イタリア語はさっぱり分からないが、14世紀の画家ジョットの活躍後ジョットを真似て、あるいは影響を受けて多くのジョッテスキが誕生し、後のイタリアルネサンスを牽引する画家たちに連なっていく。そして16世紀末から17世紀初頭波瀾万丈の人生とともに大きな足跡を残したカラヴァッジョに影響を受けた画家たちもカラヴァッジェスキと呼ばれたという。そのカラヴァッジェスキの系譜にレンブラントやルーベンス、ベラスケスなどバロック絵画の巨匠たちがいる。どうやらイタリア語の「スキ」は追随者、マニア、英語のイアンくらいの意味らしい。日本語の「好き」とも通じるということはないだろうが。
美術の世界というのは流行り廃りがあって、カラヴァッジョの時代は教会や富裕層がある画家の作品をこぞって買いあさり、それでその画家が最も流行の先端となるという様相であった。しかし、テレビやインターネットのメディアの現代、テレビ番組が近年出た著作をもとに、あるいは近々公開される美術展、映画とタイアップしてその画家を取り上げるということがよくある。近年のダ・ヴィンチ人気やフェルメール人気を見ればそれがよく見て取れる。そして今回はカラヴァッジョ人気である。
美術好きでもない限り、カラヴァッジョはダ・ヴィンチやフェルメールほど有名ではない。しかもその作品は必ずしも多くはないし、日本でも紹介されることも少なかった。それが、2001年東京都庭園美術館で開催された「カラヴァッジョ 光と影の巨匠-バロック絵画の先駆者たち」展により徐々にその画業が知られるようになったらしい。筆者も訪れたが、日本の美術展によくあるように「先駆者たち」の作品も多く、カラヴァッジョだけの展覧会ではなかったし、当時キリスト教絵画について今ほど知らなかったため、それほど長い時間を過ごさなかったように思う。
さて、映画ではその才能とあわせて放蕩ぶりに焦点があてられ、のたれ死にのような最期を迎えるまでを劇的な撮影効果で表している。「劇的」であるのはそれもそのはずで、「ラスト・エンペラー」や「地獄の黙示録」などアカデミー賞を3度受賞したヴィットリオ・ストラーロが撮影を担当しているからだ。
カラヴァッジョを指すときいつも使われる表現「光と影」。カラヴァッジョの作品はその大胆な構図と光と影の使い方にあるのは周知の事実。しかし、それを映像で現すとなると。ストラーロの撮すカラヴァッジョの世界は、まさに光と影。17世紀の陽光は現代より明るかったかもしれないが、同時に室内灯などない世界。画家は劇的を目指すとすれば陽光に頼らざるを得ない。同時に、それは実際の光を宗教画というフィクションの世界に生かす画家の技量が問われる場でもある。
カラヴァッジョの描く世界は、当時宗教改革の波が押し寄せてくるのに対抗し、教会、ローマ教皇の権威を民衆に見せつける時代背景を持ち、肖像画を描きたいと希っていたカラヴァッジョも枢機卿などパトロンの注文に応じ、多くの宗教画を描いた時代。ただ、聖マリアもユーディットも娼婦をモデルとしてであるが。
映画で描かれる17世紀のイタリアは残酷だ。父殺しのベアトリーテ・チェンチは首を切り落とされ、宗教改革派の神父は火刑に。いずれも公開の場で。それらを凝視したカラヴァッジョは「死」をおそろしく立体的にキャンバスに現した。宗教画という纏をもって。
カラヴァッジョはおそらく「死」と遠くなかったのであろう。カラヴァッジョは子どもの頃性虐待を受けたとの話もあり、それがもとで「普通」の結婚生活や生活設計ができなかったともされる。真偽は不明であるが、生を光とするならば死を指すのは「影」。カラヴァッジョは光より「影」あるいは、「闇」と言ってもいいかもしれない、「闇」に憑かれていたのではなかったか。そう、十字軍やペストで多くの命が失われた中世をルネサンスという陽光で越えた西洋であっても、カラヴァッジョを苛んだ「闇」。
暗い力の源泉は時に天才を生む。主題が聖書のものであっても、描いた現実は現世そのもの。カラヴァッジョの迫力に近づくためにも本作と南欧に散らばるカラヴァッジョの作品との逢瀬は必要である。
(アレクサンドリアの聖カタリナ マドリード、ティッセン=ボルネミッサ・コレクション)
美術の世界というのは流行り廃りがあって、カラヴァッジョの時代は教会や富裕層がある画家の作品をこぞって買いあさり、それでその画家が最も流行の先端となるという様相であった。しかし、テレビやインターネットのメディアの現代、テレビ番組が近年出た著作をもとに、あるいは近々公開される美術展、映画とタイアップしてその画家を取り上げるということがよくある。近年のダ・ヴィンチ人気やフェルメール人気を見ればそれがよく見て取れる。そして今回はカラヴァッジョ人気である。
美術好きでもない限り、カラヴァッジョはダ・ヴィンチやフェルメールほど有名ではない。しかもその作品は必ずしも多くはないし、日本でも紹介されることも少なかった。それが、2001年東京都庭園美術館で開催された「カラヴァッジョ 光と影の巨匠-バロック絵画の先駆者たち」展により徐々にその画業が知られるようになったらしい。筆者も訪れたが、日本の美術展によくあるように「先駆者たち」の作品も多く、カラヴァッジョだけの展覧会ではなかったし、当時キリスト教絵画について今ほど知らなかったため、それほど長い時間を過ごさなかったように思う。
さて、映画ではその才能とあわせて放蕩ぶりに焦点があてられ、のたれ死にのような最期を迎えるまでを劇的な撮影効果で表している。「劇的」であるのはそれもそのはずで、「ラスト・エンペラー」や「地獄の黙示録」などアカデミー賞を3度受賞したヴィットリオ・ストラーロが撮影を担当しているからだ。
カラヴァッジョを指すときいつも使われる表現「光と影」。カラヴァッジョの作品はその大胆な構図と光と影の使い方にあるのは周知の事実。しかし、それを映像で現すとなると。ストラーロの撮すカラヴァッジョの世界は、まさに光と影。17世紀の陽光は現代より明るかったかもしれないが、同時に室内灯などない世界。画家は劇的を目指すとすれば陽光に頼らざるを得ない。同時に、それは実際の光を宗教画というフィクションの世界に生かす画家の技量が問われる場でもある。
カラヴァッジョの描く世界は、当時宗教改革の波が押し寄せてくるのに対抗し、教会、ローマ教皇の権威を民衆に見せつける時代背景を持ち、肖像画を描きたいと希っていたカラヴァッジョも枢機卿などパトロンの注文に応じ、多くの宗教画を描いた時代。ただ、聖マリアもユーディットも娼婦をモデルとしてであるが。
映画で描かれる17世紀のイタリアは残酷だ。父殺しのベアトリーテ・チェンチは首を切り落とされ、宗教改革派の神父は火刑に。いずれも公開の場で。それらを凝視したカラヴァッジョは「死」をおそろしく立体的にキャンバスに現した。宗教画という纏をもって。
カラヴァッジョはおそらく「死」と遠くなかったのであろう。カラヴァッジョは子どもの頃性虐待を受けたとの話もあり、それがもとで「普通」の結婚生活や生活設計ができなかったともされる。真偽は不明であるが、生を光とするならば死を指すのは「影」。カラヴァッジョは光より「影」あるいは、「闇」と言ってもいいかもしれない、「闇」に憑かれていたのではなかったか。そう、十字軍やペストで多くの命が失われた中世をルネサンスという陽光で越えた西洋であっても、カラヴァッジョを苛んだ「闇」。
暗い力の源泉は時に天才を生む。主題が聖書のものであっても、描いた現実は現世そのもの。カラヴァッジョの迫力に近づくためにも本作と南欧に散らばるカラヴァッジョの作品との逢瀬は必要である。
(アレクサンドリアの聖カタリナ マドリード、ティッセン=ボルネミッサ・コレクション)