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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ついに完結 日本いや世界で一番リーメンシュナイダーを撮った『完・祈りの彫刻』

2020-12-21 | 美術

私のリーメンシュナイダー巡礼の師匠福田緑さんが4冊目を上梓し、完結した。今回は3冊目に続いて同時代の作家も多く取り上げている。もちろん知らない作家ばかりだ。しかし、リーメンシュナイダーを見出した福田さんの慧眼は同時代の作家にも及んだことがわかる。そう、福田さんのレンズから逃れることはできないのだ。そしてそれらの多くは、教会など宗教施設に収蔵され、今も祈りの対象となっていたりする。私も訪れたことのあるドイツはクレークリンゲンのヘルゴット教会に座する「マリア祭壇」は圧巻であった。

今号ではまずリーメンシュナイダーの作品を「聖母の手」「息づく手」といった各々の作品の魅力的なパーツから紹介、分類しているところから始まるのが面白い。これは勝手な想像だが、2019年11月に開催された「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」展(ギャラリー古藤)https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/352a04fba9248de9ae20e0f7d1f13c0f)で永田浩三さんが、リーメンシュナイダーは手(の彫刻)が素晴らしい旨話されたことと関係があるのではないか。そういえば、私もリーメンシュナイダー・ファンの端くれとして彼の作品は眼や顎など顔を表情から遠くから見つけることができるが、手の出来栄えも見極める重要なファクターだと思うからだ。もちろん、私には見極められないが。ところで、聖母子像では彫刻であろうと絵画であろうと幼子イエスはマリアの左側(向かって右側)に頭部がきて、マリアを見上げるように抱かれているのがお決まりだが(もちろん例外はある。例えばリービークハウスの聖母子像(9頁〜))、この体勢ではマリアから見ると左下に視線を向けていることになる。この理由を西洋美術がご専門の先生に尋ねたことがある。先生は例外もあるとした上で、キリスト教絵画では構図的に、右側が重要あるいは聖性が高く描かれることが多く(例えば、ミケランジェロの《最後の審判》では右側に救済された人、左側は地獄に堕ちる人)、そういった意味もあるかもしれないが、ルネサンス期より以前、ビザンチン美術では正面にイエスを座らせている構図が多いと紹介された。私見では遠近法が確立された初期ルネサンス以降、絵画ではもちろんのこと、彫刻の世界ではもっと以前から写実的な表現は格段に進歩していたであろう。そして抜きん出た技量の持ち主であるリーメンシュナイダーは、どのような構図にすればその聖性が伝えられるか考え尽くしたに違いない。そしてそれはマリアとイエスとの位置のみならず、全体としての構図が祈る者をしていかにドラマチックに迫ってくるかを表現したと思える。

リーメンシュナイダーを「抜きん出た」と記したが、今回紹介されている同時代の作家も味がある。例えばミヒェル・エーアハルトの聖母子像(バイエルン国立博物館 139頁〜)やペーター・フィッシャー(父)の「いわゆる「枝を折る人」」(同 174頁〜)など。あるいはエラスムス・グラッサーの「モーリス・ダンスの踊り手」(ミュンヘン市立博物館 153頁〜)は楽しい。しかし、これらの作家の作品のいずれもリーメンシュナイダーの峻厳な表情彫刻にはかなわないように思える。ただ、リーメンシュナイダーの凄さを実感できるのは、ここで同時代の作家たちを多く取り上げ、細かに紹介されているからできることで、自分の不勉強を棚にあげてなんだが、多くは名前も覚えられず見過ごされてきた可能性も高い。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)禍のため、福田さんは今年予定されていた第二回目の写真展を開催できなかったという。リーメンシュナイダーのこととご自分の撮影作品には妥協しない福田さんのことゆえ、きっと開催を成し遂げられることと思う。私自身も行けるどうなるか分からないが、とても楽しみだ。

(『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』丸善プラネット 2020年11月)

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建築の醍醐味を満喫 「建築と社会の年代記」「インポッシブル・アーキテクチャー」展

2020-02-06 | 美術

時期を同じくして対照的な展覧会が開催された。「建築と社会の年代記」展と「IMPOSSIBLEARCHITECTURE」展である。「建築」展は竹中工務店創立400年(2016年に開催された展覧会)の再構成、インポッシブル展は、実現不可能あるいは可能であったが採用されなかったり、事情で放棄されたりした計画を図面や模型、関連資料などで紹介する大展望である。

織田家の普請奉行であった竹中藤兵衛正高の工匠時代を始祖とし、宮大工として技術を磨き、近代に入ると早々に都市のコンクリート建築などを手がけた竹中工務店は言わば実現可能な作品だけを遺した。一方、その時代の建築土木技術では不可能、あるいは、実現化する具体的方法論を持っていなかったり、残念ながら実現に至らなかった幻、建築家をはじめとするアーティストの夢を揃えたのがインポッシブルである。しかし、宮大工に見られるように木造建築の粋を極めた竹中と、計画段階から鉄骨をはじめとして様々な素材が用意される近代建築とを同列には扱えない。ただ、建築は時の思想や哲学、産業構造、それがもたらす影響や施主の意図など、建物一つひとつを取り巻く環境と無縁ではないという意味では同じだろう。

竹中は言わば、近世に培った宮大工の精密さを近代化に伴うより規模の大きい複雑な構造に進化させ、また成功してきた例であり、それが東京を中心とする現在でいう大手ゼネコン(大林、大成は明治期の土木事業から。鹿島、清水は竹中と同じ大工棟梁)で早くから関西・神戸の地で着実に成長したのは竹中だけである。それもそのはず関西には竹中施工にかかる有名建築が圧倒的に多い。大阪の堂島ビルヂング(躯体は大正当時のまま)、朝日ビルディングや三井銀行神戸支店(阪神・淡路大震災で被災。取り壊し。)、宝塚大劇場など。そして高度経済成長期を経て、国立劇場、大阪マーチャンダイズ・マート、大阪万博のパビリオン、代官山ヒルサイドテラス、そして21世紀に入り、東京ドームやあべのハルカスなど度肝を抜くような最新鋭の技術を駆使して成長(膨張?)を続ける。1企業の成長史はややもすると手前味噌な成功宣伝物語に陥りがちで、本展も全くそれを感じないということではないが、近現代の建築(技術)発展史と見れば大いに楽しめるはずだ。ドームの屋根を葺く(というのだろうか?正確には)様や、限られた敷地での工法など飽きないビデオも多く、現在は「環境」との親和性が求められている時代であるのもよく分かる。建築物は美術館に持ってくるわけにはいかないので、写真や図面、模型になるが実現した分だけ、実際の建物を見に行きたくなる。

一方、アーティストのイマジネーションを最大限に見せつけ、実現していたらどれほど圧倒されたであろう作品群がインポッシブルである。マレーヴィチのシュプレマティズム素描がオープニングであるのは象徴的である。20世紀初頭の構成主義は建築との親和性が高いどころか、バウハウスは建築家のグロピウスを校長に工芸学校としてスタートした。しかし圧倒されるのはウラジミール・タトリンの「第3インターナショナル記念塔」である。高さ400メートルを構想された鉄骨の怪物はロシア革命とロシア・アヴァンギャルドの象徴的プロジェクトであって、事実、完成を目指していたようだが、財政的・技術的に不可能であったようだ。しかし「タトリン・タワー」として紹介されることも多い同作の模型を見るにつけ完成すればどれほどの異形(偉業)、異様であったかも想像を超えている。

現代の作品群はたまたまコンペで採用されなかったインポッシブルも多いが、採用されたのに「安倍首相の「英断」により、白紙撤回になった」(「建築の可能性と不可能生のあいだ」五十嵐太郎は「それは多くの反対の声を押し切り、国会で安保法案の強行採決が行われた直後だった」とも記す。)ザハ・ハディド・アーキテクツ+設計JVの《新国立競技場》こそ造形的には完成して欲しかった作品ではある。そもそも自然環境や景観に著しい影響を及ぼす巨大建築こそ必要だったのか、という観点はある。しかし建築、建設といったものは、環境保全とのかね合いや土建国家のこの国で必須性を論じるのはとても難しいことだ。であるからザハ・ハディドの急死を受けて磯崎新が「〈建築〉が暗殺された。……悲報を聞いて、私は憤っている。……あらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義に頼んで廃案にしてしまった。」(五十嵐同上)と述懐する時、建築家の矜持と怒りの両方を感じるのである。

アイロニーと諧謔に満ち、時に物議をかもす作品を発表する会田誠の「東京都庁はこうだった方が良かったのでは?の図」も楽しい。建築が成功するには様々な前提–資金、周囲を含む環境、技術–をクリアしないと「完成」には至らない。その間をぬって、新たな挑戦や提案を現実化してポシブルになる。しかし数多のインポッシブルを踏まえたところに現実があるのだ。(「建築と社会の年代記 竹中工務店400年の歩み」神戸市立博物館 3/1まで。「IMPOSSIBLEARCHITECTURE 建築家たちの夢」国立国際美術館 3/15まで)

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『公の時代』と『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』をどちらも読むことをお勧めする

2019-12-23 | 美術

2020年の年賀状にあいちトリエンナーレの「表現の不自由・その後」展の中止騒動について「あの事件が民主主義が瓦解していった時代の重要なトピックだったと言わなくて済むように、美術を中心に表現の問題に関心を寄せ続けて行きたいと思います。」と書いた。それほどまでに、あの事件はいろいろ深い意味と緊張関係をはらんでいるように思う。「表現の不自由」展については、開幕2日目に視察した河村たかし名古屋市長の「日本人の、国民の心を踏みにじるものだ。即刻中止していただきたい」発言があり、その発言のとおり3日で中止になり、再開が決まると河村市長は、主催者側の一員である公人たる市長が座り込みまでして再開絶対反対のパフォーマンスまでなした。菅官房長官の補助金精査発言、そして文化庁による補助金不交付決定と「公金」や芸術祭への「公」の関わり方それ自体が問題となった。そこでまず「公」とは何かということと、その「公」が市民とどう関係・対応するかということが問われなければならない。

『公の時代』はあいちトリエンナーレに出展し、中止の決定を受けたアーティストChim ↑ Pomの卯城竜太と松田修の対談(『美術手帖』Web版を補筆)や「表現の不自由」展中止決定前に行われた卯城及び松田とあいトレ芸術監督の津田大介との対談などにより構成される(中止後の卯城と松田の対談も含む)。『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』には、「表現の不自由」展の実行委員である岡本有佳の詳細な時系列報告や北原みのり、中野晃一、前川喜平の論考がある。また「公金支出」に攻撃がなされたことを踏まえての、西谷修東京外国語大学名誉教授の「日本の社会空間であるべき「公共性」は、「日本人」と同じように、「自分たち」の思いに従ったものでなければならない、という内閉と排除の意識が、この場合の前提となっている、だから税金(公金)も「自分たち日本人」のものなのだ。」との重要な指摘がある。そこには河村市長が措定した「日本人」の中身について問わない、何が「日本人」を規定するのかが問われていない、という前提がある。河村市長の言を解析すれば、天皇を侮辱(と彼はとった)することに怒る人こそが「日本人」ということになるし、そうでなければ「日本人」ではない。ここに明らかになるのは排外主義であるし、河村市長は展示を「日本人に対するヘイト」とまで言っている。川崎市で外国人(ときちんと限定しているが)に対するヘイト行動に対する罰則条例が制定されたが、罰則規定もない(ことが不十分かどうかは議論の分かれるところであるが)ヘイトスピーチ解消法をまるで逆手に取られてかのような河村市長の発言ではある。おそらく「公」=「日本人」という狭く、アプリオリ性を疑わない、誤った解釈を問うこともなく、どんどん「公」は狭まっていく。「公」の中には、意見を互いにする色々な人(納税者という観点で言えば、この国に住まうすべての人)含まれ、それにより構成されているという当たり前の事実に想像が及ばず、河村市長のようにあらかじめ狭く規定した「日本人」によって「公」が構成され、だからその「公」を逸脱した、安倍政権の思惑とは違う「慰安婦」「原発」や「天皇」像に「公」金を出すのは許せないと短絡する。前提が誤っている。限定された政権そのままの一方向だけの主張だけなら何も「公」が支える必要はないのである。その方向性に則ったどこぞの「民」がやればいいことだ。「民」で掬いきれない主張や表現の場を保証することこそ「公」の存在価値と役割がある。

民主主義は永続革命だと言ったのはトロツキーだったろうか? Chim ↑ Pomの卯城竜太と松田修は大正期新興美術運動にこそ、芸術世界でのアナーキズムの萌芽があると黒耀社や望月桂を取り上げる。一方、『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』では、大村秀章愛知県知事と津田大介芸術監督による実行委員会への事前の説明・承諾もない「展示中止」にいたった過程を明確に「検閲」と断罪する。「表現の自由」と「検閲」については憲法的論点が、文化庁の補助金不交付については行政手続きにおける事後遡求の問題点が、河村市長や松井一郎大阪市長ら公人の発言については、公人としての歴史認識とその発言(効果)についての問題が、そして、脅迫を含む「電凸」については、市民の民主主義「度」などと様々な課題がありすぎる。冒頭で記したように「あの事件が民主主義が瓦解していった時代の重要なトピックだったと言わなくて済むように、美術を中心に表現の問題に関心を寄せ続けて行きたい」。(『公の時代』卯城竜太(Chim ↑ Pom)・松田修 朝日出版社。『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件 表現の不自由と日本』岡本有佳・アライヒロユキ 岩波書店)

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「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」 福田緑写真展

2019-11-26 | 美術

福田緑さんは私のリーメンシュナイダー巡礼(というほど行ってはいない。単なる作品見学。)の師匠である。その福田さんがご自身が撮り溜め、写真集を3冊も出版された上、この度リーメンシュナイダー写真個展を開催された。

いい意味で「病膏肓に入」った福田さんのリーメンシュナイダー探求は半端ではない。収蔵する美術館・博物館や小さな教会に連絡をとり、見せて欲しい、写真を撮らせて欲しいと希う。もちろんすぐいい返事をくれるところは少ない。何回もコンタクトを取り、訪れ、懇請する。その熱意が伝わり、今では館長や学芸員、教会関係者など懇意になった人も数知れない。福田さんはリーメンシュナイダーを追いかけようと決めると単身で6か月に及ぶドイツ語留学で言葉を体得した。執念である。14回にも及ぶ渡独は、地方の小さな教会を訪れることもある。時間があてにならない列車に乗り、1日数本もないバスを乗り継ぎたどり着く。でも帰りのバスがもう来る。綱渡りのような旅程を支えるのは、福田さんがこの間紡いだドイツの友人ネットワークである。1か月以上に及ぶドイツ旅行にすべてホテルを使用するわけにもいかない。友人宅を泊り、時に送迎もしてもらう。福田さんが築き上げた信頼関係ゆえの交歓の結果である。ドイツ人は総じて親切だと聞くが、そこまでの関係を作るには絶え間ないアクセスとフォロー、そして感謝しているとの誠意が大切である。福田さんのひたむきさには頭が下がる。

リーメンシュナイダーは個展オープニングでお話しくださった永田浩三さん(武蔵大学教授、あいちトリエンナーレ「表現の不自由・その後」展実行委員)によれば、小田実は「「市民」がつくった彫刻(家)」と評していると紹介した。ルターによる「宗教改革」が吹き荒れた時代、ドイツ農民戦争に巻き込まれたリーメンシュナイダーは市長を務めていたこともあり、捕らえられ、彫刻をするには致命的である手をひどく傷つけられたとの話もある。リーメンシュナイダーがあれほど峻厳な像をつくることができたのはなぜか。それは彼の信仰ゆえだという。造形作家として彫っていたのではなく、信仰の証として彫っていたのだと。

それは分かるような気もするから不思議だ。福田さんにはおよそ及ばないが、筆者も福田さんの指南を得て、リーメンシュナイダーが多く展示されているフランケン博物館(ヴュルツブルク)とか、バイエルン国立博物館(ミュンヘン)であるとか訪れたのだが、その他の美術館でもリーメンシュナイダーの作品は近づくまでに遠くから判別できるのだ。あっ、リーメンシュナイダーだと。福田さんの仰るように本人だけか工房作かまではもちろん判別は難しいが、リーメンシュナイダー自身の作は感じるところがある。あの厳しいキリストの表情はリーメンシュナイダーでしか彫りえないと。

永田さんは、リーメンシュナイダーの彫像は「手」が素晴らしいと話された。確かに手は彫刻家のある意味目指すべき頂(いただき)で、ロダンの「痙攣した手」など拘った作品も数しれない。しかし永田さんの仰った「手」の表現は、むしろ彫刻家(に限らないが)の命である作品をつくる所作の本源としての「手」に対する崇高な思いの証ではないのか、と思える。

永田さんはリーメンシュナイダーは中世の彫刻家と紹介されるが、むしろルネサンスで顕現された人間性の発露、ではと問題提起された。そういう意味合いもあるであろうが、筆者はリーメンシュナイダーが「中世最後の彫刻家」(高柳誠 1999年)と評されるのは、その峻厳さゆえにゴシックの表象(教会が巨大建築=ゴシックの大聖堂、を建てるためにルターが批判した贖宥状を発行しまくった、というのはさておき)を見たからでないかと思える。大金と技術の粋を総動員したゴシックの大聖堂が不思議と静謐で謹厳な感じがする。

リーメンシュナイダーの塑像に見(まみ)える時、見ているこちら側に、どう見(まみ)えているのかと、問われる気がする。それほどまでに信仰を「超越」したリーメンシュナイダーの塑像群に、福田さんの個展で多くの人に触れて欲しいと思う。(「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」 ギャラリー古藤(http://furuto.art.coocan.jp)で12月7日まで。11月30日と12月6日にはギャラリートークもある。ぜひ)

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ビエンナーレで失敗した神戸が雪辱? 見応えあるTRANS-

2019-11-01 | 美術

神戸ビエンナーレで失敗を経験した神戸市はあまりにも「石橋を叩いて」でスタートしたのだろうか。TRANS-は、宣伝が足りないように思える。公開されていない展示スペースへの移動の間、出会った美術史研究者の方は、「問い合わせに対する対応など運営の仕方が問題」旨おっしゃっていた。

出展作家はたったふたり。やなぎみわとグレゴール・シュナイダー。やなぎは神戸市兵庫区出身。会場は、兵庫区の新開地や長田区など三宮など洗練された地区ではなく、神戸でもディープゾーンと言われるところ。神戸の地理について詳しくない人のために紹介すると、いくつかある会場のセンターとなった兵庫区新開地は、労務者の街、そして風俗の街。会場の一つ、兵庫港界隈は川崎重工業や三菱重工業など造船で栄えた街で港湾労働者の街、そして新長田は在日朝鮮・韓国人も多く、阪神・淡路大震災で壊滅的打撃を被った街。

会場選択はすごい。その最たるものが、旧兵庫県立健康生活科学研究所(「消えた現実」)。目的は県民の「健康生活科学研究」なのだろうが、そのためにしていたのは動物を使った実験など。シュナイダーのインスタレーション(展示後、「兵庫荘」などは解体されることが決まっている)は普通に任せておけば、その歴史を無視して解体、胡散霧消される実態を、止めることによって記憶の淵に留め置くことを目指していると思える。旧兵庫県立健康生活科学研究所のあるフロアは天井も壁も全ての造作が真っ白に塗られ、時が止まったかのよう。しかし、事務室であったであろう部屋はついさっきまで働いていた人がいたかのように机も器具も書類も全て乱雑に遺されたまま。そして、屋上の動物をつないでいたであろう檻は、極彩色の動物の斎場であった焼却場は無残に姿をさらす。そう、人間の記憶は一般的に都合のいいように上塗りされるし、流れるままにしておけばやがて忘れ去られ、留められない。特に負の記憶は。動物実験そのものは、人間の「健康生活科学研究」のために合理化されるが、筆者は会場で日中戦争時の七三一部隊が戦後、ミドリ十字に繋がったことを想起せざるを得なかった。

シュナイダーのインスタレーションは、兵庫荘でも展開される(「住居の暗部」)。港湾労働者が住んだ「荘」は1畳ちょっとほどの寝るスペースに申し訳程度の収納スペースがある二段ベッドを含めた4人一部屋のプライバシーの全くない空間。お風呂やトイレなどはもちろん共同だ。1950年に開設、2018年に閉鎖されたそのプライバシースペースには酒瓶や競馬新聞などが残され、全て漆黒に染められている。スタッフに渡された小さなライトを足元に照らしながら進むと、このような昭和の学生寮(それも北海道大学の恵迪寮を想起させる)みたいなのがついこないだまであったことに驚くとともに、ここに住み、働いていた人たちはどうなったのだろうかと思う。シュナイダーはここでも記憶のピン留を描いたのだ。

ある意味、極め付けなのは、神戸高速鉄道の地下通路に設営された「条件付け」。何があるのかとドアを開けたら、なんてこともない浴室。次のドアを開けたらまた同じ浴室。次も開けたら…。パブロフの犬なら慣れてしまうかもしれないが、これが永遠に続くとなると人間にはきつい(はずだ)。しかし、人間は慣らされる存在だ。神戸市営地下鉄駒ヶ谷林駅コンコースの会場(「白の拷問」)は、アメリカ軍がキューバに秘密裏に設けた、グァンタナモ湾収容キャンプ内の施設を再現しているものだ。シュナイダーが収監者の証言を元になどして再現したものだが、ベッドと便器、手洗いしかない究極の殺風景。ここで、ムスリムに豚肉を食べるよう強制したり、裸でピラミッドを作らせていたのかと思うと、ドイツ映画「エス」を思い出させる。人間だけが一番非人間的になれると言ったのは誰だったろうか。しかしここも慣れるのだろうか、収容者も監視者も。

あいちトリエンナーレで問題になった表現の自由、政治的メッセージにあふれたドイツのドクメンタなど、美術表現は現実の政治課題と無縁ではいられないとは筆者の持論だが、シュナイダーの手法はヒトの記憶の有限性を問題にしている点で、ある意味、あいトレやドクメンタより本源的に深く考えさせられるものを含んでいる。やなぎの公演を見ていないし、その他会場で繰り広げられるパフォーマンスも見ていないし、私宅を会場にしたインスタレーションには触れず、シュナイダーだけになってしまった。しかしかなりのオススメである。(兵庫県立健康生活科学研究所の焼却炉)

 

 

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あいちトリエンナーレ 「現在」と「現実」を視る 3

2019-10-12 | 美術

「表現の不自由・その後」展が再開した。早速出かけたが、抽選で1回の観覧者は35名。筆者が行った日には3回の抽選で1回の抽選につき35名ずつのグループを2回、都合210名を選出するものでこの日の当選番号からすると3500名超の応募者があり、当選率は5、6%。当たるわけがない。当選しても手荷物は不可で、ボディチェックと物々しい。

このような事態になったのは直接の要因はガソリンを撒くなどといった脅迫だが(容疑者は逮捕)、展示自体が問題だと発言した河村たかし名古屋市長らの責任は重い。展示再開に対し、河村市長は8日午後に会場である愛知県立芸術文化センターの敷地内で!抗議行動をした。その際の河村市長が掲げたプラカードが「日本国民に問う! 陛下への侮辱を許すのか!」である。この非難は、今回出展している大浦信行さんの「遠近を超えて PartⅡ」で「昭和天皇の肖像を燃やす」シーンがあるとされたことを指すものと思われる。しかし、大浦さんも語っているように、これは「燃えているのは僕の作品です。『遠近を超えて』のうち4枚を燃やしました。天皇が入った版画です」(「朝日新聞」2019.10.12)であって、「天皇の肖像を焼いた」わけではない。河村市長の非難は、作者の意図、作品の意味を知らない、知ろうとしないSNSや電凸、「ネトウヨ」の言説と変わりない。そして、天皇だけ特別視する姿勢は、天皇不可侵の大日本帝国憲法の思想そのもので、現行憲法の理念とあい容れない。

今回の「不自由」展再開を受けて、中止に抗議し、展示を全部あるいは一部中止、変更していた作家らも元の展示を再開した。前回のブログで触れたモニカ・メイヤーの、自身に降りかかった女性差別を直視・告発するメッセージを集めたタッグがたくさん掲示されていたので見た。女性からのメッセージがピンク色のカードであるのはどうかといった、ジェンダーバイアスの指摘もあったが、その多くが性暴力、セクシャル・ハラスメントに対する怒りと糾弾、悲しみであったと思う。心が痛んだ。

日本人作家の中でただ一人、作品を完全封印していた田中功起は、「抽象・家族」で、両親の一方が海外にルーツを持つ人たちが語り合い、大きなキャンバスにドローイングを仕上げていく様を複数のフィルムで1時間50分もの長尺で映し出す圧巻の映像だ(愛知芸術文化センター)。イム・ミヌクは北朝鮮の金正日総書記と韓国の朴正煕元大統領の葬儀が並んで行われたことから、その葬儀を経験する分断された民衆の姿を映し出す。そこにあらわれた悲しみと、その背景にある一見正しく見えるようで矛盾している現実に疑問を呈する。映像を囲む部屋中に吊り下げられた朝鮮半島の民族衣装チマ・チョゴリ。

「不自由」が再開されなければこれらの作品も見られなかった。つくづく「中止」の不利益、過ちを実感するが、再開を喜んでばかりもいられない。冒頭に紹介した河村市長らの抗議行動は再開1日目のそれだけでそれ以降なんの抗議行動もしていない。単なるパフォーマンスだったのだ。しかし、元々の河村市長らの公人の発言、これに勢いを得た電凸、今回のパフォーマンス等で「不自由」展を限られた人数しか見られない開催形態に持っていったという点で、彼らの意図は奏功し、勝利したと言える。一度審査を通っておきながら、後になって「申請の不備」を理由に補助金不交付を決めた文化庁=萩生田文科相の判断といい、「不自由」展の中身に対する攻撃は明らかで、補助金不交付に対しては愛知県は国を訴えるという。

見るべき芸術、守るべきアートはどこにあるのか、誰が守るのか。表現の自由、検閲、公人の一方的価値観のみを良しとする抑圧発言など。論点は多大に広範に渡る。今回の「不自由」展中止と再開に至る「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会中間報告書(抜粋版)」が会場で配布されていた。全体版に目を通したいし、より深い「最終版」の発表を待ちながら、本展は来週10月14日閉幕する(台風19号の影響で10月12日は終日閉館となった。天災とはいえ観覧者が減ったことは重ねて残念だ。)。(写真は「表現の不自由・その後」展中止に抗議するメッセージの数々)

 

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あいちトリエンナーレ 「現在」と「現実」を視る 2

2019-09-19 | 美術

とても残念だったのは、「表現の不自由・その後」展の展示中止に抗議して、それ以外の作家が一部あるいは全部の作品展示を中止してしまったことだ。これによって見る者の楽しみを奪ってしまう。表現の自由圧殺としての今回の事例がつくづく罪深いもので、言論市場を狭めてしまったことが実感される。

とは言っても、まだ見られる作品があるだけマシかもしれない。ウンゴ・ロンディノーネのカラフルなピエロが無表情に!床に這い、寝転がり、座り込む怠惰な様は、人を楽しませるはずのピエロが、実は個々の人間の嘘臭さや、欺瞞を描いているようで面白い(国際現代美術展・愛知県芸術文化センター)。Dividual inc.の人生の最後の10分で書き遺したいことをテキストで表していく様は、それがフィクショナルなものであったとしても、「遺したい」相手と「伝えたい」思いに溢れていて、釘付けにさせる(同)。台湾の袁廣鳴(ユェン・グァンミン)の映像は、人も見かけず、車も全く動いていない都市の昼間を上空からゆっくり撮り続けるものだ。「防空演習」という毎年春に行われる30分間市民は一切野外に出てはいけないもう40年続く、台湾市民にとってはありふれた「日常」を見せつける。しかし、鼓動していない街とはこんなにも異常に見えるものかと、大国と臨戦態勢にもある割れた国の姿をまざまざと見せつける(同)。管俊一の幾何学的な線画が規則的に動いて最終的なカタチはこうなるのだろうなと思わせるところで突然途切れるデジタル作品だ。結果とはどうなるか分からないものだと、分かっていてもだまされやすい、思い込みの深さを自覚してしまう(同)。

出展中止作家の中には、見られたら壮観だったろうなと思うのも少なくない。モニカ・メイヤーは現実世界にはびこるジェンダーギャップやセクシャリティをめぐる差別言説などを問うフェミニスト・アートのパイオニア。声なき声の一つひとつを取り上げ、会場いっぱいに展示する予定であったのに封印。無数のメモ書きを吊り下げるはずだった空の展示施設だけが並ぶ寒空しい風景となってしまっている(国際現代美術展・名古屋市美術館)。レニエール・レイ・ノボは自身のインスタレーション作品(平面)を全て「表現の不自由・その後」展中止にまつわる新聞記事で覆い隠し、全く見えないようにして抗議の意思を明らかにしている。キューバ出身、鋭い批評精神で現実世界・政治を批判的に展示してきたというノボは許せなかったのは明らかだ(国際現代美術展・豊田市美術館)。しかし見ることができた作品には圧巻なものも多い。キャンディス・ブレイツの作品はセクシャル・マイノリティ故に祖国を追われ、難民として生きる人のインタビューを通して語りの大切さを見せつける。実は、インタビューに答えているのは俳優で、実際の難民から聞き取った話(これも映像として流されている)から編み出したインスタレーション映像(愛知)。

概ね、現実・社会批評的な映像やインスタレーションは抗議の意思を示して展示を拒み、絵画や造形物の作家はそのまま展示を続けているように見えた。しかし、文谷有佳里のように抗議の意思表示の上に、なぜ展示をし続けるかの理由を明らかにした作家もいる(愛知)。言わば歯抜けのようにポツポツと展示中止がされている中であっても、全体として面白い、興味深く考えさせられる作品に満ちているように見えた。これがすべて揃えばどんなに嬉しい展覧会となったかと思うと「表現の不自由・その後」展中止の影響は返す返す残念だ。作家らによる展示続行の仮処分申請の動きもある。愛知県知事や津田大介監督が言うようにシンポジウムを開くことでお茶を濁してはならない。展示再開こそ本道だ。10月14日までにもし再開されたらフリーパスを持ってまた行くつもりでいる。(「表現の不自由展・その後」の閉じられた会場正面に貼られた意見タグなど)

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あいちトリエンナーレ 「現在」と「現実」を視る 1

2019-09-15 | 美術

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。」(中略)「日本より頭の中が広いでしょう」(中略)「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」(夏目漱石『三四郎』新潮文庫)

あいちトリエンナーレでの「表現の不自由・その後」展の開催3日目にしての中止の事件は、近代日本のなした戦争や差別についての歴史認識について修正主義的価値観を持つ政治家や電凸(でんとつ。一般的には企業や公共団体に電話で真意を質す行為。本件の場合、主催者に展示続行を諦めさせる右派の電話攻撃。)の問題だけではない。もっと簡単なことだ。表現には自己の意に沿わない、不快なものもあるが、それを妨げる権利は誰にもない。ましてや脅迫や明らかに観覧者に危害をおよぼそうと示唆する行為はもってのほかであるということだ。そこで河村たかし名古屋市長や松井一郎大阪市長ら公人の言説は、市民の表現の自由を担保するために公的機関こそがその費用や場を確保しなければならないという憲法的価値を逸脱しているという意味で、憲法擁護義務のある公務員としての資質に欠けるばかりか、悪質でもある。「悪質」というのは、想田和弘さんが「河村市長や(補助金の「適正」運用に言及した)菅官房長官らの発言がガソリン野郎を勢いづけた」と指摘しているからである。

トリエンナーレ実行委員会や愛知県に寄せられた苦情や抗議の対象は「平和の少女像(正式名称。「慰安婦像」とは作者も言っていない。)」ばかり焦点が当てられているが、昭和天皇を描いた作品(「遠近を超えて」「遠近を超えてpartⅡ」)に対するものも多かった。自分が受け入れられない歴史認識や政治的意見について「慰安婦はデマ」「侵略戦争ではない」「天皇を侮辱することはけしからん」などなどの立場から、表現を公的地平から排除するのを正当化することは時の政権(本件の場合、安倍首相の思考、安倍政権の姿勢と重なる。)が認める以外の表現は許さないという独裁思想そのものでオーウェルの『1984年』の世界である。

芸術がすべて政治性を持つべきとまでは言わないが、表現とはコンテンポラリー(同時代性)である限り、時の政治・社会体制などと無縁ではいられない。世界的なアートフェスティバルとして5年に1度開かれるドイツのドクメンタでは、政治的メッセージがない作品を探す方が難しいほどだ。2017年に開催されたドクメンタ14では「移民(排除への反対)」と「(EU間の)経済格差(に伴う分断)」が前面に出ていた。それほどまでに現在の反民主主義的動向を問い、分断を乗り越えようとする思いがアーティストを突き動かしている事実を再認識するばかりであった。

翻って、今回の「表現の不自由・その後」展のたった3日目での中止は、この国の現状が「表現の不自由・その最中」であることを明らかにした。「検閲とは無意識的に内面化される時こそ完成する」(韓国の演劇人キムジェヨプ氏の言葉。「ブラックリスト事態、演劇人たちはどう抵抗しているか」岡本有佳(あいちトリエンナーレ「表現の不自由・その後」展実行委員)『世界』2017年6月)。完成間近のこの国の姿である。あいちトリエンナーレの今回の事象についての政治的文脈に筆を割きすぎた。次回は展示の紹介に努めたいと思う。

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いろんな人が訪れることができるアートフェスティバルが希望  瀬戸内国際芸術祭

2019-08-28 | 美術

芸術祭には都市型と郊外(地方)型があるが、今年で4回目の瀬戸内国際芸術祭は後者の代表格となりつつある。小さな島を船を乗り継いで行くという不便さにもかかわらず、2016年の第3回には107万人も訪れたという。海外からの参加者も多く、現在日本に押し寄せているインバウンド(中国人、台湾人)のほか、世界中から来ているそうだ。筆者が高松の居酒屋で居合わせたカップルはスウェーデンでからだった。瀬戸芸がうまいのは、直島にあるベネッセの美術館(地中美術館、ベネッセハウスミュージアム、李禹煥美術館)も訪れるようにセットされており(芸術祭とは当然別料金)、そこらも回ることによって、贅沢さ(ベネッセの宿泊施設は高級。施設界隈は自由に散策できる。)と非日常を満喫できるからだろう。非日常というのは、島に点在する作品にたどり着くのにバスや徒歩、レンタサイクルなどで結構広範囲に回らなければならず、およそ日帰りは無理で、ガイドブックにはほとんどすべての作品を楽しむには1週間くらい必要とあるからだ。そして毎回新しい作品が増えていて、回るところは多くなる。

筆者は小豆島と豊島、女木島、男木島、大島に渡ったが、小豆島は他に比べて圧倒的に広いので、三都半島界隈だけ回ったが、作品をめぐるシャトルバスを出してくれなかったら、回るのは大変であった。自転車でしかそばまで行けない場所にある作品もあって、資材を運ぶのこそ大変だったろうと、そちらに感動してしまう。今回初めて設置されたフリオ・ゴヤの「自然の目 大地から」は2本の大きなブナの木にツリーハウスを建てたもの。木の階段を上り下り、ブランコもあって楽しい。

豊島は膨大な量の産業廃棄物の不法投棄の島として甚大な被害を被ったが、産廃の撤去作業と並行して瀬戸芸が開催され、今は産廃の島ではなくアートの島である。西沢立衛設計にかかる豊島美術館は超人気スポットで、まあるい天井から空が臨めるが、同時に床には消えては流れ、現れる不思議な泉。風と音と水を感じることのできる癒される空間として長く居たくなる(ここも有料)。今回は美術館は予約待ちで入らなかったが、ぜひオススメだ。その代わり、家浦と甲生(こう)、硯(すずり)、唐櫃の各地区は回ることができた。甲生にある塩田千春と田根剛の作品は、もともと塩田の代表作、窓を集めた立体作。先の台風で痛み、展示は今年が最後だという。屋外展示は自然環境の影響を受けやすく、そういった意味では「脆く」もあるが、そこがまた魅力なのかもしれない。唐櫃岡のはずれにあるクリスチャン・ボルタンスキーの「ささやきの森」がお目当てだったのだが、雨で入場中止とあり残念。唐櫃浜のボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」は訪れることができた。硯の一棟貸しの宿「ウミトタ」は洗練と贅の極み。前方に海が広がり、宿の後方はその名の通り田んぼが広がる。こんなところで一度寛いでみたいが、宿泊だけで一泊5万円とか。へなへな。

女木島は別名鬼ヶ島で島の奥に大きな洞窟がある。島の奥には行かなかったが、小さな島ゆえ港付近は歩いて回れる。「島の中の小さなお店」プロジェクトが興味深かった。リョン・カータイは香港出身の写真家。女木島に暮らす人たちをなぜ女木島に住んでいるのかを問い、被写体とする。一度島を出たが戻って来た人、島の幼馴染、瀬戸芸で知り合った妻も夫も島出身ではないカップル。若いカップルには島で生まれたお子さんもいる。大竹伸朗の奇怪なオブジェを展示する女木島小学校は休校中。子どもが通うになり、学校が再開される日は来るだろうか。

島巡りの最後に訪れたのはハンセン病収容者の島、大島。国立ハンセン病療養所大島青松園のあるところだ。本当に隔離された島である。現在でこそ無料の高松からの定期高速船があるが、1996年のらい予防法廃止までは、島への行き来も難しかったに違いない。島に暮らす人の平均年齢は84歳という。もう島を出る人はいないだろう。島の歌人、政石蒙の詠む歌に惹かれた。今年6月にハンセン病の患者家族に対する国の賠償責任が認定され、政府が上訴しないとなった。しかし、この訴訟での原告の多くは匿名である。差別は厳然としてあるのだろう。

帰る日に高松に戻って市立美術館の宮永愛子展「漕法」。ナフタリンを素材に現実にあるものの変化と儚さを表す宮永の世界は、塩田の存在の重さを表す世界と対照的だ。と思える。しかし、そこにあるのが本当か?という問いは、今生きる自己の存在理由の自意識を考え直すという意味で地続きだろう。芸術祭という現代アートの問いかけるものは、軽重の差はあれ、現在の確実性と不確実性を問い直す。ドイツのドクメンタのように政治的主張の濃い作品は見られないが、今を問う、という姿勢は現代アーティストの性とは考えすぎか。成功していると言われるからこそ、あいちトリエンナーレであったようないわれのない攻撃に毅然と対応できる芸術祭に発展すればと思う。

同時に、あちこち回るのに筆者のような健脚(と自分では思っている)でも結構しんどい思いをしたのも事実。展示先へのアクセスも含め、身体的にハンディのある人も参加しやすい地方の美術展とは?ももっと模索されていいだろう。3年後に行けるかどうか、ちょっと自信がないからこそ思うのだ。(塩田千春 「遠い記憶」(豊島))

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東京美術館ぶらぶら記3 塩田千春展「魂がふるえる」

2019-08-09 | 美術

で、今回の東京美術館ぶらぶらの最大の目的「塩田千春 魂がふるえる」展である。塩田千春のあの無数の糸を紡いだ作品はずっと気になっていた。今回、初めての大規模な回顧展には理由があった。塩田が本展のオファーを受けた直後にガンの再発が見つかったのである。今やガンは多くの場合「死に至る病」ではないが、抗がん剤治療をはじめとして、無為無策で過ごすことはなく、その不安感、切迫感は想像してもあまりあるものがある。筆者自身、定期的にCTR検査を受けているが、何も出なくても万全ではない。では他の部位の腫瘍、腫瘤はないのかと。

塩田は子宮ガンの後に授かった娘さんにこれは残そうと考えたのか、それは、知る由もないが、鬼気迫るものがある。そして、塩田の作品は、そこまで徹底するかとの思いを抱かせるに十分な迫力がある。ただ、作品を塩田自身の病魔との闘いにだけに帰するのはむしろ失礼だろう。ベルリン在住の塩田は移民の国ドイツにあって「他者」である。しかし、他者とはネイティブでないから措定されるものであろうか。ドイツに移住まもない頃7回の転居を余儀無くされた塩田は、逆にドイツの現実を知った。しかし、移民の立場的な塩田にも表現の場は保証されていた。ベルリンの現代アートの発祥地タヘレス。東ベルリンに位置したタヘレスでは、アーティストが勝手に移り住み、様々な表現を試していた。塩田はタヘレスに住み込んだわけではないが、タヘレスに集う現代アートの息吹には十分触れたことだろう。そして東と西の両ドイツ、両ベルリンを体感することになる。「窓の家」(2005)は、旧東ベルリンも含めて訪ね歩いたそこかしこで集めた取り壊される建物にあった窓たちの標本。窓は古くは絵画が現実との繋がりの表象とされたが、塩田の場合、おそらくは東と西であろう。それほどまでに東側と西側では、ルネサンスとそれ以降という歴史的変奏をもしのぐ変化を体験することができるのがベルリンの実相であったのではないか。しかし塩田の射程は、近頃喧伝される「分断」に止まらない。それは、自身が移民であるという立場と無縁ではなく、そこには移動と漂流の不可分性をも映し出す。古いスーツケースが無数、宙づりになる「集積 目的地を求めて」は、半ば自身の道行をも表しているようだ。しかしそれは必ずしも悲嘆ではない。なぜなら塩田の作品には何か突き抜けたスケールが感じられるからだ。塩田のトレードマークである幾万もの紡いだ赤い糸。そして黒い糸。赤は生命を、黒はその反対を表現しているように思えるが、2度のガン発症という生と死を改めて感じた塩田ならではの感性と読むのは穿ち過ぎか。

世界を相手にしている芸術家というのはそれだけでインターナショナルとかコスモポリタニズムを要請される。言語も文化も出自とは違う場所に身を置いて、表現活動を持続させるには出自の国の人だけを納得させるものだけではもちろん足りない。どこか普遍性や持続性、あるいは現代(同時代)性を感じさせる必要がある。ドイツはカッセルで5年に1度開催されるドクメンタは社会的メッセージの色濃い作品が多い。塩田の発現はまさに「魂」が根本にあるのだろう。生と死も、移動も、身体とその全体化もパーツ化も。

初めて塩田の作品を意識したのは確か横浜トリエンナーレ(2001年)での度肝を抜く大きさのドレスに水が注がれる作品(「皮膚からの記憶」)であったように思う。健康に留意されながらまた私たちの度肝を抜いて欲しいと思う。

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