続きます。
基本的には、できるだけ時系列で書いて、今回の記録として残しておこうと思っております。
さて、大船渡の宿から陸前高田の市内まで約30分、そこからさらに15分ほど走りますと、「陸前高田市災害ボランティアセンター」に到着です。
このように、色々な場所からクルマやバスでボランティアが集まってきているのですね。
広島、横浜、札幌ナンバー・・・、一番左のスクーターは東京の板橋区のナンバーでしたが、ここまでこれで来られたのでしょうか。
沢山いらっしゃいましたが、それでも、GW以降は、ボランティアに訪れる方の数は右肩下がりだそうです。
震災の後しばらくは、この何倍もの方がいらしていたそうですが・・・。
現地では、人手は、まだまだ必要です。これはもう、年単位で、ずっと必要だと思います。
「初回」、「二回目以降」など、登録をする場所が違います。
資格や団体の人数などによって、こちらのセンターの方が、適した仕事を割り振ってくれるのです。
ボランティア内容などを登録しておくことで、二回目以降では、「その作業に関しての経験があります」となるのですね。
朝礼のような形で、注意事項などがアナウンスされます。
水分をしっかり摂ること、休憩をとること、今日も暑くなりそうなので熱射病対策をしっかりしてください、作業は15時までですが、今日の気温を考えると14時には上がってください、などといったことが告げられます。
「耳の後ろも要注意ですので」などと、細かいところまで、注意を促してくれます。
テレビカメラは、たまたた取材で入っていたようでした。
その後、
「〇〇県から来ましたボランティア△名です!今日は、※※の作業にあたります。よろしくお願いします!」
「〇〇県、××女子大学からきました!△名です!今日は、※※のお手伝いをさせてもらいます!」
などと、団体で来ているチームが、人数や作業内容を申告していきます。アメリカ人の15人ほどのチームも来てました。
「ほかに、ありませんか?」と訊かれ、トミちゃんが輪の中に走って行き、「東京から歌を歌いに来ました!三人で来ました。よろしくお願い致します。」といった挨拶をしますと、皆さんから「頑張ってください!」と拍手が起きました。なんか、仲間に入れていただいたようで、・・・素直に、嬉しかったです。
今の被災地で、音楽とか、歌とか、果たして必要とされているのか。
「勘違いだ」とか、「うるさいなあ」とかって言われるんじゃないか。
そんな不安が、ずっとあったのは事実です。
今回、そこまでは前もって告知されていた保育所、中学校、工場の皆さんの前、ということでしたが(それでも不安はありましたが)、
最後の四ヶ所目のライブの場所が、あちらに行ってから急に決まった避難所の体育館ということもあり、
こういう思いは、最後の最後まで、ありました。
結果的には、音楽や歌の力を、改めてこちらが強烈に実感することになったのですが。
このように、保険に入ります。
そもそも、ボランティアが現地で怪我をしたり、病気になるのは、できるだけ避けなければいけませんよね。
ここは被災地。余震も続いているのだし、今日、明日だって、何があるかわからないから、しっかり気をつけよう、と三人とも改めて気を引き締めました。
では、出発です。
川沿いを走りましたが、ここも何もなくなってしまっています。
あの日、この川を津波が逆流し、海から6キロも奥地まで、壊滅的な被害を受けたのだそうです。
御神木が、残っていました。
陸前高田の市内に向かうにしがたって、瓦礫が高くなってきます。
そして、痛々しい瓦礫の中から、
気仙中学校が現れました。
この日の午後、演奏を聴いてもらうのは、この気仙中学校の生徒さんたちなのです。
学校は、完全に水没してしまっていました。
ただ、生徒、先生は奇跡的にも、全員が無事だったとのことで、今は矢作中学校という高台にある校舎で、授業を受けているのだそうです。
しかし、この校舎の様子には、本当に言葉がありませんでした。
ここが、あの高さまで、一面海になったのだと思うと。
津波で流されてしまった今泉保育所の子どもたちが身を寄せている、長部保育所に到着です。
なんと、園長先生がわざわざ出迎えてくださいました。恐縮でした。
「今日はよろしくお願いします」と、ご丁寧なご挨拶を頂きましたが、
いえいえ、こちらこそ何卒よろしくお願い致します、です。
演奏するのは、こちらの遊戯室です。
遊戯室には、このように物資が積まれておりました。
窓には、地震で割れてもガラスが散らないようにでしょう、テープが貼られていました。
ピアノ、お借りします。カワイでしたよ。
演奏を終え、機材を積み、外に出ますと。
ちょっと、大きく載せるのは止めたのですが、
このペットボトルの中身は、・・・全てハエです。
今月に入ったあたりから、被災地では、ハエが大量発生し、問題になっているのです。
「被災地 ハエ」などと検索していただければと思います。
ペットボトルには、砂糖、お酢、お酒などを配合した液体を入れるのだそうですが、
酷いときには一日で一杯になるそうです。
演奏の模様などは、トミちゃんのサイトに、曲目などもありますので、そちらをご覧頂ければと思います。
ライブの内容などに関しては、僕からは、また改めて。
でも、ひとつだけ。
・・・当日も書きましたが、園児のみんなの「たなばたさま(ささのはーさーらさらー、のあの歌です)」は、本当に深く心に残りました。
また、振り付けだと思っていたのは、手話だったそうです。素晴らしいことですよね。
さて、先生や子どもたちにご挨拶をして、中学校に向けて出発です。
「きをつけてかえってください!」って、沢山の子どもたちが言って・・・いや、あの声の大きさだと、“叫んで”送り出してくれました。
高台にある保育所を出発し、わずか5分も走りますと、このような光景になります。
住宅の土台はありますが、建物は全て無くなってしまっています。
この学校も、校舎の窓は全て割られ、体育館もご覧のように壊滅していました。
祠に上がる参道が、途中で崩れてしまっています。あそこまで、津波が来たのでしょうか。
バス停だったようです。後ろの建物は、なんだったのでしょうか。
走れども走れども、道の左右は、こういう風景です。
このあたりは、海岸から数キロは内地です。海が見える場所ではまったくありません。
まさか、だったことでしょう。
大きなお家に、スプレーで書かれた「3/21済」の文字がありました。
全てが現実に起こった事なのだということを、強く突きつけられます。
それでは、続きはまた、です。
ではー。