喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

愛媛県立三崎高等学校 校長式辞

2016-03-03 | 感動
平成28年3月1日。
息子が愛媛県立三崎高等学校を卒業した。
校長式辞が感動。



 「桜の木々の芽も、日ごとにふくらみ、春の訪れを覚える今日の佳き日に、
えひめ国体推進局国体競技力向上対策課 主幹 松野 勝利 様
伊方町長 山下 和彦 様 をはじめ、多数の御来賓の皆様の御臨席を賜り、
ここに、第65回卒業証書授与式を盛大に挙行できますことは、
卒業生・在校生はもとより、私たち教職員にとりましても、大きな喜びであり、厚く御礼申し上げます。

 また、保護者の皆様、本日は、お子様の御卒業、誠におめでとうございます。
たくましく成長されたお子様の姿に、お喜びも、ひとしおかと存じます。
心より、お祝い申し上げますとともに、これまでの本校への、温かい御支援・御協力に、感謝申し上げます。

 ただ今、卒業証書を授与いたしました、38名の皆さん、
皆さんは、入学以来の、たゆまぬ努力が実を結び、ここにめでたく、卒業の栄誉を得られました。
心から皆さんの御卒業を祝福したいと思います。



 さて、ここで、本校の校歌にも歌われている 宇都宮誠集翁 について、お話しします。
皆さんは、郷土の偉人として、よく御存じだと思いますが、
今年度にふさわしい、卒業のはなむけにしたいと思います。

 誠集翁は、伊方町の松に生まれ、明治4年、16歳の時に、勉学のため、大阪に出ました。
2年後に故郷に帰ってからは、独学で法律を勉強する傍ら、
村に寺子屋を開いて、若者達を指導しました。

 そして、小学校ができれば小学校教員、郵便局が開設されるや、
全国最年尐の若さの郵便局長になるなど、常に前向きに地域の発展に貢献しました。

 誠集翁は、佐田岬半島に初めて夏柑栽培を導入しましたが、
これは、単なる思いつきではありませんでした。
 大阪での交流や、宇和島等への出張を通して、夏柑を知り、
夏柑以外にも、たくさんの種類の柑橘の苗を取り寄せ、試行錯誤して、
夏柑が、この地域での栽培に適していることを確信して、本格的に導入したのです。

 しかし、当時、夏柑の苗木は大変値段が高く、
また、あまり冒険はしたくないという地域の雰囲気もあり、なかなか夏柑栽培は広がりませんでした。
 しかし、誠集翁は、自分で高価な苗木を購入したり、
地域の若者たちに、熱心に夏柑栽培を勧めて回ったりして、困難を乗り越え、夏柑栽培を半島全域に広めました。

 その後、半島の夏柑栽培は、大いに発展し、大阪や東京へも出荷され、
この半島に大きな富をもたらしました。

 そして、この大きな富が、今から65年前の昭和26年、
この地に、愛媛県立三崎高等学校が創立されたことにつながったのです。




 本校では、今年度、地域課題解決学習「三崎おこし」を始めました。
テレビ・新聞などで取り上げられた「みっちゃん大福」の商品開発や、
サイクリングロードの開拓、裂織の研究など、大きな成果が上がったと思っています。

 しかしながら、この「三崎おこし」は、この佐田岬半島という地域を愛し、三崎高校を愛し、
地域を発展させようという気概を持った方々の御支援・御協力があったからこそできたのです。
 たくさんの現代の「宇都宮誠集翁」がいたからこそできた取組なのです。

 卒業生の皆さんは、今日まで勉学、部活動、学校行事に、
そして「三崎おこし」に、精一杯努力し、立派な成果を上げてきました。
 皆さんの若さあふれる活躍が、地域や学校に、元気と勇気を与えてくれました。

 卒業生の皆さん、本校の卒業生であることに自信と誇りを持ち、
新しく行く先々で、「三崎高校を大切に」と頑張った日々を思い出しながら、
一生懸命、努力を積み重ねていってください。

 皆さんが、それぞれの場所で、それぞれの「宇都宮誠集翁」となられることを期待します。
そして、直接に、また、間接に、ふるさと「佐田岬半島」や母校「三崎高校」の発展に貢献していただければ幸いです。


 皆さんが、新しい生活を送る町にも、やがて、温かい春がやってきます。
また、ここ佐田岬半島の山々の桜も満開となって美しい風景を見せてくれることでしょう。

 巣立ち行く皆さんの限りない可能性と今後の御活躍を祈念すると共に、
御多用の中、御臨席を賜りました御来賓の皆様、保護者の皆様に重ねてお礼を申し上げ、式辞とします。

            平成28年3月1日
                愛媛県立三崎高等学校長 近藤 実 」