お代わり自由、とありますと、
「しなきゃいけない」と思ってしまうのは、ある種、軽い病気なのでしょうか。
Wikipedia「お代わり自由」
え、そんな項目のWikiが?
いったい、どんな定義と解説を?
歴史とか由来とか、その他エピソードとかもあるのかな。
あの、玉子焼きだけのおかずに対して、丼ご飯を35杯お代わりして、伝説と言われた「お代わり太郎」のことも書いてるのか。
と思ったら、全然関係なかったです(こちら)
……ええ、お代わり太郎なんておりません。僕の創作です。
と思いましたら、
Wikipedia「お代わり太郎」
……ないです、なかったです(←一応、調べた(笑))。
こちらのお店ね。
「お代わり下さい」
ってお願いすると、お椀(こ振りの丼ですが)を渡しますと、
ちらりと「おかずの残り具合」を見るんですよ(笑)。
「ははあ、この人は、このくらいのおかずで、ご飯一杯食べて、あとあれだけ残ってる。ということは」
と計算しているのだかどうだかわかりませんが(笑)、必ず、一瞬、おかずのお皿を見る。
そして、僕は、必ず、店員さんの目線を見る。
「はい」と頷いて、厨房に戻る店員さん。
この間、間違っても食べてしまっておかずが減らないように、お箸は置いて、
スープなどを飲みながら、待つのです。
するとやがて、「はい、どうぞ」と、ほどよい感じの量のご飯が、戻ってくるのです。
・・・戻ってくるといっても、反芻して戻ってくる、というわけじゃないですけどね。
新たに、店員さんが持ってきてくれるということですけどね(わかるよ)。
絶妙な量。
中華料理は、こちらも、最後に少し残すのがマナーといわれているくらいなので、
基本、やや多めに出してくれるものです。
でも、僕は食べちゃう。
おかずとのバランスを計算しながら、ちょうど終わるように、美味しく頂いちゃう。
そう、ぼくとしては、
「(そうそう、まさに、この量が欲しかったんですよ)」
と内心思いながら、ちょっとだけ無理しながら(笑)、食べきるのです。
先日。
このいつもの店員さんが、忙しかった。
それでも、僕が「お代わり下さい」というと、
そのいつもの店員さんが、「はい」と丼を取りに来てくれて、いつものように、チラッ・・・
僕もチラッ。
・・・とここまでは良いのです。
しかし、忙しいこの店員さんに代わって、厨房にいた別な男性定員さん(いつもは料理を作ってる方)が、ホールに出てきていて、
「俺がやるからいいよ。君はあちらのテーブルに」と、まったく分からない中国語で話した(と思う)のです。
僕の丼は、その厨房さんに手渡されました。
……嫌な予感しかしない。
いつものように、スープを飲んで、待つこと30秒ほど。
出てきたのは、
丼一杯の、ご飯。
いわゆる、ほんものの「お代わり」。
やや、最初より多いんじゃないか、という(笑)。
いやー、この日は、まいりました。
だって、普通に出てきたら、おかずが足りなくんなっちゃうんですよ。
え?ああ、ご飯の量自体は、おかずがあるなら、35杯・・・
いや、まあ、4杯くらいは、頑張ればいけるかも知れません。
ケン康第一。
しっかり食べて、がんがりましょう。
(今日のお昼は、3分でおにぎり二つとおかずを食べました。我ながら、早回しみたいだな、と思いました)
ではー。