかようか注
目したい。
見た目まるっきり、とっつ
ぁんバイクなので、1970年
代少年は食指はそそられな
いが。
ピクリ!とするとしたら、
2ストF4サイドワインダー
のようなカワサキだ。
売りに出されていたこの個体
は、所ジョージさんのところ
に下宿しに行った。
所さんに何台もカワサキ2スト
を納車している広島県呉市の
このショップ、やはり最高に
良い。
1975 YZ125
ジェネレーターキット取り付け
ぐはぁ!出た!
新しい乗り物スノースクート。
ありそうでなかった新たな雪
上の乗り物。
これ、めちゃくちゃ乗りたい。
でも、スノボのほうが面白い
だろな。
知らんけど。
現在、新車では取得不能な
原付2種の黄色ナンバーと
いうのは、本当に貴重だ。
不確かな記憶だが、1975年
秋あたりに黄色ナンバーが
導入されたような記憶があ
る。
そして、その法改正以前の
登録は同じ1975年以内の
90ccだろうと、先行的に誕
生させた125ccピンクナンバ
ーと同じピンクナンバーだっ
た、という記憶がある。90
だろうとピンクナンバーの
時代。
私が初めて公道で1976年に
乗ったカワサキMS90は当時
は形が四角が一般的なのに珍
しい台形型でかつ桁数の多い
ナンバーだったが、1学年上
の4月生まれのイトコから譲
り受けた90バイクのナンバー
は八王子市ナンバーだった。
そのプレートはピンクだった
と記憶している。
その後、友人が新車で原付2
種を購入登録したら黄色ナン
バーだったので、「これ何?」
と尋ねた記憶がある。
記憶なので不確かであるから
確定事項としては断言できな
の黄色プレートは1975年から
後の時代にピンク制定のあと
から誕生したのではなかった
ろうか。
新原付として低出力の125を
現行原付1種と同じ扱いにす
る新法が2025年からスタート
する。
排気量区分けが従前の概念と
は異なるので、法改正をして
新原付125(実質原付1種)は
白ナンバーのままかも知れな
い。今警察は法改正の調整
協議の大詰め段階あたりだ
ろう。新原付のナンバーの色
についてはまだ未発表だ。
たぶん、新原付は原付1種に
編入する、という趣旨で法が
まとまるのではなかろうか。
内実がそれであるので、原付
免許で125に乗れる、などと
色めき立ってぬか喜びするの
は事実誤認も甚だしい。
低出力新原付125は今の原付
1種50が排ガス規制により製
造できなくなるために便宜上
作る新制度でしかない。
中味は道交法上も全く今の
原付1種50と運行規則も性能
も変わらないのだから、新
原付125は現行原付1種の50
と同一なのだ。
現行法も、原付といっても、
51cc以上の90や125は道交法
上は小型自動二輪扱いなのだ
が、運送法では原付と呼称す
るやっかいな扱い。
ただ、原付1種と2種の登録管
轄は東京特別区や政令指定都
市の区役所、地方自治体の市
町村役場となり、扱いに1種
も2種も無い。
どうにもすっきりしない錯綜
しているのが50~125までの
二輪をめぐる法律構造となっ
ている。
道路の通行についても「原付
通行禁止」場所がどの原付を
指すのか、事前に調べないと
ならない。
都内に多くある「原付通行禁
止」の陸橋やアンダーパスは
50の原付1種のみの通行を禁止
している場所が多く、51~125
で通行するのは違反ではない。
だが、場所によっては同じ「原
付通行禁止」であっても、125
までの車両の通行を禁止して
いる場所もある。
事前によく調べないと大変だ。
中には神奈川県の道路のよう
に高架部分の本線は原付1種は
通行OKだが、その本線への
進入路は原付1種は通行禁止
という摩訶不思議な道路が
ある。結果として原付1種を
締め出しているような。
乗って走る時には、「原付」
と呼ばれる黄色ナンバー、ピ
ンクナンバーの原付2種であ
っても、軽車両=自動二輪と
同じ扱いとなる。当然免許も
自動二輪免許が無いと原付の
51~125バイクには乗れない。
だが、登録上は原付という枠
に入れている、という複雑な
ダブルスタンダードの法律。
日本における戦後の新法治国
家設立生成の過渡期の混乱が
生んだ二本立ての別解釈法律
が並立している、という法治
国家の未成熟で不完全な部分
を露出させているのが原付バ
イクを取り巻く日本の現実だ。
走る時には道路交通法。
車両の登録等については道路
運送車両法。
その両者において排気量によ
る区分けの概念規定と呼称が
異なっているのだ。
いかに民主主義法治国家とし
て未完成で未開の国であるか
がよくわかる。
将来的には法律の大改革をし
て、せめて呼称だけでも統一
したほうがいい。整合性を
得るためにも。
元々、この関係の法律は警察
が勝手に決めて立法化してい
たからこうなった。
東大卒業の官僚の縄張り意識
にがんじがらめの連中が作っ
た法律だ。
つまり、現状の現実のように
たかが知れている。精度と程
度が低い。
自己縄張り意識だけで作られ
た法に法的整合性や現実社会
の社会的適合性は存在しない。
現代交通社会の現実として、
二輪車の30km/h制限という
危険な状態を発生させている
のは時代に不適合な法律に
固執している警察の縄張り意
識が危険を増大させている。
社会通念として、それは善で
はないのだ。
法治国家としては未開の地が
日本というのがよくわかる。
日本は警察組織が統括支配し
ている警察国家だからだ。
民主主義の国ではない。
道交法や車両法は国会で内容
まで実質的に審議されるので
はない。全部警察が勝手に
作って勝手に法案通している
だけなのだ。無論国民全体の
意見を聞いたり、審議したり
はしない。御用学者たちを
学識経験者として多少忖度
意見を出させるだけだ。
そうしたやり方では、当然
にして出来た物の結果は、主
権在民の法治国家ではなく、
未開未発達の独裁者の国家と
同じになる。日本はそれ。
欧米に比較すると、やはり
とてつもなく交通社会構造
と意識が遅れているのが日
本の交通法規システムと社
会構造と国民性だ。
やはり、極東アジアの辺鄙
な田舎の島国の未開国なの
だろう。
一部の者にしか乗馬を許さ
ないため、馬車さえもあえ
て登場させなかった日本。
それどころか走る事も泳ぐ
事も禁じた。なので濠や川
に身投げしたらすぐに土座
衛門だ。江戸市中で荷車な
死罪だった。日本はそういう
交通を一部の人間が牛耳っ
て人民を支配した国だった。
何百年も。
それゆえ交通が千数百年も
発達しなかった国の末路が
今だ。人民に対しては支配
者は「お前らは歩いていろ」
だった。
いくら明治以降近代西欧国
家の仲間入りをしようと軍
備だけ進めて多少2度ほど
戦争に勝ったからと、完全
にのぼせ上った。
内実は日本は戦前も戦後も
未開国だ。
その端的な例が、交通に関
する法律体系に戦後ずっと
現れている。
原付1種が実質性能としても
交通の流れの安全確保の面
からも、実は普通四輪と同
じ速度、同じ右折で走行する
のが実質的な現代の安全で
あるのに、あえてそれをさせ
ないのは、「お前らは歩いて
いろ」と同じく「原付などが
車と同じ速度や右折などは
おこがましい。控えおろう」
という警察の役人意識が色濃
く反映されたものであると
断じる事ができる。
全く現実の交通事情には則し
ていない70年前の法規に今
でも警察が固執するのは、
オイコラ警官根性が今でも
法の中でわずかに生きてい
る残滓があるので、それに
拘泥しているのだろう。
非現実的で、実際には非常
に運行上危険。
だが、警察は一切現実的な
交通の良化を図ろうとはし
ない。
大切なのはメンツと体面と
権威でしかないからだ。
「お巡りさんは人を助ける
人」?
真実、そうあってほしいが、
現実はそうなってはいない。
構造的に、現実的に。
末端の真面目な警察官には
何一つ罪は無い。すべては
東大卒の警察官僚がやって
いる事だ。
結局、道交法等の立法骨子
の思想背景には、東大ヒエ
ラルヒーによる支配意識が
色濃く反映された法律=社
会の発展とは乖離した=を
国民に強いている、という
構造が頑強に存在している
のだ。
こうした根幹部分の指弾は
現在の自称二輪モータージ
ャーナリストたちは一切し
ない。
全員忖度野郎のおべっか提
灯持ちになり果てたからだ。
オール忖度メン。
だが、それはジャーナリスト
ではない。御用学者と同じ
ただの顔色伺いの太鼓持ち
でしかない。
メーカーと警察への忖度お
べっかヨイショ記事のみを
書いて売文し糊口をしのぐ
事しかしない。
とてつもなくダサくてカッコ
悪い。
私はインスタントラーメン
では「うまかっちゃん 博多
からし高菜風味」が一番好
きだ。
インスタントラーメン類では
小1の時に突然登場した「出
前一丁」でぶったまげた。
それまでチキンラーメンとい
うお湯かけインスタントラー
メンはあったのだが、あまり
おいしくなかった。簡単だけ
ど。あれね、巨人の星の一徹
親父さんがいつも食べてたや
つね。
駄菓子屋のベビースターラー
メンみたいで、私はあまり好
きではなかった。
ところが、「出前一丁」は違
った。本当のラーメンみたい
な味だった。付いてるごまラ
ー油もよかった。
以来、ず~っと袋ラーメンは
出前一丁を選んでいた。
他のをいろいろ食べても、や
っぱり「出前一丁」に戻る。
ところが。
大学の時に九州から来た同じ
齢のやつに「マルタイ」と
「うまかっちゃん」を教えて
もらった。
まだ東京では出回っていなか
った。現在でも近畿以東の国
内では「うまかっちゃん」は
販売されていない。
マルタイは麺が博多の屋台と
同じような味だったので驚い
たが、何よりも袋インスタン
トとしての「うまかっちゃん」
にはおったまげた。最高。
私が大学に入学した1979年秋
に九州限定インスタントラー
メンとして発売が開始された。
そうしたら、2004年に別味の
バージョンのうまかっちゃん
が登場した。
それが「うまかっちゃん から
し高菜風味」だった。
ネーミングは現在は「博多」
がプラスされた。
この袋麵がベラボーにでたら
めにウマい。最高の上を行く。
ちょいキャンや家での夜食や
軽くちょい食べでインスタン
トラーメンの時にはいつも
「うまかっちゃん 博多からし
高菜風味」を食している。
家で食べるのも美味しいが、
野外でコッヘルで作ってから
そのままナベつつきで食べる
これがまた格別にウマいのよ。
家とかで本物の辛子高菜を入
れたら、なお最高。
人にはそれぞれ好みはあるが、
これはオススメ。
コショウ(九州でいうところ
の唐辛子の胡椒ではなくペッ
パーの事)を少しだけ入れる
と更に味がよくなる。
あとは、好みだが、私はラー
油を3滴垂らす。
麺もいいが、スープが抜群に
ウマい。
ハウス食品、やるなぁ~。
日清と勝負しているけど、ハ
ウスのうまかっちゃんは西日
本限定商品というのがとても
残念だ。
東京ハマもんのおいらでさえ
「絶品!」と思う味なのだか
ら、東日本で販売してもかな
り売れ線でイケると思うけど
ね。
まあ、今の時代、ネットでも
買えるのだろうけど、やはり
店舗で気軽に買えないとね。
今、情勢について分かったよ
うな事を言っている政治評論
家も軍事評論家も一般市民も
「評論屋」に過ぎない。
自分が危険に曝される事は無
い。
それらの言質自体も言動も取
るに足りないくだらぬものだ。
現実に今現在も多くの人が殺
されている。それだけが事実
だ。
ピーチクパーチク安全地帯で
外野がやかましい。
寝言は寝て言え。
人はそれぞれ一生がある。
誰でも100%命が果てる時
が来る。
ことしももう少しで年の瀬
を迎えるが、ことしで一番
個人的にショックだったの
は井形マリさんが亡くなら
れた事だった。
大きなショックで、マリさ
んを思い出すたびに鎮痛な
憂鬱が何ヵ月も続いた。
ネモケンや片山さんや本間
ちゃんがまだ元気で健在な
のに、マリさんは一人走っ
て行ってしまった。
1980年代にサーキットのパ
ドックで見るマリさんはい
つもキリッとしているが、
ふとした時に見せる笑顔が
素敵な人でもあった。
ある年の鈴鹿8耐では、マリ
さんは鈴鹿サーキット内の
サイン会場に座らされて、
炎天下の中、延々と続くサイ
ンを求める人に応えていた。
どれくらいの時間と人だろう。
延々とだ。
いつもと違う面持ちで、ちょ
っとふてくされたようなマリ
さんだった。
サイン会で耐久参加させるの
はひどいと思った。
井形マリさんが食生活改善の
児童教室にいた頃の後輩だっ
た私のバイク仲間の一人は
「ひでえ。あれじゃ客寄せ
パンダだよ」と疲労を見せる
マリさんを見て言ってた。
人には命の果てが誰にもある
とはいえ、マリさんの逝去は
堀ひろ子さんの逝去と共にと
ても残念だ。
堀さんも井形さんも、日本の
オートバイの歴史の中で、男
のレースに交じって成績を残
し、女性ライダーの社会参加
に甚大なる貢献をした人でも
あるからだ。
私の妻などは、女性としても
人間としても井形マリさんの
事が大好きで大ファンだった。
大病を患い今はバイクを下り
ている妻は、私と同世代の
1980年代バイク乗りだった。
妻だけでなく、多くの二輪乗
り人々が井形マリさんの事が
大好きだった。
本当に惜しまれる。
俺と同学年の小沼賀代子は
元気で暮らしているのだろ
うか。
鈴鹿4耐が今年で終了という件
について
ロードレースの甲子園大会が
ことし限りで消滅した。
一時期エントリーが約600台、
ライダー約1,200人超を記録し
て、コンマ1秒内に数百人が
ひしめいて鎬を削っていた鈴
鹿4時間耐久レース。
ノービスクラスライダーの登
竜門として1980年から開催さ
れていた。開催当初のカテゴ
リーは250純ロードレーサー
マシンでの参戦も可能だった
という耐久レースなのにスプ
リントペースのレースだった。
開催当初はノービスだけでなく
ジュニア(のちの国際B級)も
参戦可能だったが、完全にノー
ビスのみとなったのは1984年
からだった。
数多くの名ライダーを輩出した
のが鈴鹿4時間耐久レースだっ
た。
消滅というのは残念至極。
近年のコロナ明けのエントリ
ー数は40台という有様で、レ
ース自体が成立しなくなった。
定員割れだ。
仮に大学の入学者枠が5000人
の難関大学において願書提出
者が300人だったらどうなるか。
当然、合格者の学力の質も低
下するし、大学の運営自体が
成り立たない。
鈴鹿4時間耐久レースだけでな
く、日本国内のモーターサイ
クルロードレースはそういう
状況だ。
かつて90年代にはNHKでさえ
グランプリロードレースを中
継放送していた事など、今の
若い二輪運転者たちは知らな
いだろう。
鈴鹿4時間耐久レースは、車両
も4スト400、2スト250までだ
ったのが600ccまでに企画変更
されて継続していたが、人気が
激減したのに加えて、600マシ
ン自体をもうメーカーが作らな
いというご時世でもあるので、
レースそのものが根本から成り
立たない。
使用するタイヤのタイヤメー
カーも一社限定というように
なったあたりから将来性の雲行
きは見えてはいたが、まさか
消滅とは。
そういえば、かつて1980年代
には連日トータル18万人の観
客動員数があった鈴鹿8時間
耐久-4時間耐久レースも、近
年はあまりにも観客席がガラ
ガラなので驚きながら中継を
見ていた。
私が月刊プレイボーイの鈴鹿
現地の8耐取材バイトで妻や
バイク仲間たちと共々鈴鹿に
行った時は、トイレに到達す
るまで何時間というほどの観
客すし詰め状態だった。朝の
東京の通勤ラッシュと同じよ
うな状態。
うちのMC8C(モーターサイク
ルクラブエイトコマンドゥ)の
レーシングライダー綿貫マイ
クがノービスで出場して雨の
中16台ぶっこ抜いた数年前の
4時間耐久の時も、その後8時
間耐久にマイクが出場した時
も、客席の観戦者があまりに
も少ないので私と妻は驚いて
中継を観ていた。妻はかつて
大昔に私がコースを走る時に
ピットからボードを出してく
れていた人だ。活動資金繰り
で日常生活する事さえも苦し
い中で、トランポもよく運転
してくれた共にレース活動を
していた人。辛酸を舐める苦
労を共にした。
マイクはその後、全日本選手
権を経て現在は世界耐久選手
権にフランスヤマハから出場
している。今シーズンでは春
にル・マン24時間耐久の世界
選手権レースで世界3位に入賞
した。
彼マイクは実は物凄い観客が
客席に押しかけるレースを走
ったのはヨーロッパでの体験
が初めてなのではないだろう
か。日本国内では私らの1980
年代のあの熱い時代と現代は
あまりにもやる側も観る側も
温度差と人数が異なるので、
若い世代のマイクたちは少し
可哀そうにも思える。
観戦ギャラリーの少ないレース
はとても寂しい。
甲子園でもそうだろう。
もし5万人入る甲子園球場の客
席に観戦者が数十人だったと
したら、果たしてどうなのか。
コロナ禍関係なく、人々が
野球には興味が無くなって。
野球の場合はそれは無いが、
世界一のオートバイを作る日
本という国の国民はオートバ
イのスポーツには興味を失っ
た。
時代の流れだろう。
オートバイという乗り物は
危険だし、暑いし、寒いし、
雨に濡れるし、汚れるし、第
一四輪車に比べるととても疲
れる。
そういう事はやりたくないと
いう国民だらけになったのだ
ろう。お手軽ラクチンのクリ
ックポチで何でも済まそうと
するように。
現代でオートバイに乗ってい
る若い世代たちは、二輪を単
なる移動手段としてしか扱わ
ない。車への愛情も、自分の
運転技術の向上にも興味は
ない。スポーツとしての二輪
競技にも興味が全く無い。
動画サイトで小遣い稼ぎをす
る人たちをアイドルか英雄成
功者のように讃えてすり寄り
たいだけの層の多くが二輪に
接しようとしている。
根本的に空前絶後の1980年代
バイクブームの国民層とは
質が異なる。
1978年から開始された鈴鹿
8時間耐久の前座レースとし
ても人気を博したモーター
サイクルロードレースの鈴鹿
4時間耐久レースだったが、
完全にこの世からことし限り
で消滅した。
やはり、高校球児たちの希望
である全国甲子園大会が消滅
したような空虚な気持ちに包
まれる。
残念、の一言に尽きる。
サヨナラ、俺たちのヨンタイ
~鈴鹿4耐 45年の歴史に幕〜 - WEB Mr.Bike
ICBMと報道されたミサイルは
核弾頭ではなく通常弾頭のミ
サイルだったという新たな西
側情報が出ている。
だが、将来アンゴルモアの大王
を空から降らせて人類を滅亡さ
せるのは、旧ソ連か北朝鮮かも
しれない。
日本だけでなくオーストラリア
でも若年から腐れ外道に転落す
る人間が多い、という事なのだ
ろう。
それゆえ、国家規模でSNSの使
用そのものを禁じる法律が成立
した。
そうしないと、国民の傍若無人
のネット暴力を鎮静化できない
程にまで人間腐敗が進んでしま
っているのだろう。
日本も全く同じだ。
ドラマ『3年A組~』を例に挙げ
るまでもなく、若年層からすで
にド腐れ外道の精神に日本人が
陥っている。
そして、現在の45才以下のゆと
り世代以降の成人たちがネット
での他者や特定個人への誹謗中
傷攻撃が大好きな腐り切った人
間層を形成している。
日本人も多くが最低のクズにな
り果ててしまっているのが現状
だ。
日本でもSNS禁止法を成立させ
るべきではなかろうか。
これは成人に及ぶまで。
SNSの中でも特にX(旧ツイッタ
ー)の利用者が悪質だ。人を罵
倒したり誹謗中傷を繰り広げる
事が日常的に総合的に展開され
ている。利用者に社会人として
の道徳観念や公序良俗意識など
は皆無だ。
SNS、とりわけX(旧ツイッター)
にハマっている中毒人間は、何
かの特殊な作用で精神に悪意の
放出を促すものが発生するのだ
ろう。
ここまで来たら、SNSそのものを
無くする方策しか国民の精神を
浄化させる方法はない。
オーストラリアはそれに踏み切っ
た。国民精神がかなりの末期症状
であるのだろう。
是正された教育的措置で育つ若年
層の成長による新社会の登場は、
あと何年も待たなければならない。
日本も早急に手を打たないと、人
間的な民度はこのまま壊滅的な
状態から脱する事はできない。
SNS使用禁止ではなく、SNSその
ものの存在を禁止するしかなくな
る事態はそこまで来ている。
SNSは麻薬と全く同じだ。
人間を完全に狂わせる。
私はSNSはラインしかやらない。
ラインも短文連絡用メールツー
ルとしてのみ使っている。
丁度20年前の2004年に日本で
SNSが初登場した時に、あまり
の小コミュニティ形成による特
定個人排除や誹謗中傷の集団的
暴力性に自己満足の発露を見出
すネット民が多すぎて、非常に
気持ち悪かった。この者らは明
らかに異常だが、自分の無軌道
な異常さを全く自覚していない、
と看破できた。日本で一番最初
のSNSであるmixiがもろにそれ
だった。
その後ツイッターが登場してか
らはこれまた更にひどいものだ
った。
個人的な実例としては、私自身
はツイッターはやらなかったが、
私に対しても、私と表面上は極
めて懇意にしている風で「盟友
を得た」とまで言っていた岡山
県のあるサークルを主宰する人
間が、陰で新登場のツイッター
を利用して散々私の悪口と誹謗
中傷を重ねているのを別人から
教えてもらい、初めて確認現認
した。人としてひど過ぎる事を
平気で為す人間というのは本当
にいるのだと、社会的に再認識
した。人間のクズだ。クズの質
性がSNSにより解き放たれた。
パンドラの箱の蓋を開けたよう
に。
さらにその丁度10年後、私個人
に対して「あいつを狩れ」「死
ねばいいのに」「早く死ね」と
いった100人以上の広島県人の
バイク乗りを中心とするSNSツ
イッターでの誹謗中傷揶揄侮辱
攻撃と集団的ネット暴力が発生
し、それはひどいものがあった。
そして、匿名巨大ネット掲示板
と併せてSNSでそうした攻撃が
展開されていた。
私だけでなく私の母や娘などの
個人情報も晒されて誹謗中傷が
展開された。白血病で病没した
私の父の事まで誹謗中傷する事
が繰り広げられた。そればかり
か私の家の犬や猫までもを誹謗
中傷していた。彼ら動物は法的
には物であるので人権侵害には
該当しないが、人道的には常軌
を逸しし過ぎている。異常だ。
私の自宅や携帯電話だけでなく
職場への脅迫電話も多く発生し
た。
そうした中、SNSと匿名巨大ネ
ット掲示板に扇動され共謀共同
した広島県人の3名が共謀の上
私の自宅襲撃を実行してきた。
恰も正義の使者であるかのよう
に自認して。
専門調査機関による事後調査で
は、SNSではその不法行為、違
法行為の恐喝脅迫行為に対して
書き込みとリプは絶賛の嵐だっ
た。
すべてはSNS中毒者たちの所業
だ。明らかな刑事犯罪であると
いう自覚も認識もSNSと匿名ネ
ット掲示板中毒者たちには一切
無い。
当然、警察当局に通報報告し、
刑事事件事案として対策済みだ。
自宅襲撃時にはあやうく「正当
防衛」の武力行使をしないと解
決しない状態になりそうだった
が、自己制御によりそれは事な
きを得た。
3名のうち1名は自分の尊厳が私
により侵害されたとする誤認に
よって私への直接抗議行動とし
て来訪したので犯罪要件を構成
しない可能性がある。それまで
会って話した事もない見知らぬ
人物だが。
だが、外2名は私と接点がない
無関係な立場にありながら脅迫
と怒声による衣服強奪恐喝(私
のMCベストを恐喝強取しよう
としていた)を強要していたの
で、明確に刑事犯罪を構成する。
現在、当該案件に関与した犯罪
実行者たちはすべて各県警・警
視庁ら警察当局のサイバー犯担
当班と刑事部の監視下に置かれ
ている。時効は成立していない。
共謀共同正犯の他者の多くも人
定が警察組織により特定され、
同様に監視下にある。犯罪実行
者とほう助者であるので当然の
措置だ。
ソーシャルネットワークシステ
ムが正しく健全に利用されず、
民主主義も人権も人の尊厳も
破壊する方式として、そうした
行為を好んで行おうとする人間
のクズ製造システムとしてSNS
が現在は機能してしまっている。
否、発生当初から、人間の悪の
心を解き放つ道具としての仕組
みとしてSNSは誕生していた。
人間には手に負えない核のよう
な危険な要素を持つのがSNSで
あるのは疑う余地が無い。
現実は雄弁に真実を物語る。
核兵器禁止、核エネルギー廃絶
と同じく、人類はSNS禁止を目
指さないと、人類の精神や人間
的な質性はとんでもなく取り返
しのつかない事になるだろう。
SNSは違法薬物と全く同じだ。
人間は愚かすぎてSNSを適正
良性の軌道で使用する事がで
きない。道徳心や自制心とい
うものさえ一挙に消滅させて
しまうのがSNSだ。集団洗脳
のように。
そして、政治家たちまでもが
SNSを利用して選挙戦での
「疑似世論」を作出して当選
するような事態が発生する段
階にまで来た。それが社会悪
であるという認識は実行者た
ちには一切無い。闇バイトの
犯罪が大流行しているのと同
軸だ。
SNS全面禁止しか人類の心を
救う手が無くなる日はもうす
ぐ目の前にまで来ている。
それゆえ、オーストラリアは
法律的規制で実行に踏み切っ
た。
日本も無政策、放置状態だと、
日本人の人的質性はこのまま
だだ下がりの一途だろう。
すでにSNS中毒者が蔓延し過
ぎて、精神が腐れ外道のクズ
とカスだらけに日本人がなっ
ているのだから。