kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

大阪中之島美術館・奇才絵師の魔力「大阪では13年ぶりの歌川国芳展」 

2025年02月05日 | 美術館・博物館
2013年6月に大阪歴史博物館で開催された
「特別展 あやしい絵展」へ行った時から


「歌川国芳展」が開催されるのを楽しみにしていました。
あれから12年経ちましたが・・・
大阪中之島美術館で開催されると知り行ってきました。



大阪中之島美術館を守る猫
21世紀に羽ばたく『シップス・キャット(ミューズ)』



混むだろうと思い早い時間に行ったのですが
もう~こんなに並んでいます。



でも、少し並んだだけで会場の4階へ



楽しみにしていた「歌川国芳展」です。(^^♪
幾つかの作品は写真OKだと教えて頂きました。


●39 「坂田怪童丸」

現在は金太郎の名で親しまれていますが


江戸時代には正徳2年(1712)、近松門左衛門の浄瑠璃では
怪童丸とされ、怪童丸の名が用いられることが多い。


●65 「相馬の古内裏(そうまのこだいり)」

相馬の古内裏は、相馬小次郎こと平将門が下総国に建てた屋敷で、将門の乱の際に荒れ果ててしまっていた廃屋。


妖術を授かった将門の遺児滝夜叉姫と良門は、父の遺志を継いでこの廃屋に仲間を募り、やがて妖怪が出没するようになる。

それを知った源頼信の家臣、大宅太郎光国は妖怪を退治してその陰謀を阻止する。原作では複数の骸骨が現れるが、国芳はこれを巨大な一体の骸骨に置き換えています。


●214 「忠臣蔵十一段目夜討之図」

夜に紛れ、吉良邸へと討ち入る赤穂浪士です。



ほぼモノクロームで描かれた吉良邸と浪士たち。

本図は、ニューホフ著「東西海陸紀行」の
銅板画挿絵を元にしたとされています


●296 「流行猫の変化」

様々な鬘や被り物を切り抜き猫の頭に重ねて遊ぶ、子供向けの玩具絵。当時の猫の浮世絵人気に当て込んで制作されたのでしょう。


人間の髪型から、頬被り、手ぬぐいの被り物、さらには福禄寿、大黒天、豆腐小僧といったキャラクターまで全部で13種類。猫の着物には鯖や小判といった猫の定番の組み合わせが描かれています。


326 「みかけハこハゐがとんだいい人だ」

見かけは怖いがとんだ良い人だ
15人の男性が体を使って顔や手などを表現しています。


当時、貝や瀬戸物など、身の回りの道具を組み合わせて別の物を作り出す細工見世物が人気を博しており、国芳もそのあたりからアイデアを得たのであろう。

「大ぜいの人がよってたかってとうといゝ人をこしらへた とかく人のことは人にしてもらはねばいゝ人にはならぬ」という教訓めいた文章が添えられています。



江戸末期の浮世絵師、歌川国芳展(1797ー1861)
国芳が12歳の頃に描いた鍾馗図が、初代歌川豊国の目に止まり豊国門に入る。風景画・武者絵・風刺画などざまざまなジャンルを描きお江戸を沸かせ、豊国(三代)、広重と並ぶ人気絵師になりました。



大阪では13年ぶりの「歌川国芳展」
帰る時にも来た時と同じく多くの人が並んでいました。
コメント (1)
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1月度ハイキング 「しょうざんリゾート京都 わかどり」

2025年02月02日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
今日は節分なので、西南西の方角を向いて恵方巻を食べました。
そして「1月度ハイキング 鷹峯」は、今日で終わります。


光悦寺を後にして
しょうざんリゾート京都に向かっています。



趣きのある建物ですが、写真右に見える建物が「然林房」です。鷹峯は紅葉の季節が良いと思ってましたが、この辺りには桜の名所「光悦荘」があるところでした。



勾配ある「千束坂」を下って行くと・・・
左に「古道 長坂道」の入口がありました。



古道の、この辺は緩やかな道ですが
勾配のある足元が悪い道の所もありました。



少し歩いていくと
「しょうざんリゾート京都」の前に着きました。



ここは10年程前に来たことがあるので
その時のことを、このブログに残しています。



京料理を「紙屋川別館 湧泉閣」で頂いた時は
写真の正面に見える門を入りましたが
今日は「わかどり」で、昼食を頂きます。(^^♪



こんな可愛いベンチがありました。



わかどりには、お世話人さんが
平日ランチを予約してくれています。



お店までは、広い庭園の中を歩いていきます。



「わかどり」のお店が見えてきました。



「名物だれの鶏唐御膳」美味しかったですよ。



デザートもありました。



紙屋川は
昔、タスキ掛けの職人が紙を漉いたという渓流です。



帰り道で見えたのは
ヨーロッパの邸宅を思わせる木組みの洋館です。



ノベルヴィラガーデンには、森の中に2つの貸切邸宅があり
結婚式などで利用されるそうです。



1月度ハイキングは
源光庵から光悦寺、しょうざんリゾート京都でした。
この後は、金閣寺の前まで歩いて解散しました。

行きたいと思っていた「源光庵・光悦寺」ですが、京都の近くに住んでいても行く機会もなく、今回が初めての鷹峯でした。
お世話さん、参加者の皆さんに感謝です。
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1月度ハイキング 京都・鷹峯「光悦垣と鷲ヶ峰・鷹ヶ峰の眺望 光悦寺」

2025年02月01日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
今日から2月ですが・・・ 1月度ハイキング 
③ 源光庵「悟りの窓・迷いの窓・血天井」のつづきです。


「光悦寺」は、源光庵からすぐ近くの所にがありました。



江戸時代初期に、本阿弥光悦が徳川家康から与えられ、光悦の一族や芸術仲間たちがこの地に移り住んで、芸術村を築きこの地から数々の芸術作品が生まれたのです。



風情のある石畳です。


本堂

お寺が創建されたのは光悦の死後でした。


~~~ 境内には、7つの茶室 ~~~

大虚庵・三巴亭・了寂軒・徳友庵・本阿弥庵・騎牛庵・自得庵

●三巴亭 (さんばてい)

「過去・現在・未来」の意味があると言われている三巴亭。


●大虚庵 (たいきょあん)光悦垣

本阿弥光悦が晩年過ごしたとされる大虚庵です。



割り竹を粗い目の菱形(ひしがた)に組み



割り竹の束をのせて
頂部がゆるい曲線を描いています。



「光悦垣」の名前は
本阿弥光悦がこのデザインを好んだことが由来だそうです。



左に行く道が見えました。
その先には、本阿弥光悦の墓所があります。



本阿弥光悦は、80歳で亡くなりました。
永禄元年(1558年)京都に生まれ、寛永14年(1637年)


●了寂軒



アセビ



ツツジ科 Ericaceae

名前は分かりません。


●翹秀軒(ぎょうしゅうけん)




本阿弥一族の墓所もありました。


●本阿弥庵




この説明板は、本阿弥庵の前左端にあります。

「翹秀軒・本阿弥庵」からは
眼下に、鷲ヶ峰、鷹ヶ峰、東山などが見下ろせますが
翹秀軒では、所狭しに休憩されていたので撮りませんでした。



説明板の左、東山・船岡山方面



そして左が鷹ヶ峰、小さい山の右に少し見えているのが



この鷲ヶ峰です。



この後は、いま来た道を戻り「光悦寺」を後にします。



円型の悟りの窓、角型の迷いの窓の「源光庵」と
光悦寺への道は「東海自然歩道」でした。

この後は、お昼時間が近くなり
「しょうざんリゾート京都」へ続きます。
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1月度ハイキング 京都・鷹峯③ 源光庵「悟りの窓・迷いの窓・血天井」

2025年01月28日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
② 源光庵「丸い窓のある山門から書院」のつづきです。


書院から見える本殿へ向かいます。



本殿に入る廊下の敷居に
「萬徳殿」の扁額が掲げられています。



そして、本殿の入口から見えたのは
「伏⾒桃⼭城遺構の⾎天井」



本殿に入って右に見えたのは
「悟りの窓」と「迷いの窓」です。


悟りの窓

何事にもとらわれないおおらかな気持ちを
「禅と円通」の心で表しています。


迷いの窓

生きることや病、死ぬことなど日々のさまざまな苦しみの
「人間の生涯」を表しています。

どちらも仏の教えで、枯山水の庭園が見える窓でした。



あれは・・・?
茨木市「総持寺」・伊勢寺・金戎光明寺で見たことがある



少し耳が長いのですが「亀趺(キフ)」だと思います。



血天井 手形跡と



天井いっぱいに見えるのは



本堂の⾎天井は、伏⾒桃⼭城の遺構です。

慶⻑5年7⽉(1600年)徳川家康の忠⾂、⿃居彦右衛⾨元忠⼀党1800⼈が⽯⽥三成の軍 勢と交戦し討死、残る380余⼈が⾃刃したときの恨跡です。



⿃居元忠は「三河武⼠の鑑」と称される武将で
血の付いた床板を供養の為にこちらに移したものです。



ここにも足型跡が・・・

2024年9月度ハイキングで
模擬天守「伏見桃山城」へ行ったことが思い出されます。

京都には、養源院、正伝寺など
いくつかの寺に血天井が移築されていますが

私が血天井を初めて見たのは
2014年11月の「京都 ・大原 宝泉院」でした。



源光庵を後にして「光悦寺(こうえつじ)」にむかいます。
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1月度ハイキング 京都・鷹峯 ② 源光庵「丸い窓のある山門から書院」

2025年01月25日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
京都・鷹峯「源光庵(げんこうあん)」のつづきです。


通り過ぎた総門を見て駐車場に戻ると
他の人たちが山門に向かっていたので追いかけました。


山門

山門の上部分に「白い丸窓」が2つあります。
窓がある山門を見るのは初めてです。



山門の扁額「復古禅林」


右に鐘楼




山門を入ると正面に「本堂」が見えました。

本堂は卍⼭禅師に帰依した⾦沢の富商・中⽥静家居⼠の寄進によって元禄7年に建⽴され、ご本尊として華厳の釈迦牟尼佛、脇⽴に阿難尊者、迦葉尊者をお祀りしています。



本堂の扁額は「大寶荘厳」



本堂の右側に受付があります。
拝観料は大人400円(紅葉の季節 11月は500円)です。


書院の間

本殿の前に、書院から・・・



約3,000年前の屋久杉から作られたという「屋久杉屏風」



山口雪溪は漢画系の絵師です。








枯山水庭園

本堂と書院の北には
釈迦谷山を借景にした「枯山水庭園」



書院の廊下から本堂を見ています。

「悟りの窓・迷いの窓・血天井」の本堂へ行きますが
長くなりますので、次へと続きます。
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1月度ハイキング 京都・鷹峯(たかがみね)「洛北の名刹! 源光庵」

2025年01月24日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
1月度ハイキングに参加してきました。


JR京都駅前・四条大宮駅から
京都市営バス6号系統に乗り「鷹峯源光庵前」で下車して
源光庵に向かっていますが、ここが源光庵では・・・?
と思いながら、皆の後について通り過ぎて行きました。



入ったのは源光庵の駐車場からでした。
駐車場に「伏見桃山城の遺構 血天井」


9月のハイキングで行った「伏見桃山城」に
慶長5年(1600)家康の家臣である鳥居元忠と約300名の武士が、伏見城で切腹した血糊の床板を養源院(京都市東山区)の天井に使われています。

関ヶ原の戦い後、血糊の床板を見た家康が鳥居元忠らの忠義に供養するため、徳川家にゆかりある寺院で血糊の床板を誰にも踏まれることのないようにするため天井板にしたのでした。


源光庵の天井にも使われていたのですね。



駐車場で、みなさんが立ち止まっている間に
参道を通って、先ほど通り過ぎた右に見える「総門」へ



総門を目の前にして見てきました。

源光庵(げんこうあん)は
京都市北区鷹峯にある曹洞宗の寺院。
山号は鷹峰山  本尊は釈迦如来
正式には、鷹峰山寶樹林源光庵です。



正面に掲げられている扁額「源光善照」は
創建時から伝わるものだそうです。



皆のいる駐車場に戻ってきました。
その先に「山門」が見えています。

長くなりますので、私が源光庵で見たかった
「悟りの窓・迷いの窓」から眺める絶景へと続きます。
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栴檀の木と、風見鶏の見えるお墓参り

2025年01月23日 | Weblog
今年2回目のお墓参りをしてきました。


5月に、花がいっぱいの「栴檀(せんだん)の木」が
6月には、かわいい実が付いて「花と実の共演」になります。
この写真は秋に撮りました。



そしてお墓を掃除していると
この「風見鶏」も見えます。

今月は月命日の次の日が、亡くなった母のお誕生日。
だからでしょうが・・・お墓の前で思い出したのは
懐かしいお誕生日のお祝いをした時のことでした。

母が亡くなった時に、従兄弟のお嫁さんが
「お母さんに良くして貰ったから・・・」と言って
数年も、月命日にお供えのお花を届けてくれました。

その従兄弟の長男(40代)が、昨年亡くなったので
私も、月命日にはお供えのお花を送っています。


11月に送ったお花「睡蓮花」



12月に送ったお花「ビックリップ」



1月の命日に届くお花「ゆづき」

お花は日比谷花壇さんから送って貰いましたが
私が嬉しかったように、喜んで貰えると嬉しいです。

次は、1月のハイキングで行った
京都・鷹峯「悟りの窓・迷いの窓 源光庵」です。
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今年初のビックリは「2025年1月分のガス料金」 (^_^;)

2025年01月21日 | Weblog
ポストに入っていた、今年1番のガス料金は・・・


我が家には、最近なかった高額のガス料金でした。
マイホーム発電の8999円が引かれた金額なので
引かれなかったら35000円以上のガス料金でした。

家にいる時間が長いことや、床暖房も使っていますが
1階全部の部屋をオープンにしている事からのようです。

見た時は「え~っ!」と見直すほど驚きました!
これが、私には今年初のビックリでした。(^^ゞ

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坂の上の猫と、野良ちゃん

2025年01月20日 | Weblog
今朝は、冷たい雨で家の前が濡れていました。


いつからか・・・雨戸を開けると
お向かいの給湯器の上に野良ちゃんの姿がありました。

温かい上で気持ち良さそうにしていましたが
カメラを向けると、こんな表情に・・・
なので、雨戸を静かに開けるようにしています。

でも今朝は、野良ちゃんの姿がありません。
最近の家は、庇(ひさし)が短いので雨が降ると濡れるので
濡れない所にいるのでしょうが、寒いので気になります。



数日前、駅前に出ると大きな猫の絵が描かれた垂れ幕。
それは・・・

「プリン専門店♪坂の上の猫♪ 」

猫が大好きで5匹の保護猫と暮らしている源田 晃一さんは、愛媛県松山市にて「プリン専門店 坂の上の猫」を経営して、プリンの売り上げの一部を保護猫活動に役立てたいと思っているそうです。
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2025年の「節分は4年ぶりの2月2日」

2025年01月19日 | Weblog
チョッと早いですが、節分と言えば2月3日のイメージがあります。
でも、2025年の節分は4年ぶりの「2月2日」です。


京都・神泉苑

世界遺産・二条城の南に位置する神泉苑に



千二百年の歴史ある境内の「法成橋」を渡ったところに、今年の恵方を祀る「歳徳神さま」を礼拝する恵方社(写真右端)があります。 ※恵方とは歳徳神(としとくじん)という神様がいる方角。


2025年の節分は、2024年がうるう年にあたることから
立春は2月3日になり、4年ぶりの2月2日になります。

節分は
季節を分けるという意味の雑節(ざっせつ)で、各季節の始まりである立春・立夏・立秋・立冬の前日を指すはずです。いまでいう『節分』は、そのうち立春の前日だけが残ったものとされ、立春が定まれば節分もその前日として定まるわけです。


今までの恵方は
 2013年:南南東
 2014年:東北東
 2015年:西南西
 2016年:南南東
 2019年:東北東
 2017年:北北西
 2018年:南南東
 2019年:東北東
 2020年:西南西
 2021年:南南東
     2021年は立春が1日ずれて2月3日なので
     その前日である節分も2月2日になる。
     ※2021年から4年ごとに「2月2日」になる。   
 2022年:北北西
 2023年:南南東
 2024年:東北東
 2025年:2月2日 2024年がうるう年にあたることから
     立春は2月3日になり、節分は4年ぶりの2月2日。
    

※西暦年号が4で割り切れる年をうるう年とします。
 例外として、西暦年号が100で割り切れて
 400で割り切れない年は平年としています。


※恵方は、気付かれたと思いますが
「東北東」「西南西」「南南東」「北北西」の4方向だけです。
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