バイク用のキャップは1970年代
から被っていた。80年代も90年
代も21世紀の今も被る。
サーキットなどで被るキャップ
はそのまま車などに置いてたり、
被ったままで車を運転したりし
てースのパドックに入る。
二輪走行中には被りはしないの
ので崩れは起こさない。
だが、通常の公道での走行外出
の時などは、キャップの運搬は
私個人は革ツナギや革ジャンの
胸部部分に入れて走っている。
ぺったんこにして。
その際に、帽子の製法によって
ぺったんこにして折ると形が崩
れる造りの物がある。
崩れるのはベースボールキャップ
仕様などの帽子で、フロント部
に型紙の前立てが縫い込まれて
いるタイプ。
それを横に二つに折ると前立て
の両サイドに折れ癖がついて
しまうのだ。
ゴルフキャップのような前立て
のないオールコットンのみの
ローキャップなどが型崩れが
しないので、バイク用のツーリ
ングキャップとしては問題が
発生しにくい。全体がコットン
でしなやかだからだ。
くるくるっと丸める事もできる。
ただ、二輪のウエアメーカー
さんも、そこらあたりまでは
考慮していないようで、案外
とレースのチャンピオンキャ
ップのような前立てを持つ
形のカッキリした造りのキャ
ップが殆どだ。
ほとんどの一般ライダーは
レーシングコースでキャップ
を被るのではなく、自分のバ
イクで移動して下車した際に
帽子を被るので、運搬に便利
な造形や造り込みの物を選ん
だほうが無難だ。型崩れしな
い造りのキャップやハットを。
その点ミリタリーベレーなど
はぺったんこにしたり丸める
事が可能なので運搬に便利だ。
オートバイ乗りでもベレーを
愛用している人たちも多い。
うちのクラブでもドクロ徽章
のベレー等を愛用している者
が何人かいる。それが集団で
いると、どこかのコマンド
部隊のようだ(笑
バイク用のキャップは、一般
公道走行者たちは、下車時に
ヘルメットを脱いだ際の髪の
乱れを抑えるために被る事が
多い。
レーシングライダーがキャップ
を被るのは、入賞した時と、走
行前だが、レーシングライダー
のキャップ被りには意味がある。
それは、小雨だろうと髪を濡ら
すとヘルメット内が曇るので、
雨天では絶対にキャップを被る
のが一つ。
もう一つはスポンサーやチーム
や支援者たちのPRのためだ。
そして、今でこそ予選通過者
の決勝グリッドでは日傘があ
るが、かつてはそんなものは
なかったので、頭部を日差し
から守る為にも着帽はレース
では必至だった。野球選手が
絶対に野球帽を被ってプレー
したりするのと同じ理由。
防護の為にキャップを着用し
ていた。
通常一般公道走行者において
も、頭部保護の為に着帽は必
要で、これは休憩以降の乗車
運転に大きく医学的に影響す
る。
暑い時には日差しから身体を
守り、また寒い時には防寒の
ために二輪から下りた時には
ライダーは帽子を被る。
ファッションやカッコつけで
はない、「走るため」の実用
性からライダーは帽子を被る
のである。
デザインや意匠はあくまで
ファッション性を求めたもの
だが、着帽の意味は見てくれ
ではなく意味があるのだ。
ゴルフでも同。帽子は絶対に
必要。体力温存と身体に日光
や外気の悪影響を与えないた
めだ。
なお、バイク乗りには礼儀知
らずが異様に多いが、礼節を
重んじるゴルフと一緒で、室
内および食事の際には男子は
絶対に脱帽するべきだ。
これは社会人の礼儀作法とし
て。
現代人たちは、いい齢した大
人さえものが室内や食事の際
に着帽のまま食べたり飲んだ
りしている人らを多く見る。
今の時代は。これはバイク乗
りに限らず。
親子連れなどでも父親が帽子
を被ったままで家族で室内で
外食していたりする。
これは実に恥ずかしい。
礼節を忘れた日本人、のよう
で。
それを普通だと思った子ども
は同じことを将来するだろう。
男ならば室内では脱帽せよ。
女性は正式の際にはコサージュ
のみ着用が認められている。
世の中は「何をやっても俺の
自由、勝手ではないか」では
ない。
土足で家に上がるような事を
するのが自由ではない。
レストランでテーブルに足を
載せるような事しますか?
飲食店内での着帽も同じ事で
すよ。
たとえ自分の家だろうと、好
き勝手やるか?という事。
ビブラムソールの靴底の溝の
泥を削ぎ落したスプーンで
食事しますか?という事。
こういう事は法律には定めら
れていない。
しかし、これらは人間社会の
常識として存在している。
人間社会の礼儀作法に雑なオ
ートバイ乗りたちに社会規範
のお手本を求める気は無いが、
まるでコンプラ警察良市民気
取りで他人を誹謗中傷する事
が大好きな現代ネット民バイ
ク乗りたちが、室内でも着帽
のまま飯食ってるとしたら、
失笑以外のなにものでもない。
バイク乗りに帽子は必要だが、
もっと必要なものが社会人と
して存在している。