僕が初めて(意識して)テレビをみた頃、そのテレビの中にいた方が、亡くなりました(ニュースはこちらなど)。
よく、「また、昭和が遠くなった」という言い方をしますが、まさに、そう感じます。
もう、最初の平成生まれの人が24歳なんですよね。
学校に行けば、学生さんたちは、もう皆さん、平成生まれです。
でもやっぱり、町中に、ふと子どもの頃の路地と同じような、昭和を感じるくたびれた風景を見つけたり、
古い映画やテレビ番組でみるファッションや、ほんのちょっとした日常の道具なんかに、狂おしいほどの懐かしさを覚えたり、
単なるノスタルジーと切ってしまえばそれまでですが、
でも、大切にしたい、ノスタルジー。
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ノスタルジア(英: nostalgia)またはノスタルジー(仏: nostalgie)とは、
・異郷から故郷を懐かしむこと。同義語に郷愁(きょうしゅう)・望郷(ぼうきょう)など。
・過ぎ去った時代を懐かしむこと。同義語に懐古(かいこ)・追憶(ついおく)など。
と定義される。(Wikipediaより)
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まさに、今の世界は、異郷でもあると言えましょう。思い描いた21世紀、「ドラえもん」や映画「2001年宇宙の旅」で夢見た未来が、半分くらいは実現していると思うのですが、
あの憧れの気持ちだけではなく、反対に、失ってしまったもの、失いつつあるものへの憧憬(もしかして、どこか執着心に近い?)ものがあることを感じます。
……トシかな(笑)。
と思って、それから読んだWikiのこの先が、とても興味深かったので転載しましょう。
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この言葉は1688年にスイスの医学生・ヨハネス・ホウファー (Johannes Hofer:1669-1752) によって新しくつくられた概念である。
2つのギリシャ語(「nostos」:帰郷、および「algos」:心の痛み)を基にして造った合成語で、「故郷へ戻りたいと願うが、二度と目にすることが叶わないかも知れないという恐れを伴う病人の心の痛み」とされた。
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病気だったのか(笑)。
このあと、ヨハネスは精神科医になって、この「ノスタルジア」という病気の症例を多く取り扱い、診断し、研究したそうです。
続きを読みましょう。
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とくに18世紀から19世紀にかけて、前線の兵士達に蔓延するノスタルジアの現象は重大な精神病理学の研究対象とされ、その原因や病としての症状が分析された。故郷への想いに満ちたこの現象は、しばしば兵士達の間に伝染するが、隊が優勢な時にはそうでもなく、戦況が不利な場合に多く現れる。軍事的な観点からは、生死を前にして勇気を鼓舞せねばならないときに、故郷を想い見る兵士達のノスタルジアは、後ろ向きのネガティブなものとして戦意の喪失と見なされ、排除されねばならない感情とされた。
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興味深いのは、ここです。
「隊が優勢な時にはそうでもなく、戦況が不利な場合に多く現れる」
僕の世代は、まだまだ上り調子の日本に生まれ、僕が20歳の頃、世界的な経済的バブルを迎えました。
まだ学生だったので、別段、バブルといっても、そんなにいい思いをしたわけではありませんが、それでも、思えば、豊かな時代だったと思います。
自分がとか、自分の家が、とかじゃなくて、日本全体が、です。
悩みなんていつだって誰にだってあるものですが、それでも、今のような先の見えない感じではなく(これは、今の日本の経済状況を表す時の一般論としてですが)、
やっぱり、なんとなく、豊かだったように思うのです。
大学生の頃、友達の家に行って遊んでいたら、その友達のお父さんが、「おお、ケンちゃん、来てたのか。これで美味しいものでも食べなよ」と、僕にお小遣いをくれたことがありました。
しかも、一万円、しかも、何度も。
証券会社の支店長をしているお父さんでした。
僕は、目を丸くしたものです。でも、その友達が「いいよ、もらっておきなよ」と言う。
今では、ちょっと考えられないですよね(笑)。
こんなことは珍しいことだったのかもしれませんが……、でも、これは現実にあったことです。
バブルとは、こういう時代でした。
(……まあ、思えば、色々と異常だったんだとも思います。だからこそ、はじけた後が大変でしたね。実際、まだその影響が続いているほどですから。)
ここ数年、特に最近、政治も、なんだか、大変がたついているように見えます。
政治なんて、誰がやっても…というのは、僕は、大きな間違いだと思っています。
やっぱり、日本の舵取り、船頭、パイロットですよね。
パイロットがいつもあやふやで、どこへ連れて行かれるのかわからないようでは、怖くもなります。
是非、しっかりした方に、お願いしたいです。
できれば、政党政治ではなくて、直接選挙にしてほしいですけれども…。
その方が、僕たちにも「選んだ責任」をもっと感じていられるし、選ぶときにも、今の何十倍も熱心になると思うのですが、どうでしょう。
選ばれる方だって。
なんだか難しいことをつらつらと書きましたが、
これからの日本は、僕たち、そして皆さん、そして、これからの子どもたちが作るのは間違いないのですよ。
ここまで頑張ってこられた昭和を代表する大女優さんの死に際し、なんとなく、思ったことを書いてみました。
がんがりましょう。
放浪しながらでも、
とにかく、
つなげていかなくては。
日本を。
僕たち皆の、人生を。
で、なんで写真は餃子なのか、
という問題は、ともかく。
森さん、長い間、本当にお疲れ様でした。
「時間ですよ」を毎回楽しみにして育った人間がここにも一人おります。
ではー。