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「教育」や「学校」は子どもを生かしも殺しもする 「型破りな教室」

2025-01-03 | 映画

2021年4月19日、大阪市松井一郎市長(当時)が、新型コロナウイルス(COVID19)禍で緊急事態宣言が出されたら市立学校を全てオンライン授業にするといきなり発表した。その年の2月すでにオンライン授業を経験し、ネット環境などのインフラ不備や低学年も含む全ての児童へのオンライン授業はふさわしくないと考えていた大阪市立木川南小学校校長の久保敬さんは、それまでの市の教育行政への違和感も含めて松井市長に考え直してほしいと「直訴状」を直送した。これが久保さんの友人を介してネット上に一気に広まり、久保さんの意見に賛同する声とともに、松井市長・大阪市教育委員会側からの久保さんへの「事情聴取」が始まった。結果的に久保さんは8月20日に公務員の信用失墜行為として文書訓告を受けた。久保さんは翌2022年3月に定年退職し、文書訓告の撤回を求めて活動を続けている。

「型破りな教室」のファレス先生と久保さんの実践は同じではない。けれど、「教室」で描かれる子どもや学校現場の実態を無視した一斉学力テストや、その点数だけで子どもや学校を序列化し、いたずらに競争を煽る教育行政の姿勢、IT環境の不備、学力テストの予習以外の授業を認めず、学校に乗り込んで来る市長や、はてはファレス先生の停職まで、全て大阪の教育現場で実践されてきたことだ。「教室」はメキシコの国境の町マタモロスの学校での事実に基づく。2011年の出来事なので久保さんの事件より10年前のことであるが、上述の学校、教員への締め付けや攻撃は、大阪では2008年に橋下徹大阪府知事が誕生した時から進行していたことだった。

「教室」が大阪の状況と大きく異なるのは、貧困や暴力が町にはびこり、麻薬組織の抗争などで道に死体が転がる情景や学校に行かない、行けない、途中に消えてしまう子どもが少なくないという実態だ。もちろんテストの成績は全国最下位クラス。ごみの中から鉄屑など金目のものを拾っては生計を立てる父と暮らすパロマ、無計画に子を増やす家庭でヤングケアラーの役割を押し付けられているルペ、そして兄が銃や麻薬などの運び屋でそれを手伝うニコ。日本ならみんな小学6年生に当たる年頃。「裕福」や「恵まれた」環境と正反対の彼らのもとに赴任してきたのはちょっと熱血なファレス先生。机を取り払い、校庭に飛び出す実践的な授業で生徒らに自ら学ぶ楽しさを気づかせるタイプはまさに「型破りな教室」。しかし、おそらくギフテッドのパルマは宇宙工学研究につながる数学や物理に才を見せ、家庭責任か自己実現かの葛藤に悩むルペは哲学や倫理学を志し、学校が嫌いだったニコも前向きな少年に。だが物事が全てうまくいくわけではない。

原作は雑誌『Wired』2013年10月号に掲載された記事から、クリストファー・ザラ監督が着想を得て脚本、制作も担った。ファレス先生とパルマは実在で、ルペらは虚構の世界だが、学校の存在や子どもらが全国テストで国内試験のトップに食い込んだのは事実。ファレス先生は現在もメキシコの学校で勤めているという。学校では子どもに夢を見させるのが教師の仕事という面もあるが、現実の世界では夢を諦めさせる、夢を見させない役割を担わされている。そして、現在の教育システム自体がそうなるように組み立てられており、また、「教育は2万%強制」とのたまった橋下知事に象徴されるように、教育や学校を為政者の思惑通りにコントロールしようとする政治家も多い。ファレス先生の授業実践を「見学」して、停職を発する市長の行動は、東京都立七生養護学校(当日、現在は七生特別支援学校)に大挙して、教員らを攻撃、処分を課した当時の東京都議会議員らの行動を彷彿させる(2003)。

本作品の「教室」と大阪の状況は相似形と前述したが、「教室」の周辺では子どもが暴力事件に巻き込まれ命を落とすことがあるが、現在日本で小学生の自殺まで報じられていることと同じではない。しかし、子どもを守る大人の役割・責任が不全であることに違いはない。

(「型破りな教室」2023 メキシコ映画。参考文献『フツーの校長、市長に直訴! ガッツせんべいの人権教育論』久保敬 2022 解放出版社。『ルポ 大阪の教育改革とは何だったのか』永尾俊彦 2022 岩波ブックレット)

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