東西35m、南北25mに枝を広げた、樹齢が約700年の巨木があったそうです。
しかし、1968年(昭和43年)頃からマツ材線虫病によって枯れはじめ・・・
1971年(昭和46年)3月に天然記念物の指定を解除されたのちに枯れてしまいました。
この立派な火鉢は、その枯れた「富寿栄の松」で作られたものです。
現在は、立派な富寿栄の松で作った火鉢と、この根株が境内に保存されていました。
この根株の上部分が、上画像の火鉢になっている部分だそうです。
「むれ鶴の 富寿栄の松葉 枝高く ひろくしげれる 幾千世の陰」とは
本照寺の住持・寂恩(じゃくおん)の娘さんが 公家の冷泉家 に嫁ぎ、息子である公家の
冷泉為村(れいぜいためむら)が、法要で本照寺を訪れた際に松をみてよんだ和歌であり
松の名前は冷泉為村の命名だそうです。(ボランティアの方からお話を聞きました。)