
日本刀武術の後輩の新車大型バイク

富士山講の流れの神社なので江戸

枯れ葉 / Autumn Leaves jazz piano
JAZZはブルーズと並んで悪魔の
音楽である。これは確かだ。
JAZZに魅入られると、取り憑か
れたように他は何も要らなくなる。
フライフィッシングが「悪魔の
釣り」といわれているのに等しい。
この子の弾くような音楽は、学校
では忌避されるのだろう。
先に紹介した小学生ギタリストも
音楽の授業ではJAZZが教科書に載
っているのに無視されたと語って
いた。
21世紀の現代でもそうだ。
さて昭和30年代生まれの私の時代
はどうだったか。
まず、ロックは「不良の音楽」と
いう事で、世の中では大人たちか
ら蛇蝎のように嫌われていた。
ロックをやるのは不良であり、非行
であり、聴く事さえも素行不良の
社会的脱落者のように言われた。
これ、ほんと。
だからなおさら若者たちは反抗心を
込めてロックに傾倒した。
だが、ビートルズがぬるい音階と
歌詞で「愛」を謳う事で一変した。
すでに私の時代、中学の音楽の教科書
にはビートルズの楽曲が載っていた。
「はあ?」である。
ほんの数年前まで、音楽の時間は
頭にカツラかぶった西洋のおっさん
たちがやっていたクラシックのみが
「音楽である」とした教育をしていた
のにだ。
中学の時に思った。
「はは~ん。戦中から戦後にかけて
教育の『掌返し』に言い知れない不
信感を生徒や学生たちが持ったと
いうのはこのパターンだな」と。
それでも私の中学時代はロックを聴い
たり演奏したり嗜好したりするのは
「不良たち」とされていた。
かなり様変わりするのは高校あたり
からだ。
そして、ロックどころかJAZZに至っ
ては「大人の裏社会の音楽」という
イメージを世間では鼓舞していた。
いや、これホント。
一例を実例で挙げよう。
町の喫茶店には1960年代~70年代
には「名曲喫茶」なるものが存在
した。
そこで流される音楽は何だ。
すべてクラシックである。
JAZZやロックはどんなに名曲であろう
とも「曲」とは認められていなかっ
た。
JAZZはジャズ喫茶でなければ聴けなか
った。場末のバーのような薄暗く、
煙草の煙が充満する喫茶店だ。
私は高1の15歳の時からよくJAZZ
喫茶に通ったが、一般喫茶店が今の
ファストフードのように思われてい
て中学生や高校生が普通に入店して
いた時代であっても、JAZZ喫茶に行く
のは「不良」しか行かなかったのだ。
これは1960年代末期からその後10年
以上も。(そのあたりの社会情勢を
映画『初恋』は忠実に描いている)
なので小学生がJAZZに親しむとかは
考えられなかったのだ。
酒と煙草と女と麻薬。それらが充満
する世界で流れているのがJAZZだっ
たからだ。これは現実的にも。
かといって、健康優良児のような
顔を上げると輝く清純な汗の光、
というような人々が馴染むのが
JAZZだとしたら、それはそれで
かなり気持ち悪い。
品行方正な真面目君やザーマスの
一族のような連中が親しむのが
JAZZだとしたらウルトラきもい。
彼らはやはりショパンあたりだろう。
今の嫌煙ファシズムの私設警察の
ような感覚の連中が好むのがJAZZ
だとしたら、それはもう度し難く
承服しかねる。
カレーは辛いから砂糖を入れましょ
う、ザーマスザーマス、みたいな
感じだからだ。
わさびは子どもによくないので
お握りのお寿司におわさびは全部
抜きにする条例を作りましょう、
みたいな連中。代々木に多いよう
な感覚の。
だが、小学生でJAZZ。
そういう時代になったのだなぁと
思う。
しかし、勘違いしないでほしい。
JAZZは黒人の歴史抜きにしては
存在しない。
そこには絶対に目を逸らせてはなら
ない人間の歴史がある。
JAZZをただ音の旋律が好きだからと
いって好みを持って行くのは、それ
は「きょうは寒いので毛皮を着て
いきましょう」とか平気で口にする
動物愛護団体の人間のようなもの
なのだ。
「きのうはお寿司だったからきょう
はフレンチにいたしましょう」と
いう感覚で音楽の中でのJAZZに
接近するのは、それは根本をないが
しろにしている。
創り出した人たちの負った歴史と
事実、そしてその中から出て来た
音の旋律に対する敬意が不在だから
だ。
私が小学生の頃、JAZZというのは
何なのですかと父に尋ねた。
かつてJAZZマンだった父は延々と
講義しはじめた。
「授業なげーよ」とは思ったが、
結論からいうと、父が言うには
「君が自分で判断できるように
なってから接近すべき音楽だと
思う」との事だった。「音だけを
追ってはいけない」と。
小学生に解るのだろうか、と思う。
社会的未成熟な年齢層に。
ただ、音やリズムが好きだから、
というだけではないのか。
だとしたら、いくら演奏が巧みでも
大きく道を踏み外す。
それは三ツ星レストランと同じ感覚
のクラシック界の連中の亜流でしか
なくなるからだ。
JAZZって、それじゃない。
心の叫びを伴わない指の動きが
上手いのは「お上手」というだけ
で、それは音楽ではないし、無論
JAZZでもない。
【初体験】小学生に大量のビンテージ
ギター弾かせたら渋すぎて驚愕。
ギブソン Lespaul、ES-335、SG、
フェンダー Telecaster、Jazzmaster、
Gretsch等…タメシビキ!
いいね~。ギター小僧。
これ、おとやんが提供した教育
環境で開花したなぁ。才能が。
おいらは親父がJAZZギター弾き
でロープとしてステージに立って
たけど、おいらはやらなかった(笑)。
棒振り叩き合いと投げ合いばかり
やっててさ。ガキンチョの時は。
ギターやりはじめたのは小6からで
てんであかんやつやった。「うた」
をメインにしたからよけい演奏から
は離れた。
しかもこの子は小学生でJAZZ好き。
悪魔の音楽だとわかっとんかいな
とは思うが、ギターは上手い(笑)。
かなりうま~い。
ギターをとことん鳴かせる。これ、
天性なのでは。
小学校の音楽の時間で教科書に
JAZZのページがあったのに飛ば
された、というくだり笑った。
たぶん、学校の音楽の先生は背広
とフォーマルドレスを着てやる音楽
を習った音楽大学出の先生なんだ
ろうな。
音楽に順列をつけるクラシックコン
クールとかの世界の。
音楽の一つの側面に、一部の者たち
による「音楽の権威付け」というの
がある。
発表会、コンクール、選考会、e.t.c.
くだらない。
おいらも幼稚園からピアノメーカー
名の付いたなんとかかんとか教室と
いうやつでずっと鍵盤楽器教育受け
たけど、実にくだらない。小2の時に
「これ、何か違わなくね?」と思っ
たもの。
三ツ星レストランやホテルと同じ
感覚で音の世界を牛耳ろうとする。
そんなのは、木っ端微塵に爆砕され
ればいい。
HYMNE À L 'AMOUR - EDITH PIAF - piano - Harry Völker
すごくピアフの世界観が出ていて
いいのだけど、俺、この人、踏み
過ぎだと思う。
もっと殺したほうがよくない?
なんてのかなぁ。
空き缶が突然の颯に吹かれてカラン
カランと転げるような、そんな儚い
感じなんだよね。ホントはピアフと
いうのは。
豪華な音色(ねいろ)は音色(おん
しょく)表現の捉え違いかと私は
思っています。
ピアフのイムアラムールに関しては。
愛の讃歌うたいとしては、そう思う。
もう死んじゃいそうな切なさは、
枯れた音とピアフのあのはすっぱな
フランス娘の感じでないと。
豪華なオーケストラの音にあっても、
その中にきらびやかさとは別な音の
調べを紡ぐ旋律。
それがピアフの世界だ。
人それぞれの表現があっていいの
が音楽だけど、人それぞれである
がゆえに、人それぞれの受け取り方
がある。
シティユメラデュモデ、てなもんで。
また、それを許容するのが音楽だ。
せせこましい性根は入り込めない。
逆にそういう感性は音楽とは無縁。
無縁の人。
愛の讃歌はこれが原点。
世界初のシンガーソングライターは
ピアフなのではなかろうか。
Edith Piaf - Hymne à l'amour ( "Paris chante toujours")
村下孝蔵 枯葉
村下さんのこのローコードから入る
枯れ葉最高よ。
私はバレーのハイコードから始める
モーションでベース音はあえて消音
させてボンボンとランニングさせる
やつだけど、この独特のサスティー
ンを鳴らしてのアレンジは聴き入る。
ハイバレーでもクリア音でアタック
感を出している。
枯れ葉のギターで一番好きなのは吉田
次郎さんだけどさ。
あの人の枯れ葉のソロパートはジョー・
パスよりも好きだ。
それでも村下さんのこの流し弾きは
聴き入る。