フランスは揺れている。映画の冒頭、学校にムスリムの生徒がスカーフを被ってやってくる。バカロレア(高校卒業・大学受験資格国家試験)の合格証明書を取りに来ただけなのに「校内ではスカーフを取」るよう教師に言われ、揉める。在校時はスカーフをはずしていたのに。フランスのライシテ(世俗主義)は公の場で徹底的に宗教性を排する。学校でイスラム教の象徴であるスカーフは許されないし、十字架も隠せと言われる。それは宗教的権威や王制を否定した共和制の証と伝統なのであろう。しかしトリコロールの青「自由」は、自由であれというあまり、時に規制の方向へ走る。スカーフが学校でムスリムを多数派にするわけでもないし、ましてやイスラム原理主義の温床になるとも思えない。自由が不自由を生み出すジレンマ、これもまた民主主義的共和制の苦悶の姿でもあるのだろう。
パリ郊外の移民の多い地域クレテイユのレオン・ブルム高校の1年生ゲゲン先生のクラスは荒れ放題。授業中に化粧はするわ、ヘッドフォンを離さないは、授業妨害、けんかも。アフリカ系、アラブ系、日系の子もいる。成績は最低、無断欠席も多く「問題クラス」。歴史地理と美術史を教える担任のゲゲン先生は、生徒らに目標と一緒に作り出すことの大切さを教えようと提案する。「ホロコーストでの子ども、若者のことを調べてコンクールで発表しよう」と。もともと授業もきちんと聞いていないし、「調べる」訓練もしていない生徒らは興味も持たず、あるいは「できるわけがない」。そもそも彼らには家庭での学習環境が整っていない。アル中の母親を持つレアは将来「生活保護で生きる」とい言い放つ。けれど、みんなが少しずつゲゲン先生の情熱と生徒に対する信頼に気づき、熱心に調べ始めたころにはレアも変わる。強制収容所経験のある、ユダヤ出身の政治家シモーヌ・ヴェイユの自伝を読んではまりこんでいくのだ。極め付けはアウシュビッツからの生還者レオン・ズィゲルが生徒らに自身の経験を語った場面。いくらインターネットでサクサクと調べても、文献で読んでも感じられなかったホロコーストの実態を、証言者の語りに、真実の訴えに、あれだけ落ち着きなく騒いでいた子どもらが沈黙、引き込まれ涙する。生徒の「宗教があなたを生き残らせたのですか?」という質問にズィゲルは答える。「いえ、私は無神論者です。がんばったことを後で自慢しようと思ったこと、それが支えでした」。なんのことはない、ズィゲルもいいかっこをしたかったブルム校の生徒と同じ10代の普通の子どもだったのだ。
出来すぎだが、レオン・ブルム校の生徒とゲゲン先生の発表はコンクールで一等賞をとる。けばけばの化粧だったレアは、コンクールのプレゼンテーションですっぴん、堂々とグループの成果を述べる。しかし本作はノンフィクションであるところがすばらしい。ゲゲン先生は名前こそ違うが、高校も生徒も実在で、ゲゲン先生のモデルとなった教員は今もその高校の教壇にたっている。
生徒の中アラブ系で、次第に熱心なイスラム教徒と変化していく男子は、同じくアフリカ系ムスリムと諍いをおこす。「なぜ、モスクに来なかったのか」。名前もムスリム的に変え、ユダヤ人虐殺を指弾することは、イスラエル称揚につながるとグループ学習に距離をおく。結局彼は、共同作業はするが、コンクールの発表・表彰式には参加しなかった。一方、人種を超えて共同作業の価値を知った生徒は街中でムスリム差別に直面する。さらに学習の中で分かったのは、ナチスドイツに支配され、傀儡となったときのフランスはすすんでユダヤ人やその子どもを強制収容所送りとして差し出したことも。
自信と目標、学び続けることの大事さを知った彼ら彼女らはゲゲン先生のクラスを離れた後も、バカレロアで優秀な成績でとおった者が多いという。しかし、度重なる「テロ」で分断がすすむフランスでは、来年の大統領選で極右・排外主義の国民戦線のマリー・ルペンが勝ち抜くこともあり得る様相。すでに日本ではグローバルスタンダード的には「極右」の安倍政権が盤石。先ごろアメリカではレイシストのトランプ大統領が誕生した。EUを離脱したイギリスに、オーストリア、ハンガリーなど排外・右翼政権の誕生がヨーロッパを席巻している。
なにごとにも、とことん議論を尽くし、「自由」と「平等」、「寛容」を旨とするフランスのそれら価値は「教室」から生まれ、育まれる。軍国少女、戦後その反省から民主教育にまい進した北村小夜さんは、「戦争(軍国主義)は教室から生まれる」と指摘した。「奇跡の教室」の原題は「受け継ぐ者たちへ」。受け継いでほしいし、受け継いでいいと思ってもらえるほどの引継ぎが、戦争を知る者と、その橋渡しを紡いだ世代の責任である。