奥:弁慶の 「引き摺り鐘」 手前:弁慶の 「汁鍋」
弁慶の 「引き摺り鐘」 重要文化財
◆重量:600貫 (約2250㎏) ◆総高:199、1cm ◆口径:123、2cm
当寺初代の梵鐘で、奈良時代(8世紀)の作とされています。
承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に
琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると
『いの~・いの~』 (関西弁で “帰る~”の意味) と響いたので、弁慶は
「そんなに三井寺に帰りたいのか!」 と怒って、鐘を谷底へ投げ捨て
鐘にはその時のものと思われる引き摺った痕やヒビが残っています。
この鐘は寺に変事があるときには、その前兆として不可思議な現象があり
良くないことがあるときには、鐘が汗をかき撞いても鳴らなかったそうですが
でも、良いことがあるときには自然に鳴るといいわれています。
「園城寺古記」という戦国時代の記録には、文禄元年(1592)七月に鐘が
鳴らなくなり寺に何か悪いことが起るのではないかと恐れた僧侶たちは様々な
祈祷をおこなったところ、八月になってようやく音が出るようになったそうです。
建武の争乱時には、略奪を恐れ鐘を地中にうめたところ、自ら鳴り響き
これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれるなど、まさに霊鐘というに
ふさわしい様々な不思議な事件をいまに伝えています。
※ 現在は、金堂西方の霊鐘堂に汁鍋と一緒に奉安されています。
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弁慶の 「汁鍋」 (鎌倉時代)
写真手前が、霊鐘堂に弁慶の引き摺り鐘と一緒に奉安されている汁鍋です。
◆重量:120貫 (約450㎏) ◆外口径:166、5cm ◆:口径:123、2cm
◆深さ:93、0cm 口厚:11、5cm
江戸時代のガイドブック 「近江名所図会会」 にも、「弁慶の汁鍋」として
されています。寺伝によると、武蔵坊弁慶が所持していた大鍋で、三井寺の
大鐘を奪い取った時に残していったものと伝えられています。
また、僧兵たちが用いたことから 「千僧の鍋」 とも言われ、鋳鉄製の大器で
三段に鋳継ぎされ、上段には釜戸にかけるための上縁がついていました。