愛読書に「ZERO ゼロ」というマンガがある。この世の中にあるものは一目見ただけですべて再現するというスーパー人間で、古今東西のあらゆる事績に通じ、いくつもの言語を解し、各国に美術制作のための別邸を持つという知のウルトラマンである。ゴルゴ13の時のようにそんなある意味怪しい人間がなぜどこにでも入国できるのだ?という突っ込みはさておき、いつの時代の美術作品でも制作者になりきり、完成させてしまう。その過程で制作者の人生が浮き彫りにされる蘊蓄エンタテイメントにはまっている。実は、このブログで美術関係のものを書くときネタを少しパクらせてもらったりしている。専門書を読む能力のない筆者のようなブロガーのいわば虎の巻である。
その「ZERO ゼロ」に公演の直前に突然耳の聞こえなくなった天才ピアニストがゼロにベートーヴェンのピアノ(ブロードウッド社の伝説のピアノという)をつくってもらい、耳が聞こえないままコンサートを成功させるという話がある。ベートーヴェンは1802年すでに難聴が進行しており、絶望の淵に立たされ遺書をしたためたという。ところが、その2年後「英雄」を書き上げ、さらに完全に聴力を失ってからもいくつもの曲を書き上げ、24年ついにこの交響曲第9番を発表する。すなわち日本人の大好きな第九はベートーヴェンがすでに完全に耳が聞こえない状態で作曲したというのである。
くだんの「ZERO ゼロ」では、べートーヴェンが音を耳で聞いていたのではなく、指先でその響きを感じていたため作曲できたのだという筋立てになっている。「ZERO ゼロ」はマンガとは言え、美術を中心に最新の学術書(時にはトンデモ本もあろう)をベースに創作されているらしく、ベートーヴェンが聴力を失った後も作曲できたのは細かな説明はともかく耳以外に音を感じる力があったというのは否定できないであろう。
第九の発想はベートーヴェンが20代の頃シラーの詞『歓喜に寄す』にいたく感動し、曲をつけようと思い立ったからとされるが、完成までに30年以上もかかっていることになる。もちろん作曲し始めたのが1815年からであるそうで、聾の中で、作曲したことになる。それでもあれほどの完成度を現出させることができるのか。
今回数年ぶりに生の第九に触れたのは筆者の同僚が合唱団として参加しているからである。合唱練習に毎週(かな?)励む同僚をはじめ100人を越える合唱は圧倒である。そこまで合唱を好む、志す者にとって、いやそれをわざわざ聞きに行く者にとって「第九」は限りなく親しみやすく好もしい作品であるらしい。なにせ「歓喜」であるのであるから。
同僚が参加していたのは大阪のフロイデ合唱団であるらしいのだが、昨年古い友だちが兵庫県にあるフロイデ合唱団に参加しているので聞きに来てというので行った覚えがある。それほど素人合唱団が盛んな理由には何かあるに違いない。大きく歌うのが気持ちがいいし、音を体で感じ、表現するのもおそらく心地よいだろう。なによりも、フランス革命でハプスブルグ家出身のマリー・アントワネット処刑後ウィーンをめぐる状況は厳しさを増し、ベートーヴェンならずとも文化保持の困難さを感じたに違いない。その中にあって、自己のおかれた状況と社会状況に一縷の光を見いだしたベートーヴェンの前向きな創作意欲に、それら背景を考えない第九好きの多くの日本人に、ベートーヴェン没後100年ほどでファシズムに走ったドイツにいち早く同盟化した日本(人)の姿を重ね見るのは強引であろうか。
何はともあれ歓喜に成功した同僚をはじめとする出演者にグリュースゴット!
その「ZERO ゼロ」に公演の直前に突然耳の聞こえなくなった天才ピアニストがゼロにベートーヴェンのピアノ(ブロードウッド社の伝説のピアノという)をつくってもらい、耳が聞こえないままコンサートを成功させるという話がある。ベートーヴェンは1802年すでに難聴が進行しており、絶望の淵に立たされ遺書をしたためたという。ところが、その2年後「英雄」を書き上げ、さらに完全に聴力を失ってからもいくつもの曲を書き上げ、24年ついにこの交響曲第9番を発表する。すなわち日本人の大好きな第九はベートーヴェンがすでに完全に耳が聞こえない状態で作曲したというのである。
くだんの「ZERO ゼロ」では、べートーヴェンが音を耳で聞いていたのではなく、指先でその響きを感じていたため作曲できたのだという筋立てになっている。「ZERO ゼロ」はマンガとは言え、美術を中心に最新の学術書(時にはトンデモ本もあろう)をベースに創作されているらしく、ベートーヴェンが聴力を失った後も作曲できたのは細かな説明はともかく耳以外に音を感じる力があったというのは否定できないであろう。
第九の発想はベートーヴェンが20代の頃シラーの詞『歓喜に寄す』にいたく感動し、曲をつけようと思い立ったからとされるが、完成までに30年以上もかかっていることになる。もちろん作曲し始めたのが1815年からであるそうで、聾の中で、作曲したことになる。それでもあれほどの完成度を現出させることができるのか。
今回数年ぶりに生の第九に触れたのは筆者の同僚が合唱団として参加しているからである。合唱練習に毎週(かな?)励む同僚をはじめ100人を越える合唱は圧倒である。そこまで合唱を好む、志す者にとって、いやそれをわざわざ聞きに行く者にとって「第九」は限りなく親しみやすく好もしい作品であるらしい。なにせ「歓喜」であるのであるから。
同僚が参加していたのは大阪のフロイデ合唱団であるらしいのだが、昨年古い友だちが兵庫県にあるフロイデ合唱団に参加しているので聞きに来てというので行った覚えがある。それほど素人合唱団が盛んな理由には何かあるに違いない。大きく歌うのが気持ちがいいし、音を体で感じ、表現するのもおそらく心地よいだろう。なによりも、フランス革命でハプスブルグ家出身のマリー・アントワネット処刑後ウィーンをめぐる状況は厳しさを増し、ベートーヴェンならずとも文化保持の困難さを感じたに違いない。その中にあって、自己のおかれた状況と社会状況に一縷の光を見いだしたベートーヴェンの前向きな創作意欲に、それら背景を考えない第九好きの多くの日本人に、ベートーヴェン没後100年ほどでファシズムに走ったドイツにいち早く同盟化した日本(人)の姿を重ね見るのは強引であろうか。
何はともあれ歓喜に成功した同僚をはじめとする出演者にグリュースゴット!