大宮御所内庭の東側から南に向かって築地塀が長く伸びていたところに
仙洞御所の庭園へと続く潜り門がありくぐると・・・
(4月11日 )
その先は、仙洞御所の北池が広がっていました。
北池はもともと大宮御所の庭園だったが、延享(えんきょう)四年(1747)に大宮御所の北池と仙洞御所の南池が堀割で結ばれ、池と庭園が一つになったそうです。
阿古瀬淵(あこせがぶち)に架かる石橋「六枚橋」
六枚橋は、長さ1メートル90センチ・幅約1メートルの切石6枚を3枚ずつ二列に並べて、つなぎ目部分に短い橋脚を建て、やや反りをもたせてあります。
阿古瀬淵(あこせがぶち)
名前の由来は、平安時代の歌人の紀貫之の邸宅がこの近くにあったとされることから、貫之の童名「阿古久曾(あこくそ)」などと色々ありますが、女御所の造営前から伝わる名称のようです。
お手入れの届いたお庭・・・もう少し立ち止まっていたい気分です。
あっ! 池の向こうに見える白壁の左が、北池に入った潜り門です。
(上から2番目の、初めて北池を見た場所です。)
北池八つ橋
中島から八つ橋を通って東岸に渡たります。
橋は、長さ約5メートル、幅・厚さとも50センチ余りもある切石を二本ずつ稲妻型に並べてあり、太い石の橋脚二本で支えたどっしりとしたつくりです。
池に架かる他の橋とは趣が違い、もとは欄干のついた土橋が架かっていたが、大正三年(1914)に三条白川橋の石材を用いて架け替えたものです。
紅葉橋から南池の藤棚のある八つ橋が見えてます。
仙洞御所で一番人気の藤棚ですが、今日は藤の季節にはまだ少し早いです。
藤棚の下から見える「中島への紅葉橋」
紅葉橋は、大正三年に現在のような土橋に架け替えられました。
春は新緑の楓、秋は深紅に紅葉した楓が土橋を彩ります。
そして、雄滝(おたき)も見えています。
落差約2メートル30センチの小さな滝で、最上流には山神社が祀られ、滝口のすぐ南の池畔に三畳敷きほどの平らな円形の草紙洗いの石があるのですが、コースではなかったので見れませんでした。
仙洞御所の庭園へと続く潜り門がありくぐると・・・
(4月11日 )
その先は、仙洞御所の北池が広がっていました。
北池はもともと大宮御所の庭園だったが、延享(えんきょう)四年(1747)に大宮御所の北池と仙洞御所の南池が堀割で結ばれ、池と庭園が一つになったそうです。
阿古瀬淵(あこせがぶち)に架かる石橋「六枚橋」
六枚橋は、長さ1メートル90センチ・幅約1メートルの切石6枚を3枚ずつ二列に並べて、つなぎ目部分に短い橋脚を建て、やや反りをもたせてあります。
阿古瀬淵(あこせがぶち)
名前の由来は、平安時代の歌人の紀貫之の邸宅がこの近くにあったとされることから、貫之の童名「阿古久曾(あこくそ)」などと色々ありますが、女御所の造営前から伝わる名称のようです。
お手入れの届いたお庭・・・もう少し立ち止まっていたい気分です。
あっ! 池の向こうに見える白壁の左が、北池に入った潜り門です。
(上から2番目の、初めて北池を見た場所です。)
北池八つ橋
中島から八つ橋を通って東岸に渡たります。
橋は、長さ約5メートル、幅・厚さとも50センチ余りもある切石を二本ずつ稲妻型に並べてあり、太い石の橋脚二本で支えたどっしりとしたつくりです。
池に架かる他の橋とは趣が違い、もとは欄干のついた土橋が架かっていたが、大正三年(1914)に三条白川橋の石材を用いて架け替えたものです。
紅葉橋から南池の藤棚のある八つ橋が見えてます。
仙洞御所で一番人気の藤棚ですが、今日は藤の季節にはまだ少し早いです。
藤棚の下から見える「中島への紅葉橋」
紅葉橋は、大正三年に現在のような土橋に架け替えられました。
春は新緑の楓、秋は深紅に紅葉した楓が土橋を彩ります。
そして、雄滝(おたき)も見えています。
落差約2メートル30センチの小さな滝で、最上流には山神社が祀られ、滝口のすぐ南の池畔に三畳敷きほどの平らな円形の草紙洗いの石があるのですが、コースではなかったので見れませんでした。