今や日本の芸術祭で「老舗」となった感のある横浜トリエンナーレは今回が6回目である。今年カッセルで開催されたドクメンタ14の紀行で日本の芸術祭の非政治性に辛口のコメントを書いたが(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/8b8c35c50a9086d6e2d3da90a555ee0c)、少なくとも今回のヨコトリは政治的メッセージが豊富であった。今回のタイトルは「島と星座とガラパゴス」。その意は「アートの世界だけにとどまらない現代社会の抱える課題に取り組」む姿勢である(本展あいさつ)。「現代社会の抱える課題」とは何か。それは日本以外の多くの作家が取り上げた難民の問題であり、ポピュリズムの問題である。
主会場である横浜美術館正面にはアフリカや中東からヨーロッパへ向かった難民を乗せたゴムボートが建物の壁一面に(Reframe)、使用済みの救命胴衣でできた巨大なポールが2塔(安全な通行)。作者のアイ・ウェイウェイは大がかりなインスタレーションで知られるが、自身の出身中国の厳しい検閲状況を示唆する陶器製の無数の蟹も展示した(「河の蟹」(協調)。中国語の「蟹」が政府のよく使用する言葉と同音異義語だが、同時にネット上では「検閲」の意味を持つという。)。
デンマーク出身のオラファー・エリアソンは「Green light アーティスティック・ワークショップ」で簡単で再利用が可能な素材をいろいろなバックボーンを持つ参加者が話し合い、協働することで完成させる過程を描いている。作品で得られた収益は難民支援団体等に送られるという。
国内の作品はどうか。自身、学校になじめなかったという風間サチコは軍事教練を想起させる組体操と富士山や戦車を対峙させた壮大な絵巻風木版画を、木下晋はハンセン病患者で詩人の故桜井哲夫の写実デッサンを、今や世界で活躍する写真家の畠山直哉は、東日本大震災で大津波の被害を受けた故郷・陸前高田を撮り続ける。
本展のテーマは「接続」と「孤立」。難民を受け入れるのが「接続」なら、それまで「孤立」していた難民を排除するポピュリズムもまた「孤立」と親和性が高いのではあるまいか。一方、難民問題が現実化していない日本は、福島第1原発の事故で、世論では原発再稼働反対が多数を占めるのに、政府・財界は原発再稼働にまい進する中、そのような姿勢に問題提起するのが柳幸典のインスタレーションである。水素爆弾によって突然変異した怪獣、ゴジラをほうふつさせるが、地下で巨大な眼ががれきの中から鋭くこちらを見つめている。同時に周囲に憲法9条のアーティクルが赤く煌く。これほど政治的メッセージが強い作品も珍しいが(柳は「日の丸」を模した赤い土を蟻が侵食していく「蟻と日の丸」も展示されている。)、これらの作品が日本最大級の美術展で、横浜市やNHKが主催となっていることに(外務省や神奈川県も後援している。)少々驚きを禁じ得ない。それほど、日本の美術展はさまざまなシーンで萎縮を見せいていたからである。
横浜美術館の順路展示の最後の「Why Are We? Project」は興味深かった。インターネットで「Why is Japan」とグーグル検索すると続いて「so safe」だとか「so cool」などと、どのような語が頻度が高いかを世界中の国名を入れて一覧にしているのだ。これはそれの国に対するパブリックイメージであるとともに、モノイメージでもある。ここ数年の強権的な政策と立法(特定秘密保護法や共謀罪など)で、国民の知る権利などが侵されていると国連特別報告者から指摘される日本は、はたして国民はsafeでcoolと実感できるだろうか。自由や民主主義といった一応普遍的な価値観のなかでガラパゴス化する日本を垣間見たような2017のヨコトリであった。(柳幸典「蟻と日の丸」)