渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ネトクズ=人間のクズの粘着

2024年11月21日 | open
 

それしか能がねえのか?

クズが。

 
 

オールドアメリカン看板

2024年11月21日 | open
 


リビングの部屋の仕切りドア
には古い
アメリカの看板。
カワサキだけでなく、ヤマハ
もホンダも持ってるんだけど
ね(笑
この高飛車な言い方がアホ丸
出しで、この看板は笑える。
ジョークではなく、結構マジ
で言ってたりするのでは。
最大のイナカモン偏狭根性の
テキサスあたりで。

カワサキ以外に他の車両を
停めたら全部スクラップと
して売っぱらう、ですと。
発想がてめえ中心俺様大将
のアメリカらしいや。
日本のカワサキ好きとはか
なり違うゴーマニズム。
太い黒マジックで、でけえ
バッテン書いたろかいな。
日本のバイクをてめえらの
ジャイアン根性に利用する
な、と。

 
 
 
 
 
 

バイクに乗る時の足もと

2024年11月21日 | open



バイクに乗る時、スポーツ
ロードタイプに乗るにのは
ール付のブーツもしくは
ューズが適正操作の為に
須です。
ところが、スクーターの時

にも気を付けないとならな
い事があります。
それは、ローカットソック
ス+ローカットシューズで
くるぶしを
丸出しにしない、
という事。

万一転倒したら、くるぶし
が路面擦過で削り取られて
足に障害負いますよ。
鉄の平ヤスリで生足のくる
ぶしを勢いよく削るような
ものです
から。当然、歩行
困難な後遺
症の残る身体障
害を負う蓋然性が高いし

実際にかなり痛いので
は。
皮膚も削れて白く見えた骨
までえぐり削り取られて。


たとえ原付スクーターだろ
うと、二輪乗車時には足も
をしっかりと防護しましょ
う。

最低でも足首とくるぶしが
隠れる厚手のソックスを履
くようにする。
(教習所等はそれでないと
受講させてくれません)
できれば、バイク用ブーツ
良いのですがハイカット
スニーカーでもOK。

とにかく足首とくるぶしを
護る履物とソックスにしま
しょう。


万一スッ転んでも靴が脱げ
ない構造の物がベターです。
ライディング専用のブーツ
がベスト。
オフ車では足出しで足が路
面に引っかかるのを防止す
るためにソールが真っ平な
物を選ぶ。
逆にオンロードではカカト
が無い底が平らなブーツだ
と、操縦時のマシンホール
ドができ
ないので、カカト
無しだと適正制御運転が不
能となります。オンロード
ではカカト付ブーツが必須
定式。
これらのソール形状の理由
は、丸パイプ鉄ハシゴを登
り下りする作業ではカカト
付安全靴が必須で、高所建
築作業等ではベタ底の靴も
しくは地下足袋が必須、と
いうのと同じ物理的な事か
らです。

実は意外なアイテムとして、
バイクに乗る時におすすめ
なのが安全靴。平底やヒー
ル付等さまざまある。防護
性は抜群で先端に重量物が
落下しても足先を守る足潰
れ防止硬質カップも挿入さ
れているし、靴底も滑り止
め性能が一般シューズとは
比べ物にならない程に良く、
ガソリン等の油脂にも底が
溶けない材質。また靴全体
のホールド感も最高。
安全靴というと無骨な作業
用黒靴を思い浮かべそうで
すが、アシックスやコンバ
ース等のメーカー物の安全
靴も豊富にあります。
それらはバイクから下りて
街中歩いても違和感ゼロ。
安全靴、かなりバイクにも
おすすめです。
私もスクーターの時はハイ
カットの国産安全靴を愛用
しています。







 


映画『キューポラのある街』ロケ地を訪ねて

2024年11月21日 | open

映画『キューポラのある街』
ロケ地を訪ねて


日本国内のベーゴマはほぼ
全部がここ川口で作られて
いた。
鋳物の街。鋳物の炉=キュ
ーポラのあった街。
この街は神奈川県の川崎と
同じく、戦後日本の矛盾と
人々の息吹と希望が凝縮さ
れた街だった。





吉永小百合 2作品/「キューポラのある街」「愛と死をみつめて」

2024年11月21日 | open

吉永小百合 2作品/
「キューポラのある街」
「愛と死をみつめて」/
昭和レトロ/ネタバレあり注意/
シネマプロムナード


どちらの作品も名作。
ただ、戦後の日本人全体が
苦しかった(ごく一部の富
裕層を除いて)
世相を如実
に描
いている社会派映画な
ので、
観ていて胸がしめつ
けられ
る。
だが、こうした映像描写か
ら日本人たちが目を逸らさ
ずに、現実を見て、前を向
て生きようとしていた時
の映画作品だ。
物事を見てみないふりをせ
ず、しっかりと生き抜いた
私たち日本人の戦後の先達
たちによって、今の私たち
の暮らしがある。
多くの国民を護る社会制度
は、そうした国民自身の大
衆的な働きかけによって成
立し、国民の命と生活を保
障する流れとなった。
戦後日本の民主主義はそう
して手探りで育ってきた。
とりわけ、学童生徒や貧困
層への福祉、医療制度の改
革などは、革新的国民労働
者が骨を折って働きかける
運動をしたから制度が確立
し、育成されて来た。

そうした戦後の日本の民主
主義者たちと現代に続くそ
の流れを汲む人々をアカと
かサヨとか侮蔑的に罵倒す
る事に終始する日本の戦後
の歴史を知らぬ現代若者た
ちは、全員医療保険などは
使わずに全学自費で治療を
受ければよいし、資本家に
不当に首を切られようがパ
ワハラで自殺者が何人でよ
うが、自分がその自殺予備
対象者になろうが黙ってい
ればいいし、義務教育さえ
も拒否して受けなければい
い。
そして、もし戦争が開始さ
れたら、真っ先に推奨して
いた自分が行って死んでく
ればいい。
戦後の平和日本を作った日
本人たちとその流れを罵倒
する連中の発想の行きつく
先は、自分で自分の首を絞
めるそういう事になる。
自分の事だけ、自分の利害
や利益のみ考える者の行き
つく先はそれだ。
でもそれでは駄目なんだ。
同じ同胞であり、同じ地球
に住む同じ人間なのだから。



  





キューポラのある街

2024年11月21日 | open


16才高1。映画『キューポラ
のある街』(1962)に出演した
吉永小百合さんと同じ齢の

時。

キューポラのある街に高校
時代に住んでいた。1976~
1979/3まで。両親は既に父
の実家のある広島県に転住

していた。私だけが一人残
り、都内の文京区の高校に
通う事にした。
学校があった学区と異なり、
キューポラのある街の市は
デトロイトのような街だっ

た。
吉永小百合さんは1961年の
16才時に中学3年生役を演
じた映画作品『キューポラ
のある街』に主演の時の

技がどうしても超えられ

くて、それで女優を続けて
来たと
語る。
『キューポラのある街』の
公開は1962年4月。撮影は
前年。私が満1才の時だった。
その頃は目黒区の上目黒(の

ちの青葉台)に私たちの家族
は住んでいた。当時の中目
黒駅周辺は小さな町工場が
並ぶ京浜工業地帯の一翼を
占める山の手にありながら
下町のような工業地帯の街
だった。

『キューポラのある街』は
戦後まだ16年しか経ってい
ない日本の世相をきめ細か
く描い
ている。
日本映画の珠玉の傑作。

キューポラのある街(1962)


 


鉄製ボディを持つ二輪

2024年11月21日 | open


私のこのイタリアンは鉄製。
パイプフレームが存在せず、
鉄のモノコックフレームだ。
旧式と異なり、樹脂パーツ
も多用されている4ストロー
クエンジンを搭載した現代
版だが、フレームは鉄製の
ままだ。
乗り味は独特で、ある場面
では剛性感を出し、ある場
面ではしなやかなシルキー
さを醸し出す。
運転していて実に味のある
スクーターだ。
さすが、戦後直後に地球上
のスクーターのスタンダー
ドを作り出したメーカーだ
けあると感じる。
元々は航空機の部品を作る
会社で軍事転用されていた
が、戦後は平和産業の旗手
としてスクーターを手掛け
た。
フレーム造形は従前の航空
機産業に属した時代の技術
が活きた。
以降、戦後、地球上ではス
クーターといえばイタリア
のピアッジオ製が定番とな
り、世界のスクーター作り
のお手本となった。


ただし、現行の新型4ストロ
ークベスパと
なってからは、
日本のホンダ
が開発した駆動
方式を参考に
製作されるよう
になった。

プーリー内のウエイトローラ
ーによってクラッチを自動的
に移動させて変速させる無段
変速機構だ。加速はアクセ
ルの操作
のみで前進する。
この駆動方式は、タウンコミュ
ニティモータービークルとし
て非常に利便性が高い。
それらの基礎は日本人が築い
た。

最高傑作映画『ローマの休日』
(1954)。
現代はRoman Holiday であり、
「ローマの休日」という意味
と「残酷な休日」という意味
を両方含んでいる。
絶対に結ばれないほのかな恋。
それに全世界の鑑賞者が心打
たれた。結ばれぬ二人がひと
時の恋の時間で乗ったのは、
ピアッジオ社のベスパだった。


 




革の季節 ~革パンツと革ジャン~

2024年11月21日 | open









革の季節である。
だが、レザーには保温性は
無い。
暴風性と防護性が高いのだ。
レザーウエア着用時の防寒
には中に然るべき保温イン
ナーが必要。
革ジャンの多くに中綿が縫
い込まれているのは爆撃機
搭乗員の防寒着の流れだろ
う。
防寒仕様としては、インナー
ライナー方式で防寒内着が
脱着可能になっている物も
多い。

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モーターサイクルの乗り方

2024年11月21日 | open



数々の御意見はあろうが、
御意見無用。
コーナー手前から準備する
こういう乗り方は、たとえ
クーターでもアリだ。
このブレーキング直前の乗
り方は、某業界人ならば常
識の話。







アーモンドグリーン

2024年11月21日 | open



アーモンドグリーンは英国
車の伝統色。
ミニなどに多かった。



私の差料 ~武士の魂/安藝國大山宗重~

2024年11月21日 | open

私の主たる差料は大刀は安藝
國大山
住仁宗重作、天正八年
作(1580)。

小刀は家伝周防國二王清元、
応仁
元年作(1467)。

銘:表「安藝國大山住仁宗重作」
  裏「天正八年二月吉日」
 



別口の大小一腰は大刀が天文
年間の備前長船則光、小刀が
家伝無銘大脇差。
保存管理保管刀剣は古三原
正家(大名登録)。
懐刀は家伝備中國水田住山城
大掾源國重在銘。

他にも日本刀を数多く所蔵し
ているが、江戸期からの家伝
の物は存外少ない。
審査申請したら重要刀剣間違
いない古三原が一口あるが、
重刀鑑定書発行までの手続き
で諸々総額80万円程かかるの
で、鑑定書の「紙」は取得し
ていない。
えてして、そうした無冠の中
にも飛び抜けた歴史上重要か
つ健全無比の名刀が存在した
りする。

家伝の二王の脇差は、たまた
ま幕末に新選組の近藤勇氏の
斬首刀が近藤氏の脇差二王で
あったという実話とも偶然に
合致し、私は我が家の脇差を
愛で
ている。
私は縁あって、近藤氏を弔っ
た寺に請われて在京時代に伺
い、近藤氏の遺品の短刀を毎
年お手入れしていたからだ。
その近藤氏の短刀は二王では
なく備前物だが、近藤氏の身
体に最後に触れた日本刀は周
防國の二王という逸話がある。
これも何かの奇縁である。
二王は戦国時代の斬鉄剣だっ
た。
切れ味において比類なきと賞
賛されていた刀剣だ。
私は本分は刀工ではないが、
現代斬鉄剣二代目小林康宏

私的影弟子でもある。
小林康宏友の会日本刀探究苑

游雲会を主宰している。
現代斬鉄剣康宏派の中枢。

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