イタリア美術が、その時代によって興隆した地域が変遷したのは周知のことである。ローマがルネサンス美術の中心となったのはミケランジェロやラファエロがヴァチカンの仕事をしたからであって、長いルネサンスの息吹の中では一部に過ぎない。けれど、ルネサンスというとフィレンツェかローマ。少なくとも観光地としてのイタリア・ルネサンスを見る目はそれ以外には少ない。
ところが日本でも大人気のダ・ヴィンチは、フィレンツェでは工房修業時代を含め、のちの成功譚としての時代ではない(ダ・ヴィンチのフィレンツェ時代の偉業は後世の発見・評価によるところが大きい。)。むしろダ・ヴィンチがその名を馳せたのはミラノの時代である。それは「最後の晩餐」で明らかだ。教会の食堂壁画として描かれた作品は、幾度の受難にもかかわらず今世紀まで遺った。そして500年の時空を超え世界遺産として愛でられている。それはさておき、イタリア美術の真骨頂はフィレンツェ、ローマだけではない。ということを言いたかったのだ。ミラノ、ヴェネチア、シエナ…。
今回、日本ではなじみの薄いミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館の収蔵品が公開されたことをうれしく思うとともに、西洋美術に対する関心がここまで広がったのかと感慨深く思う。というのは、一口に西洋美術といっても、多くの日本人は印象派かそれ以降の近代美術、あるいは宗教画とは思われていないフェルメールやレンブラントなどの風俗画を好んでいて、宗教美術は「分からない」とファンが激減するからだ。しかし、ダ・ヴインチ人気などでキリスト教美術に対する理解が増し、ファンが増えたのも事実だ。中でも「受胎告知」や「最後の晩餐」、「聖母子」などはあまりにも題材として有名で、ダ・ヴィンチ以外の作者のものであっても何が描かれているか分かるので、多くの人にとってそれなりに楽しめる。これら新約聖書の世界までは理解できるとしても、キリスト教以前となる旧約聖書の世界、キリスト教関連のお話であっても、イエスやマリア以外の聖人となればよっぽどの知識がないとお手上げである。かくいう筆者も聖フランチェスコなどはなんとなく分かるが、聖カタリナとくると誰だっけ?となる。
そういう意味で、今回ポルディ・ペッツォーリ展では、聖母子などのお決まりの題材から、この(アレクサンドリアの)聖カタリナ、聖ヒエロニムス、さらにはキリスト教美術の中でも特に日本では縁遠い中世の祭壇画などもあり、より広い意味で西洋美術を楽しむことができるだろう。
ミラノの貴族であったポルディ・ペッツォーリが19世紀私邸を美術館として遺すまでのコレクションが上記中世美術から、イタリア・ルネサンス、北方ルネサンス、バロックそして工芸品、タピストリーまで揃えた見事なものであったこと、そして少ない展示のなかで西洋美術の一部を堪能できたと感じさせるセレクトであったことが本展を成功に導いているのだろう。ただ、ミラノの美術館に実際足を運んだものとして、館の雰囲気と収蔵品の見事さは本展では実感できないとも思う。
ミラノには、ポルディ・ペッツォーリ美術館のほかに本展でも紹介されているヴェネチア派の作品が多く所蔵されているブレラ美術館、フランスゴシックとは趣の違う大聖堂、そして「最後の晩餐」を擁するサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会もある。モードに関心のない美術好きにも訪れたい街ではある。(「貴婦人の肖像」ピエロ・デル・ポッライウォーロ 1470頃)
ところが日本でも大人気のダ・ヴィンチは、フィレンツェでは工房修業時代を含め、のちの成功譚としての時代ではない(ダ・ヴィンチのフィレンツェ時代の偉業は後世の発見・評価によるところが大きい。)。むしろダ・ヴィンチがその名を馳せたのはミラノの時代である。それは「最後の晩餐」で明らかだ。教会の食堂壁画として描かれた作品は、幾度の受難にもかかわらず今世紀まで遺った。そして500年の時空を超え世界遺産として愛でられている。それはさておき、イタリア美術の真骨頂はフィレンツェ、ローマだけではない。ということを言いたかったのだ。ミラノ、ヴェネチア、シエナ…。
今回、日本ではなじみの薄いミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館の収蔵品が公開されたことをうれしく思うとともに、西洋美術に対する関心がここまで広がったのかと感慨深く思う。というのは、一口に西洋美術といっても、多くの日本人は印象派かそれ以降の近代美術、あるいは宗教画とは思われていないフェルメールやレンブラントなどの風俗画を好んでいて、宗教美術は「分からない」とファンが激減するからだ。しかし、ダ・ヴインチ人気などでキリスト教美術に対する理解が増し、ファンが増えたのも事実だ。中でも「受胎告知」や「最後の晩餐」、「聖母子」などはあまりにも題材として有名で、ダ・ヴィンチ以外の作者のものであっても何が描かれているか分かるので、多くの人にとってそれなりに楽しめる。これら新約聖書の世界までは理解できるとしても、キリスト教以前となる旧約聖書の世界、キリスト教関連のお話であっても、イエスやマリア以外の聖人となればよっぽどの知識がないとお手上げである。かくいう筆者も聖フランチェスコなどはなんとなく分かるが、聖カタリナとくると誰だっけ?となる。
そういう意味で、今回ポルディ・ペッツォーリ展では、聖母子などのお決まりの題材から、この(アレクサンドリアの)聖カタリナ、聖ヒエロニムス、さらにはキリスト教美術の中でも特に日本では縁遠い中世の祭壇画などもあり、より広い意味で西洋美術を楽しむことができるだろう。
ミラノの貴族であったポルディ・ペッツォーリが19世紀私邸を美術館として遺すまでのコレクションが上記中世美術から、イタリア・ルネサンス、北方ルネサンス、バロックそして工芸品、タピストリーまで揃えた見事なものであったこと、そして少ない展示のなかで西洋美術の一部を堪能できたと感じさせるセレクトであったことが本展を成功に導いているのだろう。ただ、ミラノの美術館に実際足を運んだものとして、館の雰囲気と収蔵品の見事さは本展では実感できないとも思う。
ミラノには、ポルディ・ペッツォーリ美術館のほかに本展でも紹介されているヴェネチア派の作品が多く所蔵されているブレラ美術館、フランスゴシックとは趣の違う大聖堂、そして「最後の晩餐」を擁するサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会もある。モードに関心のない美術好きにも訪れたい街ではある。(「貴婦人の肖像」ピエロ・デル・ポッライウォーロ 1470頃)