かつて、マイケルジャクソンが初来日の際、
空港から真っ先に向かったのは、ホテルでもライブ会場でもなく、
大ファンだった「世界のトミタ」先生のアトリエ(作業部屋)だったそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=Kxz9t-MHHIs
冨田先生がご逝去されました。
子どもの日、倒れられる1時間前まで、楽しそうに仕事の打ち合わせをされていたとのこと。
「11月まで死ねなくなっちゃったよ」
と笑い、その後、お亡くなりになられたそうです。
本人は亡くなったと思っていないと思う、といった趣旨のご子息のお言葉を読みました。
そうなのかもしれませんね。
ならば、
「あれ?今回は、休みが長いな。まだ寝てていいのかな」
なんて。
少しゆっくり休まれて、
またどこかで、元気よく、
ま新しい身体と共に、オギャーと生まれて、
「さて、新しい音をさがすよ!」
と、嬉々としてシンセに向かわれる旅を始められるのだろうな、
なんて妄想すらしてしまいます。
数年前、
「そういえば、川村さんは」
と、僕に年齢を訊かれて、
「41歳です(当時)」と答えましたら
「え、まだ41歳ですか?いやあ、若いなあ。まだまだ、僕の半分ですねえ。」
とニコニコと笑っておられた先生の、メガネの奥の、まるで子どものような目が、思い起こされます。
そして、東日本の震災があり、あの三日後でしたか、
「先生、大丈夫ですか」とお伺いを差し上げましたら、
「大丈夫じゃないです。これでは、締切に間に合わなくなってしまいます」
と、作品の心配をされていた先生。
音楽家たるもの、かく生き、かく逝くべし、のお手本なのかもしれません。
心より、シンセサイザーの神様、冨田勲先生のご冥福をお祈りいたします。
では。