先ほど、大きく揺れました。皆様、大丈夫でしょうか。
色々と印象に残ったことなどを書く前に、
やはり、少し時系列に沿って書いていく方が、
皆さんにも伝わり易いと思いますので、今日は、到着までを。
勿論、途中のエンジン・トラブルで立ち寄った栃木での二時間などを入れて、
約10時間強の行程でしたが、それをほんのわずかの写真で追っていくので、
飛び飛びになってしまうのはやむなしなのですが・・・、どうか、補完して読んでいただけたらと思います。
東京は梅雨明けの良い天気。もう、良いというより“辛い”だろう、という、微妙なところですが。
首都高速には渋滞もありませんで、見慣れた都会の風景を横目に、いざ出発。
途中のエンジントラブルには、ゴロくんも「うわっ、なんで今日こんな・・・」となっていたのですが、
ともあれ、出発できることになって一安心。
「すみません、時間とっちゃって」と謝るゴロくんに、
トミちゃん、
「ぜんっぜん、大丈夫。トラブルなんて、あって当たり前。わっはっは、気にせず行こう。」と、言って「それよか、お腹へったねえ」などと言って「すみませーん、この辺でおいしいラーメン屋さんはどこでしょう?」とショップの方に詰め寄ってました。
で、こちらの栃木スバル栃木(川村ケン川村、みたいな)の方々が、メカニックの方から受付の方まで、本当に皆さん親切で、
本当によくして下さって、なんとお勧めのラーメン屋さんの営業時間をパソコンで検索、さらには地図までだして説明してくださったり。
クルマ屋さんとこういう付き合いはしたこと無かったので、嬉しかったなあ。
・・・さっきの地震・・・。皆さん、大丈夫かな。ご無事を祈るばかりです。
石焼ラーメン、火山。
スバルの皆さんには、「この暑さでは、アレですかね」と言われたのですが、「むしろ、燃えます。行きます」と。
300度にもなっているという石焼の器の中には、麺と具のたっぷり野菜が。
そこに、テーブルでお店の方がスープをかけてくれて、二分ほどグツグツ煮ると、食べごろなのだそうです。
スープをかける時には「はい、では噴火します」と言ってました。面白かったなあ。熱かったなあ・・・(←最後まで冷めない)。
なので、めっちゃくちゃ、汗をかきましたが、
その分、カキ氷がセルフで作り放題の食べ放題なのです。なんとも嬉しい、「これしかないね」という、最高のデザートでした。
・・・ちなみにこちらのお店、僕たちが着いた時には「すみません。今からお昼休みなんですよ」と一度は断られたんです。
でも、三人して「・・・どうにかなりませんか・・・おなかペコペコで・・・。東京からきたんです。岩手までいくので、是非ここで腹ごしらえを・・・」と泣きながら頼むと、
「わかりました。じゃあ、作りましょう!」と、特別に入れてくれたのです。嬉しかったなあ。
貴重な休憩時間を削って作ってくれたラーメン、美味しかったです。ありがとうございました。
さて、このままでは、普通の旅の食べ物ブログになってしまいますので、出発します。
(でも、食べないとやばい、とは思っていたので、何があってもその時間はしっかりとろう、と決めていました)
宇都宮餃子も食べました。
福島が近づきます。
正直、ある種の緊張といいますか、感慨があります。
福島にお住まいの方がたにとっては「なんだよ」と言われるかもしれませんが、
今から、あそこにいくのだ、という何か特別な気持ちが、確かにありました。
牛もいました。震災前なら、写真など撮らないであろう、ありきたりの、のどかな風景。
・・・日本の食は、どうなっていくのでしょうか。
そして、いよいよ
福島県に入ります。
当日のブログでは、携帯での写真を載せましたが、こちらは安達太良SAです。
右の海岸沿いに「Jヴィレッジ」のイラストがあります。
なんとは無しに海の方向を見ると、
なんか、もくもくと(中央左くらい)。
いや、結果的に何でもないんでしょうけれども。
ただの雲なのでしょうけれども、
一瞬「あ。何かあったのかな」とは思いました。
「がんばろう!福島」コーナー。
まさに“ここ”では、これを売らないと生活ができない人たちが沢山いらっしゃるわけです。
そして今、自分はそこにいるわけで。
複雑な気持ちでした。
本当に、ウルトラマンがいてくれたらな・・・。
さて、出発です。
宮城のあたりで雨がぱらつきまして、空が赤くなってきました。キレイでしたが、不思議な色でした。
あとはゴロ君がまっしぐらにクルマを走らせてくれる中、現地での曲目や曲順のことを相談していると、やがて日も落ちて。
一関インターチェンジに到着です。
高速道路は無料にしてもらっております。
「はい、どうぞ」と、たまたまこの写真では怖そうですが、おじさんは笑って送り出してくれました。
右へ、海のほうへ、行きます。
一関から陸前高田までは約70km。
こういう「陸前高田」と書かれた看板がしょっちゅうあり、キロ数が書いてあるものも沢山ありました。
それだけ、陸前高田に向かう人は、多かったのだと想像できます。
そうなんです。陸前高田は、岩手でも有数の観光名所でもあったのです(素晴らしい松原やキレイな海などで)。
山道は外灯も少なく、クルマのライトだけが頼りです。
動物なんかもいるので、気をつけないとですよね。
でも、ゴロ君の運転は、そのあたりにも気遣いがばっちりの、安心の運転でした。
このあと、陸前高田の街並みに入るあたり(明るければ遠くに海が見えてくるあたり)で、例の“ライン”が現れます。
突然、ぺしゃんこになったクルマがあり、がらんどうになった家があらわれます。
ただ、暗闇の中の一瞬の出来事ですので、カメラでは追いきれませんでした。
これは、陸前高田を過ぎ、大船渡へ行く途中の一枚です。
クルマを停めると、そこは大船渡の漁港。
本来は高いところにあるはずの看板は、地面に横倒しになったままでした。
宿に着きました。
宿のおじさんが「はい、こちらの新館へどうぞ」と案内してくれたそこは、
窓の何枚かは無く、
天井も落ちた、建物でした。
海を見下ろす高台にありますが、一階は水没したのだと、すぐにわかりました。
宿のおじさんは、別段、「津波で壊れちゃっててね」などとは、一言も言いませんでした。
ただ、「はい、こちらです」とだけでした。
新しい販売機があったのは助かりました。
コンビニは、さっきの山道を、30分以上は戻らないとないそうですから。
普通に何でも買えた街には、今はもう、何も無くなってしまっているのだそうです。
ここの上に、泊まります。
津波、来ないといいな、と思いながら部屋にはいるやいなや、
ガタガタガタッ!と揺れました。
こちらが震源の地震ですから、東京で感じる揺れのように、ちょっとずつ「ゆっさゆっさ」ではないんですね。
震源が近いので、まったく突然「ガタガタガタッ!!」っていきなり大きく揺れて、それが、ピタッって収まるんです。
これは怖い。
緊急地震速報とか、ここでは役に立ちません。鳴った瞬間には、揺れているでしょう。
というか、もう、一関から少し山に入ったあたりから、ネットの電波は飛んでないので、
僕のiPodは、ネット端末としては、まったくの役立たずになっておりました。
ドコモはしっかり入ってましたよ。
宿の目の前から見た海です。水面は10m以上は下にあります。
この広い海の海面が、今僕が立っている場所まで、、僕の頭の上まで来たのかとは、
にわかには信じられない気持ちがしながら、海を見ているうちに眠くなりました。
トップの写真は、この新館の一階の部屋を乾燥させるのに使っている扇風機です。
水に深く浸かってしまった建物は、まだ、湿っているのですね。
それでは、続きはまた、です。
ではー。