昨年7月12日から14日まで、文字にすれば、
“わずか二泊三日”
の日程で、陸前高田市へ向かいました。
あれ以来、震災のニュース、特集番組、ドキュメンタリーや、
ネットや新聞などの記事などを見るたびに、
僕は、あの旅で見た光景を思い出さないことは、一度もありません。
(ここ一週間ほどのN〇Kスペシャルには、どうしようもないほどに胸を締め付けられ、重く考えさせられ、また、・・・泣かされました。)
僕の書いた、当時の記事を見返しました。
出発前夜。
出発しました。
トラブル?
福島です。
着きました。
一日の始まり。
ささのはさらさら。
ちから。
夕陽。
二日目。
新聞に。
さよなら陸前高田。
以上が、リアルタイムの記事でした。
そして、
一日目。東京から、陸前高田、大船渡へ。
二日目。宿周辺~町へ。
二日目。ボランティアセンターから保育所。
錆びた鉄から、希望の木へ。
破壊者。
線路は続くよ。
新たな日々へ。
こちらが、帰って来てからまとめたものでした。
こちらは、ニ月半ば(震災から約11ヶ月後)に、海外メディアが伝えた、震災直後と、その後の比較写真を掲載した記事です。
『What a comeback! Eleven months after the tsunami ravaged Japan, a series of pictures reveals the incredible progress being made to clear up the devastation』
同じ位置から写したものですから、その変化の度合いがよくわかります。
それにしても、直後の写真の凄まじいことといったら、ありません。
正直まだ、あれが一年も前のことのようには感じられないんですよね。
あっという間の一年でした。
しかし、この記事で。写真は非常に興味深いのですが、
「凄い復興の速さだ」というような感じでかかれているのがちょっと気にはなります。
勿論、路面に転がった車や、大きなタンカーはどかされましたし、
家やビルも、体裁を整えるように、整然とはしています。
しかしこれとて、写真に写された場所は・・・でしょうし(そういう違いがわかりやすいところを選んで記事にしている)、
まだまだ、本当に手付かずの場所が沢山あることは、まったく想像に固くありません。
そういう意味では、復興は進んだともいえるし、まったく進んでいない、ともいえると思います。
こちらの個人の方のブログ記事を、ご参考までに。
「AFP配信の写真で見る被災地の1年前と今」
一部抜粋して、転載させていただきます。
「1年を区切りにマスコミは特集を組み、何か『区切り』を付けたいかのような扱いなのだが、現地に行って実際に見れば、ほとんどの人が『この後一体どうするんだろう?』と感じてしまうはずだ。(筆者は昨年から宮古と石巻と気仙沼の知人のところに行って現地を見ている)
マスコミが伝えない現地の大多数の住民の焦燥感や絶望感は想像を超えている。
マスコミが報じるように確かに一部の人間たちはようやく仕事を始め『動き』が始まったようではあるが、全体的には『ぜーんぜん』という印象。綺麗ごとではない。
一体、国や各自治体は何をしているのだろうとついつい思ってしまうが、国だろうが県だろうが各市町村だろうが・・・『無理』という印象。それほど被災規模が滅茶苦茶なのだ。」
今日は、あれから一年の区切りですが、何かが終わったわけではないことは確かです。
これで何か、誰かの肩の荷がおりるような、そんな話では、きっとなく。
あれから、ずっとその時を過ごされている方々が、本当に大勢いらっしゃることに思いを馳せる日であって、それは毎日続いていることに僕たちが改めて気付くべき日であると思います。
・・・まだまだ、続いている。
まだまだ、これから。
でも、必ず、先には明るい未来が待っていると信じて。
「神様はその人が乗り越えられる試練しか与えない」、というなら、これもきっとそうであると思って。
「なに言ってるんだ。神も仏もないよ!」・・・という感情や、そして、・・・現状が、沢山あることは百も承知の上で。
でも、でも。だからこそ、がんばりましょう。
僕は、あの光景を、あの匂いを。あの暗さと、あの風を。
あれが、毎日の現実であることを、絶対に忘れませんから。
ではー。