続きを書きます。
第一中学校でのお手伝いの後(左側の体育館が、避難所になっています。この時のことは、また改めて後述します)、
市役所や消防署などがある(あった)、町の中心地付近の様子を見ることができました。
ご一緒に、ご覧になって頂ければと思います。
第一中学校は、町を見下ろす高台(丘のような場所)にあります。
これは、学校の入り口(校門を出てすぐのところ)からは、このように町が見下ろせます。ここまでは、急な坂を二回ほど曲がって学校に上がるのですが、普段は大変だったことでしょうが、それゆえ、この学校は津波を逃れたのですね。
町は、まるで、どこかを埋め立てた直後のようです。
全部が田んぼや畑とかだったわけではなく、ここには、町があり、それが全て壊滅し、今は瓦礫などがかなり撤去された状態なのですね。
その坂を下りてゆきます。見えているのは、海とはちょうど逆方向の、山方面になります。
坂を下りきったところです。右が山方面。被害を逃れています。
左が、海方面です。目の前の家がなくなっているのがお分かりになると思います。
そして、これより右側の低い地域は、その殆どが津波で流されてしまいました。学校の出入り口が、ちょうど明暗を分けたラインでもありましたです。
学校の入り口を左折すると、このような景色になります。何もなくなってしまっております。
奥には、被災したクルマが集められていました。
街中に向かいます。
壁だけが残った、マンション、でしょうか。まるで、爆弾でも落ちたかようです。
コンクリートの建物が、水の力でここまで破壊されるとは、多くの人が想像してはいなかったのではないでしょうか。
道には、あちこちで、まだこのように電柱や、街路樹が倒れたままになっており、歩道を塞いだままになっていました。まだ、自転車は走れません。
暗くなってからでは、歩くのも危ないです。街灯は、一つもありませんから・・・。
写真で見える電柱は、震災後、インフラ整備の為に設置されたものだと思われます。
町が見通せてしまいますが、この辺りは、お店やレストラン、ビルなどがあった、町の中心地です。
高く積み上げられた瓦礫の奥に、病院が見えました。稼動は、しておりません。
瓦礫の高さには、圧倒されます。
これらはごみではなく、あの日まで使われていた、町の人々の、家の、家財の、生活用品が粉々にされたものです。
田んぼに横たわったクルマ。
奥には、ショッピングセンター、役所の建物などが見えます。
田んぼは、地震による80センチにも及ぶ地盤沈下で地面が下がり、四ヶ月経った今でも、このように海水が溜まったままになっていました。
土手のようになってしまっていますが、本来は、このコンクリートの地面の脇が、すぐ田んぼの底だったとのことです。
海沿いの道に、取り残されたままのクルマ。
捻じ曲げられた、鉄骨。
機械を使っても、これだけの鉄骨を、ここまでグニャグニャに曲げるのは難しいのでは、と思います。
津波の恐ろしいパワーに、背筋が凍る思いがします。
このぺしゃんこにされた鉄骨に挟まれ、千切れた木片。
これが、人間の腕だったら、足だったら・・・と想像してしまいました。
こんなにも太い鉄柱が、根本からこそぎ切られていました。
これをしたのは、ブルドーザーでも、ショベルカーでもなくて、水なのです。
その目の前には、
陸前高田キャピタルホテル1000。
陸前高田の誇る、海沿いに建つホテルです。
無残です。
沢山の観光客を迎えたであろう、ロビー。
想像できる「壊れる」という壊れ方を超えて、壊されています。
ロビーには、震災から40日以上たった日付が。×印は、ご遺体が発見された場所だと聞きました。
ホテルの前には、「希望のケヤキ」が植樹されていました。
希望の葉が、枝が、捻じ曲げられることなく、大きく手を広げて伸びますように。
ではー。