風俗画を多く描いたフェルメールの作品は「静謐」と評されることが多い。人物を描いた風俗画でさえ「静謐」と言われるのであるから、静物画はもっと「静謐」に違いない。と思ったら17世紀フランドル絵画でよく取り上げられた画題は「静物」で、それらはある意味「静謐」とは程遠い。ついさっきまで生きていたウサギが吊るされ、獲れたばかりの大きな魚が並べられている様はある意味躍動感にあふれている。
モランディの静物画は、20世紀の躍動感あふれるシュルレアリズムの時代にあって、「静謐」にこだわった。しかし、モランディがテーブルの上の壜や水差し、コップばかりだけ集中的に描いたのは1950年代。アメリカではポロック、デ・クーニングなど抽象表現主義が勃興し、モランディは対局を行ったかに見える。なんの変哲のないコップや水差しをしつこく描くまではモランディも自己のスタイルを模索していた。初期には、イタリア未来派を模倣してみたり、ルネサンス以前中世の画家ジョットや、光と影の画家カラヴァッジョ、さらには静物画における「存在感」としての18世紀のシャルダン、そして形態として多くを吸収したセザンヌの影響もあった。
だからであろう。モランディの静物画は、たんに「静物」を描いたのではない。それは、どのように壜や水差しをどの角度から光をあて、どの方向から描くか。念入りに丹念に幾度も幾度もの試行錯誤。並べ替え、光を当てなおし、絵具を選び、また最初からの繰りかえし。要するに、単に壜を並べているわけでも、同じ画題を繰り返しているわけではない。そこに妥協はないのだ。それが分かるのが、同じように見える作品でも配置、色使い、コントラストなど微妙に変化していることだ。
なぜ、モランディはそこまで同じ画題にこだわったのか。実はモランディはパリやロンドン、ニューヨークといった同時代の美術シーンを牽引した都市に一度も行かなかったそうである。その分、多くの作家がモランディの元を訪れたそうであるが。モランディは、ほとんど自宅のあるボローニャから出ず、訪れたのはルネサンス美術の華フィレンツェばかり。偏屈にも見える。しかしこれだけは言えるだろう。壜や水差しをしつこく描いていたからといって、美術「世界」から遠ざかっていたからでも、絵画の将来に興味がなかったからでもないことを。その証として、モランディは訪れる作家たちの情報をもとに絵画の将来に接していた。そして外に行かない分、同じ画題にこだわることによって、どうすればもっといい絵が描けるだろうかと日々苦悩していたに違いないからだ。でないと、素人目からは同じに見える絵をあれほど描き続ける苦行を続けることはできない。
「終わりなき変奏」。本展のテーマだ。同じ画題をずっと描き続けることは「終わり」なく、しかし、そうであっても徐々に「変奏」することが予定されている。「変奏」という語は、「変奏曲」以外で使うことはほとんどない。リズムが変わる、調が変わる「変奏」は、モランディによって音の世界ではなく絵画の世界でもそれが実行されたのだろう。
イタリア未来派の模倣と先に述べたが、モランディの静物画はよく見るとジョルジュ・デ・キリコを彷彿とさせる(現にモランディはある時期、キリコに傾倒していた)。そう、静物=still lifeではなく、むしろシュルレアリズムなのだ。そう分かると、瓶の一つひとつ、水差しの一本、一本も具体性のあるそれではなく、もランディの創造の範疇から出でたアブストラクト(抽象)に見えるから不思議だ。