kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

「ROUTE271→丹青」に変わっても行列のできるパン屋さん

2025年02月17日 | 食楽
●2011年03月30日

高槻市役所から少し北側に美味しい焼きたてのパン屋さん
「ROUTE 271」が開店しました。

9時にオープンだったと思うのですが
9時過ぎに通ると...もうこんなに列が・・・


●2015年09月
お店の前を通る度に気になっていると
人気のパン屋さんだった「ROUTE271」が
激戦区でもある梅田に移転の貼り紙があり

2015年9月16日オープン
JR大阪駅、阪急梅田駅に挟まれた梅田の一等地で、周辺には「グランフロント大阪」やデパート群の中で、9月15日までプレオープン中でも行列が絶えない状態に。


●2023年5月

創業の地 大阪・高槻に移転して
ROUTE271の看板を捨て「丹青(たんせい)」に改名。



不定休で・・・開店日を店先に貼り
開店日には、オープン時間前から行列が出来ています。

このパンがすごい!
大阪の人気店が名を改め再出発/丹青の記事がありました。

その記事には
たくさんのスタッフを抱えた経営者の立場よりパン職人の立場を優先し、すべて自分の目の届くところでパン作りを行う、パンの全面リニューアルしたのでした。

並ぶのは苦手だけど、買ってみたくなりますね~
もう少し暖かくなったら並んでみようかな。(^^ゞ
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神戸市中央区「Santo Bevitore」でランチしてきました。

2025年02月16日 | Yファミリー
先週は、私のお誕生日がありましたが、昨年の12月に小2年生の孫が「みどりの絵コンクール」で入賞していたお祝いもあります。

今は小5のお姉ちゃんも、2021年にこども絵画「未來のまち 夢のわが家」で入賞したことがありました。


友人からは「当年取って?才ですね。おめでとう~」のメールを頂きましたが、最近の私のブログも10年ほど前の記事が多かったのは偶然でしょうか。これからは当年取った気持ちになり楽しみます。



息子と、MIちゃん



そして、二人の孫に渡します。


「Santo Bevitore(サント ベヴィトーレ)」

お店に入ると、すぐに満席なので写真はお借りしました。



お料理が来る前に
孫たちとプレゼントの交換です。

5年生の孫は、電話でモナリザの話をしていたので(嬉)
2年生の孫は、手づくりチョコです。(驚)



孫の塾が夕方からある日なのでランチにしましたが
シャンパンで乾杯です!


石窯ピッツァとワインのお店

14ヵ月熟成 生ハム



子供たちもコースより
色んなお料理を少しずつの方が良いからと



息子が予約してくれていました。



シャンパンの次は、白ワインで・・・



牡蠣も・・・



孫たちがナイフとフォークを使うのを見るのは
初めてでしたが、とても上手なのでビックり!



この後は、ケーキを頂きたいお店に向かいましたが
そのお店も人気のお店で写真は撮れませんでした。

ケーキを食べた後は、私と一緒の時は通常になっている
本が好きな孫たちとジュンク堂へ向かいました。

5年生の孫はお正月に家族旅行でイギリスへ行った時に、ロンドンの『ハリー・ポッター』シリーズで主人公が魔法学校へと向かったキングス・クロス駅「9と4分の3番線」がある駅に行ってからファンになり、本を幾つも持っていますが・・・

今日は横長のハリーポッターの本を(1冊4000円ほど)選んでました。私も好きだったのでどんな本なのか気になります。(^^ゞ
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2014年 京の夏の旅・しょうざん庭園「酒樽茶室と聴松庵」

2025年02月12日 | 京都
しょうざん庭園「紙屋川別館 湧泉閣で京料理」のつづきです。

紙屋川

昔タスキ掛けの職人が紙を漉いたという「紙屋川」を渡ると


酒樽茶室

景色は一変してました。
酒樽に茅葺をのせた酒樽茶室です。



こちらが入口のようです。



お茶室に近いところに門があります。



特別公開の峰玉亭が見えてます。



ここにも、酒樽のお茶室があります。


聴松庵(ちょうしょうあん)

案内板がありました。

裏千家11代・玄々斎(げんげんさい)自らの設計による茶室で
「下座床(しもざどこ)」の様式を用い、突き上げ式の窓です。

明治維新、廃藩置県の際に大徳寺から何度も場所を変えて
移築を繰り返しながら、しょうざん庭園に落ち着いたそうです。

私が見てきた「しょうざん京都」の、ほんの一部ですが
自然美豊かな京都の洛北・鷹峯にたたずむ穴場庭園でした。
2014年 京の夏の旅・しょうざん京都は終わります。
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2014年 京の夏の旅・しょうざん庭園「紙屋川別館 湧泉閣で京料理」

2025年02月10日 | 京都
しょうざんの迎賓館「文化財時別公開 峰玉亭」のつづきです。

2014年 第39回京の夏の旅 特別公開の峰玉亭を出たあと
同じ庭園内にある「紙屋川別館 湧泉閣」に向かいました。


ここは、今日のお昼を頂く「紙屋川別館 湧泉閣」です。



屋根を見ると・・・



冷製の炊き合わせに、冷やし茶碗蒸しがあります。

「梅干しだと思ったらトマトだわ」の声が聞こえたので
私も炊き合わせの赤いのを食べると、それはプチトマトでした。
品数も多く美味しかったので満足のお昼でした。(^з^)-☆


紙屋川

昔タスキ掛けの職人が紙を漉いたという「紙屋川」。



紙屋川は
天神川の上流部の呼び名で、古くは「西堀河」でした。

「天神川」の名は
中流で北野天満宮の西を流れているからだそうです。


「京料理 紙屋川」で見たお花

「金水引 (きんみずひき)」
一番上の黄色い花は、黄色の5弁花が咲き
葉っぱは3つに裂けギザギザで服にひっつきます。

金箔(きんぱく)色の水引や元結(もとゆい)のことを「金水引」といいますが、この花の形がこの「金水引」に似ていることから命名。

その下の白い実は 「ヤブミョウガ(藪茗荷)」
ツユクサ科ヤブミョウガ属の多年草で、日本では関東以西に分布する在来種。名前の由来 は、藪に生えていて葉が茗荷に似ている事から命名。

一番下の花は、ご存じの方も多い 「ホトトギス」
茎が湾曲や下垂して花を咲かせる姿は風情があり、山野草として 人気の植物で斑点のある花びらが、ホトトギス(鳥)のお腹にある模様と似ていること命名。

再投稿ですが「酒樽茶室と裏千家設計の聴松庵」へ続きます。
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2014年 京の夏の旅・しょうざんの迎賓館「文化財時別公開 峰玉亭」

2025年02月09日 | 京都
2014年 京の夏の旅・洛北にひろがる「しょうざんリゾート京都」再投稿の続きです。

普段は非公開の「峰玉亭(ほうぎょくてい)」

峰玉亭の玄関
北山台杉や紀州青石で造られた、約3万5000坪の広大な「しょうざん庭園の中に建つ峰玉亭」は、創始者 松山政雄氏が昭和30年代に建てた数寄屋造です。

約3年の歳月をかけた峰玉亭の完成(1965)を見ずに
松山政雄氏は亡くなられたそうです。


栖鳳(せいほう)の間

初めに案内された部屋は
竹内栖鳳の掛軸がかけられ、部屋の名前になっています。

一枚板の床に南天の床柱、家にも南天はありますが・・・
こんなに太い南天は初めて見ました。



そして狩野派の襖絵です。



廊下の床財は「とちの木」です。
(肌触りが良くて裸足で歩きたいほど)



廊下の天井部分も、各地から集められた竹で凝っています。
(すべての天井に、凝った竹が使われていました。)



こんなお部屋も・・・



ここは、金箔の襖のお部屋です。



いま通ってきた廊下の端に鶏の襖絵が・・・
これは伊藤若冲が描いたものです。


商談に使われた部屋「吉井勇の間」

「吉井勇の間」は、部屋の片側が書院棚のようになっていて
棚に商品(着物)を並べ、お客さんに品定めをして貰います。

※吉井 勇氏は、大正期・昭和期の日本の歌人・劇作家・小説家。



「吉井勇の間」に名付けられた部屋には
吉井勇の直筆がかけられています。



振り返えると、すぐ後ろに「円山応挙」の襖絵が・・・



応拳の名前があります。
こんなに近くで見ていいの? と思うほど近くです。



最後に案内された部屋です。
床柱は最初の部屋にあったナンテンと同じ木の下半分。



富岡鉄斎の作品があります。(富岡鉄斎の間?)



窓の外に見えるのは
坂東妻三郎邸にあった梅ノ木が移植されたものだそうです。
※坂東妻三郎は、昭和の大スターで田村亮・正和等の父親。


峰玉亭は
南天の床柱や欅の一枚板の床板など、全国から選りすぐりの材を集めて建てられ、江戸期の狩野派の襖絵や、竹内栖鳳の掛軸が掛けられた迎賓館でした。

再投稿ですが「紙屋川別館 湧泉閣」へと続きます。
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2014年 京の夏の旅・洛北にひろがる「しょうざんリゾート京都」

2025年02月08日 | 京都
1月度ハイキングで「しょうざんリゾート京都」へ行った時に、
「2014年 京の夏の旅」で9月7日(日)に、10年ぶりに特別公開されていた「しょうざんリゾート京都の 迎賓館 峰玉亭」へ行ったことを思い出していました。 

「しょうざん」という名前は、戦後ウール織物で財をなし三万五千坪の 四季折々に表情を変える庭園に、戦後消失の運命にあった美しい日本の建造物(点在する茶室など)を移築された創業者は「松山政雄」氏です。
その苗字「松山」を音読みして「しょうざん」に・・・。



しょうざん北庭の門 (福徳門)は
大文字山の麓で金閣寺に隣接する場所にありました。



門を入ると、目の前に北山台杉が見えます。



台杉は、北山杉の「取り木」と呼ばれる台をつくり
そこから枝を垂直に伸ばし「立ち木」にした杉の事です。



北山杉は、桂離宮などに使われた朝廷御用木で
「京都府の木」に指定され庭園内の杉はすべて
北山から移植された樹齢が350年~500年だそうです。



苔がとてもきれいです。

数寄屋造りの迎賓館「峰玉亭(ほうぎょくてい)」が
左手に見えてきました。

「しょうざんリゾート京都」は忘れられない所の一つです。
2014年9月の記事ですが、ええとこなので続いて再投稿します。
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梅の花で「2025年 健康ハイキング・マージャンの新年会」

2025年02月07日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
梅の花 2月3日(月)

梅の花の送迎バスに乗って



チョッと遅い「新年会」に参加してきました。

私が参加しているのは健康ハイキングと、マージャンですが
他の同好会に参加されている全体の「新年会」です。


新年会













お料理は沢山出てきましたが
全部は写真に撮れなかったので👇でご覧ください。



梅の花 お品書き
・嶺岡豆腐
・茶碗蒸し
・湯葉豆腐とたぐり湯葉のお造り
・名物とうふしゅうまい
・豆腐サラダ
・揚げだし胡麻豆腐
・ふく福豆冨 野菜あん
・湯葉揚げ豆腐真丈の天婦羅
・湯葉吸物
・生湯葉のあん掛け御飯
・香の物
・デザート

ゲームなどで楽しい新年会では、健康マージャンでお会いする人達と同じ席になり、今日は麻雀牌ではなくご馳走を前にして頂いてきました。

同じ席に居られてる人がブログを開設されていたのでブログのURLを交換しましたが、gooブログでは無いので「フォロー」は出来ませんでした。
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大阪中之島美術館・奇才絵師の魔力「大阪では13年ぶりの歌川国芳展」 

2025年02月05日 | 美術館・博物館
2013年6月に大阪歴史博物館で開催された
「特別展 あやしい絵展」へ行った時から


「歌川国芳展」が開催されるのを楽しみにしていました。
あれから12年経ちましたが・・・
大阪中之島美術館で開催されると知り行ってきました。



大阪中之島美術館を守る猫
21世紀に羽ばたく『シップス・キャット(ミューズ)』



混むだろうと思い早い時間に行ったのですが
もう~こんなに並んでいます。



でも、少し並んだだけで会場の4階へ



楽しみにしていた「歌川国芳展」です。(^^♪
幾つかの作品は写真OKだと教えて頂きました。


●39 「坂田怪童丸」

現在は金太郎の名で親しまれていますが


江戸時代には正徳2年(1712)、近松門左衛門の浄瑠璃では
怪童丸とされ、怪童丸の名が用いられることが多い。


●65 「相馬の古内裏(そうまのこだいり)」

相馬の古内裏は、相馬小次郎こと平将門が下総国に建てた屋敷で、将門の乱の際に荒れ果ててしまっていた廃屋。


妖術を授かった将門の遺児滝夜叉姫と良門は、父の遺志を継いでこの廃屋に仲間を募り、やがて妖怪が出没するようになる。

それを知った源頼信の家臣、大宅太郎光国は妖怪を退治してその陰謀を阻止する。原作では複数の骸骨が現れるが、国芳はこれを巨大な一体の骸骨に置き換えています。


●214 「忠臣蔵十一段目夜討之図」

夜に紛れ、吉良邸へと討ち入る赤穂浪士です。



ほぼモノクロームで描かれた吉良邸と浪士たち。

本図は、ニューホフ著「東西海陸紀行」の
銅板画挿絵を元にしたとされています


●296 「流行猫の変化」

様々な鬘や被り物を切り抜き猫の頭に重ねて遊ぶ、子供向けの玩具絵。当時の猫の浮世絵人気に当て込んで制作されたのでしょう。


人間の髪型から、頬被り、手ぬぐいの被り物、さらには福禄寿、大黒天、豆腐小僧といったキャラクターまで全部で13種類。猫の着物には鯖や小判といった猫の定番の組み合わせが描かれています。


326 「みかけハこハゐがとんだいい人だ」

見かけは怖いがとんだ良い人だ
15人の男性が体を使って顔や手などを表現しています。


当時、貝や瀬戸物など、身の回りの道具を組み合わせて別の物を作り出す細工見世物が人気を博しており、国芳もそのあたりからアイデアを得たのであろう。

「大ぜいの人がよってたかってとうといゝ人をこしらへた とかく人のことは人にしてもらはねばいゝ人にはならぬ」という教訓めいた文章が添えられています。



江戸末期の浮世絵師、歌川国芳展(1797ー1861)
国芳が12歳の頃に描いた鍾馗図が、初代歌川豊国の目に止まり豊国門に入る。風景画・武者絵・風刺画などざまざまなジャンルを描きお江戸を沸かせ、豊国(三代)、広重と並ぶ人気絵師になりました。



大阪では13年ぶりの「歌川国芳展」
帰る時にも来た時と同じく多くの人が並んでいました。
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1月度ハイキング 「しょうざんリゾート京都 わかどり」

2025年02月02日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
今日は節分なので、西南西の方角を向いて恵方巻を食べました。
そして「1月度ハイキング 鷹峯」は、今日で終わります。


光悦寺を後にして
しょうざんリゾート京都に向かっています。



趣きのある建物ですが、写真右に見える建物が「然林房」です。鷹峯は紅葉の季節が良いと思ってましたが、この辺りには桜の名所「光悦荘」があるところでした。



勾配ある「千束坂」を下って行くと・・・
左に「古道 長坂道」の入口がありました。



古道の、この辺は緩やかな道ですが
勾配のある足元が悪い道の所もありました。



少し歩いていくと
「しょうざんリゾート京都」の前に着きました。



ここは10年程前に来たことがあるので
その時のことを、このブログに残しています。



京料理を「紙屋川別館 湧泉閣」で頂いた時は
写真の正面に見える門を入りましたが
今日は「わかどり」で、昼食を頂きます。(^^♪



こんな可愛いベンチがありました。



わかどりには、お世話人さんが
平日ランチを予約してくれています。



お店までは、広い庭園の中を歩いていきます。



「わかどり」のお店が見えてきました。



「名物だれの鶏唐御膳」美味しかったですよ。



デザートもありました。



紙屋川は
昔、タスキ掛けの職人が紙を漉いたという渓流です。



帰り道で見えたのは
ヨーロッパの邸宅を思わせる木組みの洋館です。



ノベルヴィラガーデンには、森の中に2つの貸切邸宅があり
結婚式などで利用されるそうです。



1月度ハイキングは
源光庵から光悦寺、しょうざんリゾート京都でした。
この後は、金閣寺の前まで歩いて解散しました。

行きたいと思っていた「源光庵・光悦寺」ですが、京都の近くに住んでいても行く機会もなく、今回が初めての鷹峯でした。
お世話さん、参加者の皆さんに感謝です。
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1月度ハイキング 京都・鷹峯「光悦垣と鷲ヶ峰・鷹ヶ峰の眺望 光悦寺」

2025年02月01日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
今日から2月ですが・・・ 1月度ハイキング 
③ 源光庵「悟りの窓・迷いの窓・血天井」のつづきです。


「光悦寺」は、源光庵からすぐ近くの所にがありました。



江戸時代初期に、本阿弥光悦が徳川家康から与えられ、光悦の一族や芸術仲間たちがこの地に移り住んで、芸術村を築きこの地から数々の芸術作品が生まれたのです。



風情のある石畳です。


本堂

お寺が創建されたのは光悦の死後でした。


~~~ 境内には、7つの茶室 ~~~

大虚庵・三巴亭・了寂軒・徳友庵・本阿弥庵・騎牛庵・自得庵

●三巴亭 (さんばてい)

「過去・現在・未来」の意味があると言われている三巴亭。


●大虚庵 (たいきょあん)光悦垣

本阿弥光悦が晩年過ごしたとされる大虚庵です。



割り竹を粗い目の菱形(ひしがた)に組み



割り竹の束をのせて
頂部がゆるい曲線を描いています。



「光悦垣」の名前は
本阿弥光悦がこのデザインを好んだことが由来だそうです。



左に行く道が見えました。
その先には、本阿弥光悦の墓所があります。



本阿弥光悦は、80歳で亡くなりました。
永禄元年(1558年)京都に生まれ、寛永14年(1637年)


●了寂軒



アセビ



ツツジ科 Ericaceae

名前は分かりません。


●翹秀軒(ぎょうしゅうけん)




本阿弥一族の墓所もありました。


●本阿弥庵




この説明板は、本阿弥庵の前左端にあります。

「翹秀軒・本阿弥庵」からは
眼下に、鷲ヶ峰、鷹ヶ峰、東山などが見下ろせますが
翹秀軒では、所狭しに休憩されていたので撮りませんでした。



説明板の左、東山・船岡山方面



そして左が鷹ヶ峰、小さい山の右に少し見えているのが



この鷲ヶ峰です。



この後は、いま来た道を戻り「光悦寺」を後にします。



円型の悟りの窓、角型の迷いの窓の「源光庵」と
光悦寺への道は「東海自然歩道」でした。

この後は、お昼時間が近くなり
「しょうざんリゾート京都」へ続きます。
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