ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




昨夜は、興奮のうちに帰り着いたにも関わらず、ほとんど倒れるようにして眠ってしまいました。

リハーサルの初日が10月25日、そして、ブルーノート最終日が11月4日。

初めて玉置さん、松田さんと三人で音を出してから、全ての公演が終わるまで、わずか10日間の出来事でした。

しかし、一生忘れることのないであろうほど、その色(ブルーかな、やはり)は濃く、ぎっしりと粒子の詰まった日々でした。

 

実を言いますと、この10日間に、完全な徹夜が二回、

それ以外にも、2~3時間の睡眠しか取れなかった日がほとんどでした。

一番眠れた日でも、5時間程度だったでしょうか。

 

僕は、食べるのと同じくらい寝るのが大好きですし、

そもそも寝不足は、プレイにとっても良い事などないのは良く分かっておりますので、

これは、寝る時間を意識して削ったわけではなく、

やはり、

 

……眠れなかった、んですね。

 

今まで、色々なアーティストさんと、それは気の張る公演も、それなりに経験させて頂いたと思うのですが、

こんなに、連日に渡って眠りが浅い日々が続いたのは、初めてのことでした。

 

ギター、ベース、ドラム、そのどれもがいない。これだけでも土器が三つ四つ、ごろごろ。

といってまた、自分のピアノ(キーボード)一人だけでもない。つまり、全てにおいて、きちんとした連携が必要。これまた、土器が5~6個、ごろごろ。

そして、歌うのは、あの玉置さん。

 

と、これだけの土器条件が揃っていても、リハーサル初日前までは、それなりに眠れてたんですね。

でも、これが、(普通は楽になるはずの)リハーサル初日を終えてから本番までが、余計に眠れなくなった、という、実に特殊な日々でした。

 

なぜこんなに、直前まで土器が沢山出土したのか。

 

その理由は、これに尽きるでしょう。

やはり、玉置さんという、本当に常人離れした、その存在そのものが“音楽の塊”である、“正真正銘の天才”と一緒にプレイするのだということ。

 ……もうね、あえて変な風に誤解されないことを信じて、かつ、心からの愛情を込めてこの言葉を使わせて頂くのですが、本当に音楽の才能の“バケモノ”である玉置さん。

作曲者として、そして、歌い手として、表現者として、こんなにも圧倒的な力と、高いクオリティと、そして尽きないエネルギーを持った人が、はたして他にどれだけいるでしょうか。

しかも、これまではあった安全地帯さんという、4人のまさに“安全地帯”がそこには無く(なんかうまい事言ったか(笑))、

“むき出しの玉置さん”に対し、松田さんと僕の音という、二人のキーボーディストの音だけで向き合うということ。

 

白と黒の鍵盤だけを武器に(・・・もちろん、武器じゃないですが)。

 

これぞ、ドン・キホーテ。

 

あ、何でも売ってる、という意味じゃなくてね(笑)。

 

その日が確実にやってくることが現実であることが信じられないくらい、

土器が大量出土するわけですよ、昼にもですが、特に夜に(←楽器に触っていない時間、という意味です)。

 

かくして、結果はご覧になられた、お聴きになられた通り。

 

 

玉置さんに乗り、松田さんにおぶさり、

一緒に、決して力をぶつけるのではなく、力を合わせ、音楽を作る、音楽にする。

当たり前のように、ただ、これだけで良かった。

 

ただ、この当たり前が、簡単ではないのも事実。

ですが、今回、これが、この10日間の間に、生まれ、そして、ほぼ完全な形で実現出来たことは喜びでした。

 

レコーディングではディレクターやアレンジにも参加していて、玉置さんと過ごす時間がとても長いスタッフの松井ちゃんにして、

本番初日の1stステージが終わった時に「お二人には……何も言うことがありません。素晴らしかったです。」と。

 

まったくの暗闇の中での手さぐりの中で始まったリハーサル。

初日が終わり、色々な問題が噴出し(これ、ほんと(笑)。ケン築現場の例えで言えば、“建てている場所が違った”というような事態でした(笑))、

「おわー、どうなるのか」という、出土した土器が、さらに粉々になっているような状態から、

……完全復元。というか、見たこともないような新しいものが出土したような感じだった、本番初日。

 

まさに、感動でした。

そして、最終三日目の2ndステージまで、この感動は、見事にバランスをとりきり、連続しました。

素晴らしいゲストの方々を含め、誰ひとり、音でケンカをするようなシーンはありませんでした。

ミュージシャン同士の音によるバトル、なんて表現もあるように、音楽にはこういう火花散らすような戦いもあり、時にそれが面白いのも事実です。

ですが、全て方の音が、玉置さんと、寄り添い、融け合い、見事に、消化……じゃない(笑)、昇華されていたように感じました。

 

 

それでも、土器の出土は止まりませんでした。

その場、その場、で色々なことが決まっていく。

 

例えを挙げましょう。

 

二日目の1stステージには、桃乃未琴さんこと、平岡恵子さんがいらっしゃっいましたが、いらっしゃることを僕たちが知ったは、本番前日。

そして、このバージョンは、キーが途中で女性キーに変わるもので、これは、本番当日になって、初めて音を合わせたものでした。

 

同じく二日目の2ndステージには、押尾コータローさんがいらっしゃり、僕は一緒に「嘲笑」というバラードを演奏しましたが、

これなどは、当日のリハーサルもありませんでした。押尾さんがいらしたのは、本番30分ほど前。

玉置さんを交えて「じゃあ、押尾くんとケンでやってみる?押尾くんのギターにケンが、そこはかとなく音を添えるイメージで。」

こんな口頭での打ち合わせだけで、もう本番だったのです。

 

また、今回、「純情」という、本公演でもひとつの目玉ともなったでありましょう玉置さんの新曲がありました(何度聴いても、毎回泣けてしまう、凄まじい曲です)。

この曲では、僕が途中、ピアニカを使うシーンがありました。

あれは、ブルーノート本番前日の昼間に、玉置さんのお家に集まった時の、確か松井ちゃんのふとしたアイデアがきっかけでして(それまでのリハーサルでは、まだ、音色が決まっていませんでした)、

一応、その後のスタジオで音出しだけはしてみましたが、あとは、本番当日にブルーノートで、初めて玉置さんの前で演奏したものなのです。

 

「あ、いいね!めちゃめちゃいいよ!」

 

はい、決定(笑)。勿論、その時も、その一度しか演奏してません。

そのまま、その2時間後には、本番でした(その間、ピアニカはステージに置いたまま。……「練習しろよ」という話もありますが、その余裕もなかったのかな)。

あとは、毎回、一度ずつ弾いた(吹いた)ので、計6回、演奏したのでした(今回、“ピアニカは本体を揺らすと音も揺れる”という、トレモロのかけ方を、三日目で発見しました。原理的には間違っていると思いますが、気分的にはそうでした(笑))。

今回、生まれて初めて、ピアニカを人前でちゃんと弾き(……吹き?)たように思います。

ちなみにこのピアニカは、柑橘系二人組のツアーの時に、プレゼントとしてヤマハさんから頂いていたものでした。あれから7年ほど経って、ようやく、活躍させてあげられました。しかも最高の場で。良かったですー。

 

……あと、小さなことで言えば、曲順は、毎日変わりましたしね。

まさか、の曲順変更もありましたし(笑)。

 

 

とまあ、こんな感じで、本当に土器土器だらけで、もう、なんなら売るほどの土器がありましたが、

 

……今朝起きたら、一つも無くなっており(少し寂しくもありますが)、

今日は、いつもの月曜日のように、がっこーへ行き、6時間の連続授業の合間に、また廊下でお弁当を食べておりました。

 

今日は、機材の写真をいくつかアップしましたが、そうですねー、忘れないうちに、曲ごとに、どの楽器で、何を考えてプレイをしたのか、解説でもしたいですね。

……そうだ、緑ちゃん倶楽部のメルマガでやりましょうか。そろそろ、今月のメルマガ配信の時期ですしね

いかがでしょうー。

 

ってか、音色の話とか始めると、まーた、マニアックなものになるかもしれませんケンども(笑)。

 

(勿論、緑ちゃん倶楽部では会員さま、ぞくぞく募集中ですよー。「入会希望」とお書き添えの上 info@midorichanclub.com までメールをどうぞー。←しっかり宣伝)。

 

今回のブルーノートでの三日間公演、ワンステージずつ6公演全てが、思い出深く、一生忘れることのない宝ものになりました。

本当に、どうもありがとうございました。

 

 

土器はすっかり見えなくなりましたが、三日間、ここから見た、お客さんの皆さまの笑顔、涙が、まだ目に焼き付いて忘れられません

 

ではー。



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