神戸市中央区の北野に行ってきました。11月24日(火)
不動坂を上がった角に見えたのは
北方向(異人館がある方向)に向いている
「叶(かなえ)地蔵尊」でした。(神戸市中央区中山手通1)
戦後、業者が宅地開発中にこの石造物が見つかり
住民有志が安置されたそうです。
祠の中には、地域の人から「キリシタン地蔵」と呼ばれている
黒いお地蔵さんが中央にあります。
「この地蔵は“異人さん”が持っていたんですよ」と言われています。
「キリシタン地蔵」が見つかったのは、スコットランド人のJ・F・ミッチェルさんが、幕末に長崎で造船技師として活躍後に神戸に来られた時の自宅跡だったそうです。
「キリシタン地蔵」は
高さが約60cmの柱状で、上部が張り出し下に像が見えます。
神戸外国人居留地研究会の調査では、ミッチェルさんは1890(明治23)年に神戸に移住し、1903年に没。子孫は外国人向けの葬祭業などを営んでいましたが、45年6月の神戸空襲で自宅が全焼し、神戸を離れたとみられています。
「キリシタン地蔵」が黒いのは
空襲の火災で焼けたからでは・・・とも言われています。
お昼過ぎになったので
久しぶりの元町でお昼を済ませました。
春巻きも一緒に・・・美味しかった。(^^ゞ
不動坂を上がった角に見えたのは
北方向(異人館がある方向)に向いている
「叶(かなえ)地蔵尊」でした。(神戸市中央区中山手通1)
戦後、業者が宅地開発中にこの石造物が見つかり
住民有志が安置されたそうです。
祠の中には、地域の人から「キリシタン地蔵」と呼ばれている
黒いお地蔵さんが中央にあります。
「この地蔵は“異人さん”が持っていたんですよ」と言われています。
「キリシタン地蔵」が見つかったのは、スコットランド人のJ・F・ミッチェルさんが、幕末に長崎で造船技師として活躍後に神戸に来られた時の自宅跡だったそうです。
「キリシタン地蔵」は
高さが約60cmの柱状で、上部が張り出し下に像が見えます。
神戸外国人居留地研究会の調査では、ミッチェルさんは1890(明治23)年に神戸に移住し、1903年に没。子孫は外国人向けの葬祭業などを営んでいましたが、45年6月の神戸空襲で自宅が全焼し、神戸を離れたとみられています。
「キリシタン地蔵」が黒いのは
空襲の火災で焼けたからでは・・・とも言われています。
お昼過ぎになったので
久しぶりの元町でお昼を済ませました。
春巻きも一緒に・・・美味しかった。(^^ゞ
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