地球の裏側パラグアイで、
青年海外協力隊員として活躍されている、
もと喜久家ボランティア市前寛子さんからのメッセージの続きです。
『私はパラグアイ南部の日系移住地ピラポに住んでいます。
ここは、8箇所ある国内の移住地の中でも
日本気質が、色濃く残っています。
NHKも見られるし、インターネットも見られて日本の状況はリアルタイムで把握できますが、
昔の日本がそのまま存在しているところと言われています。
おやつには手つくりのかりんとうが出てきます。
私の仕事で言うと、
高齢者のほとんどの人が家族と同居していて年相応の体の不調や物忘れはあるけど、
自分のペースで元気に生活しています。
家族それぞれ事情はあれど、
家族が面倒をみるのは当たり前とい考えの人が多いところです。
130人くらいいる70歳以上の高齢者に対して、
50歳以上の主婦のおばちゃんたちがボランティアグループを結成してデイサービスをしたり、
家庭訪問をしています。
私は、そのおばちゃんたちにデイサービスの運営の仕方や介護に必要なことの情報提供しながら、
一緒に活動しています。
移住地の人たちは、助け合いながら生きてきたので絆がとても強いです。
私は、どっちかっていたら都会育ちなので横のつながりを知らないで育ちました。
平磯も、年齢が違っても意見を言い合って、1つ1つのことを決めていたことを見ていたので、
こっちにきて戸惑うことも多かったけど、
毎日が勉強になることばかりです。
正直、自分の無力さに落ち込んだり、
地元の人たちが理解してくれなかったら怒れることが多々ありますが、
最近、私は高齢者福祉活動を通して町づくりをしているなと感じてます。
全然程遠いですが。
高齢者をいきいきさせることで、
若い人たちが将来のことを考えてくれるようなイベントを開催してみたいなと思うようになりました。
平磯にいたのはたった3ヶ月でしたが、
まちづくりや人と繋がるということを考えるきっかけになりました。
そして、いまは本格的に勉強してみたいと思っています。
この長文のなかで伝えたっかたのは、
このきっかけを作ってくれた平磯に行って本当によかったということです。
そして、アンちゃんと知り合えたことも。
来年の6月に日本に帰国します。
帰ったら、平磯に行きたいと思っています。
その時にたくさん話が出来たらなと楽しみにしてます。
突然の長文読んで下さってありがとうございました。
それでは、みなさまによろしくお伝えください。
くれぐれもお体にご留意下さいませ。
平磯の裏側 パラグアイより 市前寛子』
感激です。
私たち平礒の人たちは、また喜久家の仲間は、
いつも心のどこかに、
「来てくれた若者たちに何か残してあげれたものはあるだろうか?」
と自問自答しています。
私たちの不安や悩みをよそに、
若者たちは、多くのことを感じとってくれているのかもしれません。
それが、岬の宝物なのでしょう。
寛子ちゃんの帰国を楽しみに待っています。
「reaching home」
岬人(はなんちゅう)
青年海外協力隊員として活躍されている、
もと喜久家ボランティア市前寛子さんからのメッセージの続きです。
『私はパラグアイ南部の日系移住地ピラポに住んでいます。
ここは、8箇所ある国内の移住地の中でも
日本気質が、色濃く残っています。
NHKも見られるし、インターネットも見られて日本の状況はリアルタイムで把握できますが、
昔の日本がそのまま存在しているところと言われています。
おやつには手つくりのかりんとうが出てきます。
私の仕事で言うと、
高齢者のほとんどの人が家族と同居していて年相応の体の不調や物忘れはあるけど、
自分のペースで元気に生活しています。
家族それぞれ事情はあれど、
家族が面倒をみるのは当たり前とい考えの人が多いところです。
130人くらいいる70歳以上の高齢者に対して、
50歳以上の主婦のおばちゃんたちがボランティアグループを結成してデイサービスをしたり、
家庭訪問をしています。
私は、そのおばちゃんたちにデイサービスの運営の仕方や介護に必要なことの情報提供しながら、
一緒に活動しています。
移住地の人たちは、助け合いながら生きてきたので絆がとても強いです。
私は、どっちかっていたら都会育ちなので横のつながりを知らないで育ちました。
平磯も、年齢が違っても意見を言い合って、1つ1つのことを決めていたことを見ていたので、
こっちにきて戸惑うことも多かったけど、
毎日が勉強になることばかりです。
正直、自分の無力さに落ち込んだり、
地元の人たちが理解してくれなかったら怒れることが多々ありますが、
最近、私は高齢者福祉活動を通して町づくりをしているなと感じてます。
全然程遠いですが。
高齢者をいきいきさせることで、
若い人たちが将来のことを考えてくれるようなイベントを開催してみたいなと思うようになりました。
平磯にいたのはたった3ヶ月でしたが、
まちづくりや人と繋がるということを考えるきっかけになりました。
そして、いまは本格的に勉強してみたいと思っています。
この長文のなかで伝えたっかたのは、
このきっかけを作ってくれた平磯に行って本当によかったということです。
そして、アンちゃんと知り合えたことも。
来年の6月に日本に帰国します。
帰ったら、平磯に行きたいと思っています。
その時にたくさん話が出来たらなと楽しみにしてます。
突然の長文読んで下さってありがとうございました。
それでは、みなさまによろしくお伝えください。
くれぐれもお体にご留意下さいませ。
平磯の裏側 パラグアイより 市前寛子』
感激です。
私たち平礒の人たちは、また喜久家の仲間は、
いつも心のどこかに、
「来てくれた若者たちに何か残してあげれたものはあるだろうか?」
と自問自答しています。
私たちの不安や悩みをよそに、
若者たちは、多くのことを感じとってくれているのかもしれません。
それが、岬の宝物なのでしょう。
寛子ちゃんの帰国を楽しみに待っています。
「reaching home」
岬人(はなんちゅう)