アメリカでは、電車がびっくりするほど普及していません。
ロスにも、一時、鉄道網を敷く計画があったそうですが、
立ち消えになったとか。
「電車でなんか移動されたら、困るんだ。クルマを使ってもらわないと。ガソリンを使ってもらわないと」
自動車業界、それと、石油業界が、許さないからだということです。
だから、京都議定書にだって、署名したが批准は拒否。
排気ガスを規制するのは、・・・困るんだよね、ということです。
批准って、難しいですよね。
「全権委員が調印して内容の確定した条約を、条約締結権をもつ国家機関が承認すること。 」
となるのですが、要するに、京都議定書に関しては、最終決定は見送らたということです。
アメリカは、クルマ社会(排気ガスを排出するが、ガソリン車に乗ることを今後も)を貫く。
ということです。
地球の温暖化には悪影響ですが、それでも、自動車業界の利権は手放すことはない、ということです。
企業の力って、政治と無関係じゃないんですよね。
勿論、日本だって。
規模が大きくなればなるほど、距離を置けなくなるわけです。
関係が近くなってしまうのです。
力を手に入れることは理想の実現の為に常に正常な発想であり、行為だとして、
でも力を手にすると、それを利用しようとする別な力が寄ってくる。
これが難しいですよね。
捌くとか、受け流す、ではなくて、
やはり“付き合っていく”という“必要”がでてくるのが、現実。
そういう意味で、世の中は、連鎖です。
結局は人同士。
国だって、人の延長上に成り立つもの(不思議なことに、時に人が無視されますが)。
せめて、どうにか自分を見失わないようにしないとですよね。
個人の力は、微々たるものですが、
それでも、その微々たるものの集まりが、
声であり、
意思を持った団体であり、コミュニティであり、
基礎であるわけです。
本当に、難しい世の中になってきてるなあ、と思ったりもします。
いろいろと、・・・もっとのびやかでいいのにねえ、と。
と、笹寿司を食べながら考えてみたりして。
ではー。