以前、このブログでジソウを紹介した(見捨ててはいられない。見ないふりはできない。「ジソウのお仕事」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/3511eee03c4e43beccd6466aef756e18)
著者の青山さくらさんは現役の児相職員であるが、ブレイディみかこさんは、「底辺託児所」の保育士である。イギリスでの保育士資格が日本より厳しいのか、どれだけ異なっているのか分からない。しかし、これだけは言えるだろう。イギリスの「底辺託児所」(貧困層の暮らす地域にあり、利用者の多くがそうである。)の現実は、イギリスで独特の世界を形作る「階級」と、日本よりはるかに多く雑多な移民層を抱えているという意味でキツく、予見不能で、リアリズム故の希望があることを。
「底辺託児所」と呼んでいるのは、利用する層が底辺であるから。通う子の保護者はたいていシングルマザーで、アルコール、ドラッグなどの剣呑を抱え、子どもたちはその影響を直に受けている。母親が殴られる「面前DV」を日常的に経験している子は、暴力的で2、3歳といえども気が抜けない。年齢以上に表情の乏しい子、そのような年で大人を舐めきっている視線の子、「ファッキン」とまだ少ない語彙の合間に必ず挟まれる「下品な」口癖。不安定な母親に育てられた子どもらは安定を唯一この託児所で得る。が、それは簡単ではない。一つは、そういった親らが自立、自律することの困難。自業自得や自己責任と突き放すことは簡単だが、突き放しても子どもらは救われない。重層的、複雑さをまとう差別の構造。「成功した」移民層が、努力しない(と見なす)同じ移民や、英国白人層という恵まれた環境にありながら堕落した人たちとして、差別、時に排除する。うちの子をあんな人の子と遊ばせないで、と時に露骨に保育士たちに詰め寄る。しかし、ブレイディさん自身が東洋からの移民で、連れ合いはダンプの運転手という決してアッパークラスではない。所の責任者はイラン系である。それでも労働党政権の頃には、補助金もあり、それなりに運営がなされていた。ところが保守党政権になるや、補助金カット、移民のための英語塾併設でなんとか凌いでいたもののそこも危うくなり、やがて底辺託児所は閉鎖へ。フードバンクとなった。
本書の構成が面白くできているのは、最初に著者が底辺託児所の後経験した「緊縮託児所」(底辺託児所が、数年後復活したが、予算が限りなく減らされ、設備もろもろ悲惨なくらい「緊縮」を厳然と示しているから、そう命名)のお話がきて、その後に懐かしい!「底辺託児所」の項が続くというもの。そう、はちゃめちゃだけれどもなんとか回っていた底辺は、もう、はちゃめちゃの前に回らなくなった緊縮も姿が。そこから取りこぼされる貧困層が減ったわけでもないのに。
本書は、著者が「みすず」に連載してた寄稿エッセイをまとめたものだが、金言、名言にあふれている。「社会が変わるということは地べたが変わるということだ」、「アンダークラスの腐りきった日常の反復の中にも祈りはある」「わたしの英国は、ロックやグレアム・グリーンではない。路傍に落ちた温泉饅頭だ」…。そして「インクルージョンは、人間関係の計り知れないもやもやを濃厚に増大させる」から「政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ」。
ブレイディさんがこの書を上梓した後、素晴らしいバイタリティとエネルギー、そして時に非情に見えるリアリズムで好著を連発しているのはご存知の通りである。
(『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』2017年 みすず書房)