ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




避難所は…、学校の体育館ですが、あの、皆さんもテレビなどで目にされたでありましょう、まさにあのままでした。

四ヶ月を過ぎて、

…あのまま、でした。

固い体育館の床の上に、薄いシート。低いペラペラのついたて(卓球のボールガード)だけで仕切られた、ひとたび立ち上がれば全てが丸見えの、プライバシーはまったくなく、おそらく個人が望むべき静寂もなく、暑く、…本当にひたすら暑い、あまりに過酷過ぎる環境でした。

でも、

都会では、なかなか見れないような、柔らかな、びっくりするくらい屈託の無い笑顔にも出会える、不思議な場所でもありました。

でも、


でも、


悲しい場所でした。


大切な家や家族を失い、未だ仮設(住宅)にも入れない方たちの、やりばのない痛みや、ぶつける場所の見当たらないもどかしい憤りを、強く感じました。

“忘れられた場所”にだけはしてはいけない、

そう思いました。

何ができるでしょうか。

でも僕たちは何かしなくては、です。



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気仙中学校(会場は避難合併先の矢作中学校でした)でのライブも、おかげさまで素晴らしい体験になりました。

写真は校舎の手洗い場に飾ってあったものです。

何ができるにせよ、できないにせよ、こういう子ちのために、ちからをもっと出したい、合わせたい、と思います。

今から避難所の清掃のお手伝いに行ってきます。



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高台は何事もなかったかのよう、対して低い土地は、かなりの広範囲に渡って、音や灯りや生活感が一切無い、荒涼とした大地が続いています。

そんな中での、保育所でのライブでしたが、子どもたちは元気で、きっと大成功でした。

最後に、お返しに、と子どもたちと先生で「ささのはさらさら(七夕のうた)」を、可愛い振りつきで歌ってくれました。

涙がでましたよ。

ライブの後、ハエ叩きを片手に、子どもたちの間を行き来してお昼ご飯の世話をする先生たちに、本当に頭が下がる思いでした。

かえりしな、園長先生がとても優しい口調と笑顔で「実は、大人が疲れてきてますから、…今日は私たちも本当に楽しかったです。救われました」と仰って下さったのが嬉しかったです。
今から、次のライブの場所であります、気仙中学校に向かいます。

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おはようございます。

6時に起床。海風が気持ちの良い朝です。

しっかり頂いて、出発です。

行ってきます。

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