あれから、一週間。
毎日、写真を整理したり、こうしてブログに書き残すことで、陸前高田で見たこと、感じたことを、改めて考えていました。
しかし、何か“答え”が見つかるようなことではなく、ただただ、あの日突然に起こった災害と、その力の猛烈さ、凶暴さ、
そして、事後の生活への影響力のあまりの大きさと、
やはり、普段僕たち人間の築いているものの脆さを、まざまざと感じるのが精一杯でした。
トップ写真の線路は、遠い昔に廃線になった鉄道の線路ではなく、
陸前高田の市内を、あの日、あの瞬間まで走っていた電車の線路です。
線路のみならず、駅舎も壊滅してしまった街。日々の市民の足であった電車の復旧は、まだまだ遠い先のことになるようです。
免許を持たないお年寄り、学生たちは勿論、あの日、クルマを流されてしまった多くの方たちの移動手段であってほしい電車が、無いのですよね。
バスは、臨時ダイヤで走ってはいるようですが、・・・見た記憶はありません。タクシーは、覚えている限りでは一台も見ませんでした。
被災地での駅舎、鉄道の再建に関しては、また、津波の被害に遭うかもしれない低地に建てるのかどうかでも、
意見が分かれているという話もありました。
線路には曲げて作っていい角度(カーブの急さ)が決まっており、津波被害に遭わずに残った駅舎を再利用したい声を考えると(駅の付近住民にしたら、大問題ですから)、
その先の駅舎の位置などの決定が、実に大変なのだそうです。
当然、費用の問題もあるそうですが、本来の法律では、こういった場合に国が資金を援助できるのは、赤字の会社や団体に対してで、
今回被害に遭った路線JR東日本の管理下にあり、そのJR東日本は会社全体としては黒字なため、国が資金を出す対象外なのだそうです。
となると、現行法の下では、JR東日本が、自治体との話し合いの中で再建を進めるしかないそうなのですが、自治体にお金があるはずもなく。
ともあれ、一日も早く電車が動いてくれなければ、色々な生活の場面が復旧するのは難しいでしょう。外から人も入って来づらいですし。
僕たちは一関から70キロの山道をクルマで走りましたが(ずっと山道ではなく、途中には小さな町などはあります)、
移動手段としては勿論、これから必要になってくるモノの流通手段としても、電車の復旧は、最優先課題の一つだと思いました。
対して、クルマに対しては、個人的に、震災後から、ちょっと思いが変りました。
マッチ箱のように水に浮かび、津波に運ばれる車。
一台、1トン以上もの重さがあるのに、ものによっては一台何百万もするものなのに、凄いスピードで移動できるものなのに、
いざとなると、プカプカと浮いて、軽々と流されて、あんなにも一瞬で、完膚無きまでに、壊されてしまうものなんだ、と。
思っていたよりも、はるかに頼りないものなんだな、と。
僕は、俗にいう“スーパーカー世代”ですから、こういうポルシェとかの、いわゆるスーパーカーが大好きな子どもでした。
街道沿いに放置されたままの、このポルシェを見たときにも、「あ!928!」と思わず声を出してしまったくらいです。
しかし・・・、
子どものころ、あんなに憧れた高級車のこんな姿を目の当たりにして、何ともいえない気分になりました。
あの日、クルマで逃げようとして、相当な方が亡くなったのも事実です。
大抵のクルマは、エンジンのある前が沈み、おしり(後ろ)を空に突き出した状態で、浮いたのだそうです。
目の前のフロントガラスは真っ黒な水に沈んでいたことでしょう。
そして、いくらアクセルを吹かしても、水の上に突き出た後輪は、ただただ、虚しく回転するだけだったことでしょう。
考えるだけで、恐ろしいです。
しかし、クルマは、必要。
ペシャンコになった車のすぐ横で、中古車が売られていました。
これも、特別な場所ではなく、街道沿いから見える風景です。ポルシェと、ちょうど反対側になります。
奥には横倒しになったコカコーラの自動販売機。こんな場所にもともとあったとは思えませんから、街から流されてきたのでしょう。
田んぼに頭を突っ込むようにして壊れたままのトラック。
この通りは、街へ通じる一本道ですから、何度もここを通りました。
ですから、何度も、この、
ピアノを見ることになりました。
あの日から、ずっとこうして、空を仰いでいるのでしょう。弦が張ってあるところにはドロが溜まり、草まで生えてしまってます。
せめて、真っ直ぐに起こしてあげたい複雑な気持ちで、それでも毎回、見えなくなるまでピアノから目を逸らすことができませんでした。
弾いていた人は、・・・もしかしたら、子どもだったかもしれないですが、どうなったのでしょうか。
いえ、ピアノは流されてしまったけれど、このピアノを弾いた誰かは、
どこかで助かっていてくれていることを信じたいですが、そう祈りますが、
だとしても、その人が、その子が、
また、それまでのように、当たり前のように、穏やかな気持ちでピアノを弾くことができる日は、一体、いつやってくるのでしょうか。
勿論、そんな日が、子の町にも必ずやってくると思ってはいますが、できることなら、一日でも早く、と願うばかりです。
一人の人間の一生は、長いようで、短いものだと思います。
楽器は、練習しなければ、上達はしません。休んでしまえば、それだけ取り戻すのには時間がかかります。
誰かの夢を、チャンスを、守ってあげられたら、と思います。
守ってあげて欲しい、と思います。
僕に何ができるかわかりませんが、「僕にもできることが何かあるはず」という気持ちだけは、これからもずっと持ち続けようと思います。
ではー。