素晴らしいコンサートでした。
大阪でのことがあってと思いますが、(30日の東京でもなかった)注意を書いた立て看板、そして開演前の日本語、そして英語でのアナウンス。
これまでも、
「傘は(椅子の背もたれに引っかけず)床に置いて下さい」
「携帯、アラームはお切りください」
そして、
「やむを得ない咳などは、ハンカチ等で口をふさぐなど」
と協力のアナウンスがありましたが、
今日は
「キースジャレットのコンサートは即興によって行われます。これには、大変な集中と、静寂を必要とします。どうか、ご協力頂下さい。そして、最後まで音楽の余韻をお楽しみ下さい。」
といった内容の(言葉はこのままではないですが)、アナウンスが加わりました。
それもあってか、キースがステージに登場しての歓迎の拍手の後、ピアノに向かって、最初の音を出すまで、
完全に、無音でした。
これは、僕の経験上では、一度もなかったことです。
いつも、キースがピアノに向かっても、誰かしらのケホン、コホンという咳がありました。
今日は、最初の15分ほどの曲が終わり、ペダルから足が離れ、また完全な静寂になるまで、
誰一人、咳をすることもなく、またフライングブラボーもありませんでした。
なんとも、心地よい、上質な、空間、そして時間でした。
全ての観客が、キースの音楽を、一緒になって作れた、と思いました。
そのまま、前半は美しい静寂の中進み(観客の皆さんの集中力が素晴らしかったです。「なんだ、やればできるんじゃないか!」というのが、嘘偽りのない、僕の正直な感想です。えらそうにすみません。)、
ただ、前半最後の曲で、勿論演奏があまりに素晴らしかったから、とはいえ・・・ここでフライングブラボー。
まだ、足がペダルに乗っているのに、音が伸びているに。
そして、このフライングブラボーは、後半は全曲で続きました。
おそらくですが、聴こえてくる方向から、常に、たった一人の、同じ人。そして、それに乗じる、数名の人。
これは残念でした。
口から楽器を離したら音が鳴ることはない管楽器などと違って、
構造上、ピアノは、手を鍵盤から離しても、ペダルを踏むことでHOLD(保持)できます。
ピアノを少しちゃんと弾いたことがある方なら、自分でペダル操作をしたことがある方なら、
あれは、ちゃんと意志をもって踏んでいることをご存じだと思います。
ただ、それを知らなければ、手を鍵盤から離したら、「終わった!」と思うのかもしれません。
なので、「素晴らしかった!」と勢い勇んで拍手をしたいのかもしれません。
(レコードになった時に、「この最初の拍手は、俺なんだよ!」と自慢(?)したいという変わった人がいることも聞いておりますが)
なので、アナウンスは「余韻をお楽しみ下さい」ではなくて、
「キースが椅子から立ち上がるまで、拍手はお控えください」
とはっきり言ったほうが、双方にとって幸せなのじゃないかな、と思いました。
これは、決して観客に対して失礼なお願いだとは思いませんし。
キースは一曲終わるごとに、フライングブラボーがあっても、あるいは、咳があっても、
基本的に、きちんと観客に深々と頭を下げます。
また、よく手を合わせて、「ありがとう」と、感謝の意を表します。
僕と一緒に音楽を創ってくれて、ありがとう。
ということなんだと思います。
決して、・・・チケットを買って見に来てくれてありがとう、ではないと思うのです。
お金を出してチケットを買ったからといって、ものを買うのとは違います。
玉子を買って、袋を振り回すよう雑に扱って、家に帰ったら、玉子が割れていた。
「これは不良品だった。お金を返せ」とは、言わないですよね。
買ったあとにも、ものによって、それなりの扱い方、というものがあるのと一緒で、
キースのコンサートも、楽しみ方があるのだと思います。
特に今日の前半の、なんと素晴らしかったこと。
思えば、その分・・・大阪の件は本当に残念に思います。
想像するだけで、心が痛みます。
こちらの方のブログに当日の様子が詳しいです。
悲しいことでしたが、きちんと伝えててくれるこういう方がいてくれたことに、感謝です(・・・ほとんどの方は協力的方だったのですよね。本当に、切ないです)。
また、ここ数日、僕なりに大阪の件を考えてみて、一つ、こんなことを思いました。
(・・・ちなみに、キースは若いころから、よく観客の話し声などで演奏できない、出ていくか、あるいは、静かにしてくれ、とお説教をする人だったようです。
時には、あまりに毎回お説教がひどいので~物音を立てずに静かにジャズを聴く、なんてその頃は誰も考えてもいなかった時代だと思います~、メンバーが愛想をつかしたり、出演しているクラブのオーナーが、いつものように「ノイズを出さないでくれ」と説教を始めたキースに。ミルクの入った哺乳瓶を手渡した、なんてエピソードもあります。キースは、それを即座に壁に投げつけて、お説教を続けたらしいです。)
キースには、絶対音感(Absolute Pitch)があります。
音程を聴いたとき、楽器を使わずとも、その音が何という音であるか、わかる力です。
絶対音感には程度がありますが、人によっては、5~6個の鍵盤を同時に押しても、すぐに、全ての音をぴたりと言い当てることができます。
さらに、たとえそれが両手と肘まで使ってグシャーっと押した20個でも、「それはね」と、全部、わかる人もいるのです。
さらに強い絶対音感を持っている人には、、全ての物音が、音階に聞こえるですね。
電話のベルや人の話し声などは当然で、エアコンや冷蔵庫の「ブーン」という音、電車の「ガタンゴトン」という音、テーブルにコップを置く音まで、全て「Do,Le.Mi・・」という音階で聞こえるのだそうです。
つまり、僕たち絶対音感の無い人間には、なんでもない、ただのノイズである咳払いも、クシャミも、傘が倒れる音も、
絶対音感を持つ人にとっては、全て音階のある音に聞こえている、ということなのではないでしょうか。
即興で、一生懸命に集中して音楽を紡いでいるところに、思いもよらぬ音階の音が、不用意に、ポンポンと聞こえてくる。
これは、たとえばゴルフで「さあ、アプローチだ。これを決めれば・・・」という時に、ギャラリーから、ゴルフボールが何十個も投げ入れられるようなものではないでしょうか。
野球で、「このフライをとらなければ」という時に、スタンドからボールが目の前に沢山投げ入れられたら・・・、
まあ、これはたとえ話ですが、これではプレイに集中することはできそうにありませんよね。
キースの困惑が、絶対音感があるせいかどうかは、正直わかりませんが、
でも、このことは、考えておいてもよい事のような気が、僕はします。
でもね、こんなボール、ひとつやふたつなら、キースはこれまでも無視してきたはずです。
なんなら、今だ、と思えば、戦場でだって、ピアノを弾く人でしょう。そのくらい、音楽を創ることに命を懸けている人だと思います。
これまでだって、いつでもキースは集中して、何かノイズ(欲しくない音)があっても、頑張って無視して、音楽を創ってきたはずです。
これまでだって、咳が一つも無かったコンサートがあったとは、現実的には思えませんからね。
でも、あまりにボールが多く投げ入れすぎたり、
タイミングが最悪で・・・、という時に、どうしても集中できない、演奏ができない、という状態になることもあると思うんです。
年齢も、もう、明後日で69歳です。
キースの音楽創りを、皆で協力して守りたい、と僕は今日のコンサートを見て、やはり思いました。
あんなに素晴らしい音楽を、何十年にもわたって、目の前で生み出し続けてくれる人なんて、この世に、何人も、いないですよ。
こと、ピアノで、ということなら、おそらく、キース・ジャレットただ一人、だと思います。
今夜は、いつにも増して、ブルースをルーツとした曲想やフレーズが多かったように思いました。
キースが、キース本人の音楽の原点に戻っていっていると感じた瞬間が何度もありました。
こんな夜だからこそ、だったのかな、なんて(勝手に)思いました。
本当に、素晴らしい演奏でした。
ありがとうございました。
ではー。