
それしか能がねえのか?
クズが。
バイクに乗る時、スポーツ
ロードタイプに乗るにのは
ヒール付のブーツもしくは
シューズが適正操作の為に
必須です。
ところが、スクーターの時
にも気を付けないとならな
い事があります。
それは、ローカットソック
ス+ローカットシューズで
くるぶしを丸出しにしない、
という事。
万一転倒したら、くるぶし
が路面擦過で削り取られて
足に障害負いますよ。
鉄の平ヤスリで生足のくる
ぶしを勢いよく削るような
ものですから。当然、歩行
困難な後遺症の残る身体障
害を負う蓋然性が高いし、
実際にかなり痛いのでは。
皮膚も削れて白く見えた骨
までえぐり削り取られて。
たとえ原付スクーターだろ
うと、二輪乗車時には足も
とをしっかりと防護しましょ
う。
最低でも足首とくるぶしが
隠れる厚手のソックスを履
くようにする。
(教習所等はそれでないと
受講させてくれません)
できれば、バイク用ブーツ
が良いのですがハイカット
スニーカーでもOK。
とにかく足首とくるぶしを
護る履物とソックスにしま
しょう。
万一スッ転んでも靴が脱げ
ない構造の物がベターです。
ライディング専用のブーツ
がベスト。
オフ車では足出しで足が路
面に引っかかるのを防止す
るためにソールが真っ平な
物を選ぶ。
逆にオンロードではカカト
が無い底が平らなブーツだ
と、操縦時のマシンホール
ドができないので、カカト
無しだと適正制御運転が不
能となります。オンロード
ではカカト付ブーツが必須
定式。
これらのソール形状の理由
は、丸パイプ鉄ハシゴを登
り下りする作業ではカカト
付安全靴が必須で、高所建
築作業等ではベタ底の靴も
しくは地下足袋が必須、と
いうのと同じ物理的な事か
らです。
実は意外なアイテムとして、
バイクに乗る時におすすめ
なのが安全靴。平底やヒー
ル付等さまざまある。防護
性は抜群で先端に重量物が
落下しても足先を守る足潰
れ防止硬質カップも挿入さ
れているし、靴底も滑り止
め性能が一般シューズとは
比べ物にならない程に良く、
ガソリン等の油脂にも底が
溶けない材質。また靴全体
のホールド感も最高。
安全靴というと無骨な作業
用黒靴を思い浮かべそうで
すが、アシックスやコンバ
ース等のメーカー物の安全
靴も豊富にあります。
それらはバイクから下りて
街中歩いても違和感ゼロ。
安全靴、かなりバイクにも
おすすめです。
私もスクーターの時はハイ
カットの国産安全靴を愛用
しています。
映画『キューポラのある街』
ロケ地を訪ねて
日本国内のベーゴマはほぼ
全部がここ川口で作られて
いた。
鋳物の街。鋳物の炉=キュ
ーポラのあった街。
この街は神奈川県の川崎と
同じく、戦後日本の矛盾と
人々の息吹と希望が凝縮さ
れた街だった。
吉永小百合 2作品/
「キューポラのある街」
「愛と死をみつめて」/
昭和レトロ/ネタバレあり注意/
シネマプロムナード
どちらの作品も名作。
ただ、戦後の日本人全体が
苦しかった(ごく一部の富
裕層を除いて)世相を如実
に描いている社会派映画な
ので、観ていて胸がしめつ
けられる。
だが、こうした映像描写か
ら日本人たちが目を逸らさ
ずに、現実を見て、前を向
いて生きようとしていた時
代の映画作品だ。
物事を見てみないふりをせ
ず、しっかりと生き抜いた
私たち日本人の戦後の先達
たちによって、今の私たち
の暮らしがある。
多くの国民を護る社会制度
は、そうした国民自身の大
衆的な働きかけによって成
立し、国民の命と生活を保
障する流れとなった。
戦後日本の民主主義はそう
して手探りで育ってきた。
とりわけ、学童生徒や貧困
層への福祉、医療制度の改
革などは、革新的国民労働
者が骨を折って働きかける
運動をしたから制度が確立
し、育成されて来た。
そうした戦後の日本の民主
主義者たちと現代に続くそ
の流れを汲む人々をアカと
かサヨとか侮蔑的に罵倒す
る事に終始する日本の戦後
の歴史を知らぬ現代若者た
ちは、全員医療保険などは
使わずに全学自費で治療を
受ければよいし、資本家に
不当に首を切られようがパ
ワハラで自殺者が何人でよ
うが、自分がその自殺予備
対象者になろうが黙ってい
ればいいし、義務教育さえ
も拒否して受けなければい
い。
そして、もし戦争が開始さ
れたら、真っ先に推奨して
いた自分が行って死んでく
ればいい。
戦後の平和日本を作った日
本人たちとその流れを罵倒
する連中の発想の行きつく
先は、自分で自分の首を絞
めるそういう事になる。
自分の事だけ、自分の利害
や利益のみ考える者の行き
つく先はそれだ。
でもそれでは駄目なんだ。
同じ同胞であり、同じ地球
に住む同じ人間なのだから。
16才高1。映画『キューポラ
のある街』(1962)に出演した
吉永小百合さんと同じ齢の
時。
キューポラのある街に高校
時代に住んでいた。1976~
1979/3まで。両親は既に父
の実家のある広島県に転住
していた。私だけが一人残
り、都内の文京区の高校に
通う事にした。
学校があった学区と異なり、
キューポラのある街の市は
デトロイトのような街だっ
た。
吉永小百合さんは1961年の
16才時に中学3年生役を演
じた映画作品『キューポラ
のある街』に主演の時の演
技がどうしても超えられな
くて、それで女優を続けて
来たと語る。
『キューポラのある街』の
公開は1962年4月。撮影は
前年。私が満1才の時だった。
その頃は目黒区の上目黒(の
ちの青葉台)に私たちの家族
は住んでいた。当時の中目
黒駅周辺は小さな町工場が
並ぶ京浜工業地帯の一翼を
占める山の手にありながら
下町のような工業地帯の街
だった。
『キューポラのある街』は
戦後まだ16年しか経ってい
ない日本の世相をきめ細か
く描いている。
日本映画の珠玉の傑作。
キューポラのある街(1962)
革の季節である。
だが、レザーには保温性は
無い。
暴風性と防護性が高いのだ。
レザーウエア着用時の防寒
には中に然るべき保温イン
ナーが必要。
革ジャンの多くに中綿が縫
い込まれているのは爆撃機
搭乗員の防寒着の流れだろ
う。
防寒仕様としては、インナー
ライナー方式で防寒内着が
脱着可能になっている物も
多い。
数々の御意見はあろうが、
御意見無用。
コーナー手前から準備する
こういう乗り方は、たとえ
スクーターでもアリだ。
このブレーキング直前の乗
り方は、某業界人ならば常
識の話。
安藝國大山住仁宗重について。
周防國二王について。
古三原(鎌倉~南北朝時代)に
ついて。