喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

商業観光ではなく、交流観光を

2017-06-04 | 地域づくり
 引き続き山下氏の記事を読んでみる。

商業観光ではなく、交流観光を

「ならば地方はこれ以上観光開発はするな、というべきだろうか。
私はそうは思わない。こんどはこう問い直してみよう。

 そもそも観光とは何か。
何のための観光振興なのか。
 今回の地方創生ではやたらと「稼ぐ」が強調されている。

 だがそもそも観光は「稼ぐ」ためのものだろうか。


 
 私は思う。
 観光は楽しむものだ。
旅行者が楽しみ、また受け入れる側も楽しむことが基本だ。
 なぜなら観光は、産業である前に交流だからである。

 交流は楽しくなければならない。
 楽しんだ結果、経済もまた潤うことになるかもしれないが、 
基本はあくまで楽しむことにある。


 そうした観光本来の姿を忘れ、お金を落とす相手としてだけ事業者が観光客をとらえはじめたら、
そのとたんにその観光地は衰退するだろう。
 誰もそんなところには行きたくはないからである。

 もちろん周到に実利を企んで観光を企画することは可能だし、
そうした成功事例もあるにはある。
 だが地方創生でやるべきは、そうした商業観光ではないはずだ。



 やらなければならないのは、地方と中央の、農村と都市の関係をより良い状態へと戻すことだ。
 大都市へと、首都東京へとひと・かね・しごとが流れ込みすぎていびつな関係になってしまった両者の関係の改善をこそ、
観光交流を通じて目指さなくてはならない。

 必要なのは商業観光ではなく交流観光だ。

 いや、それでも観光でその地域に着実にお金が落ちるのならまだ良いのだ。
今見たように、お金が欲しくて人を呼んでも、そのお金は地方にはほとんど落ちない構造になっている。

 呼び込む努力の割には、観光客が落とすお金の大半は途中で吸い取られてしまう。
これでは地方・農山漁村を搾取するために、観光開発をしろといっているようなものである。



 だがそうはいっても、先の事例は決して悪いものではない。
 料理を提供するお母さんたちが遠くからお客さんが来てくれたことで喜び、
またそのお客さんが高いお金を払ってもそれで幸せな思いをえられたのであれば。
 そしてこの経験から、両者の間で、遠く離れていても自分たちは支え合ってこの国で生きているのだと実感できたのならば。

 それゆえ、お金の面はともかくとしても、それでもなお観光が大切だとしたら、
それは観光による楽しみ、喜び、人々のつながりが、
日本にとって、あるいは地方や地域にとってとても大事なものだからだ。

 訪れてみたい場所がある。
それが都会の人々の生きがいにつながっていく。
 逆に、この地域は訪れる価値のある場所だ。
 そういうことが、その地域に生きる人々にとっての誇りになり、生き甲斐になり、活力につながっていく。
そういうことがあるからだ。




 そして今の日本の状態が問題なのは、日本が今、楽しい国ではないことにある。
地域が誇りを持って住んでいる場所ではなくなってきている。
市の暮らしが非常に強い閉塞感のうちにある。

 私たちが取り戻さなくてはならないのは暮らしを楽しむこと、
地域に誇りを持つこと、日本を多くの人々で一緒に支えていること、そうしたことへの実感だ。
 その意味で観光振興は必要だし、進めていかねばならない。」


              岬人(はなんちゅう)

観光振興で「稼ぐ力」をつけよというが…

2017-06-04 | 地域づくり
おもしろい記事を見つけた。

 山下祐介(首都大学東京准教授 社会学)の記事だ。


「観光振興をすればどこでも地方は救われる、そういうことがいえるのだろうか。

 観光コンテンツづくりは儲からない

たしかに観光客が一人でも増えれば、そのぶん地方に落ちるお金が増え、経済は少しばかり潤う。


 しかし、たとえば次のような具体的なケースを考えたとき、
観光振興で稼ぐことがあらゆる地域で率先して取り組むべきものなのかは疑問だ。

 ある地域でお母さんたちのグループが埋もれていた郷土料理に付加価値を付け、
絶品のメニューを開発したとしよう。
それが地域で評判になり、全国放送で紹介された。
それを見て、次の休暇の家族旅行先に悩んでいた東京のサラリーマンA氏が、行き先をそこに決めたとする。



 たしかにA氏の家族がそこに旅行し、その料理を味わったことで、家族4人、1食750円として計3000円がその地域に落ちた。
 お母さんたちはお客さんが来てくれたことを喜び、お客さんも思った以上の料理とおもてなしに感激、
「来年もまた来る」と次の販路が開拓されて人々の交流が始まったとすれば、たしかにここに悪いものは見当たらない。
 だが、筆者にはどうも次のことが引っかかる。

 このお母さんたちの稼ぎ3000円に対し、A氏一家が東京からこの地に来るまでの交通費、
その日の宿泊代、さらにはその間の、例えば朝、新幹線に乗るときに駅で購入した飲み物代や弁当代、
帰りの駅の土産物屋で購入した土産の品々の代金などを考えると、
このお母さんたちの努力がきっかけとなってA氏らはこれらのお金を落としたのにもかかわらず、
お母さんたちに入った金額は微々たるものだ。



 報道したメディアも一見、観光客を善意でつないだように見えるが、それはそれでスポンサーから制作費をもらっている。
むしろこのお母さんたちのおかげで番組ができたとさえいえる。
要するに言いたいことはこういうことだ。

 観光開発はたしかに経済を潤す。

 だがそこで生じた利益の多くは、必ずしもコンテンツを開発した人や地方にではなく、
観光の基盤をなす、交通会社や旅行会社、要するに観光インフラ事業者に落ちる仕組みになっている。

 そしてそうした観光インフラ事業者の多くは東京をはじめ大都市に本拠を置く。
観光振興の儲けのほとんどはそうした業者に落ちる仕組みだ。

 観光コンテンツづくりは基本的には儲からない。
儲かってもたいていの地方においてはそんなに大きな金にはならない。
 むしろ頑張って生まれた利益は、そのほとんどを中央に持っていかれてしまう。」



 
 実は、ふるさとで観光を交えた取組をしたいと考えている。
その理由は「儲け」だけではないのだ。
 それよりもふるさとで暮らす私たちが、訪れてくれた人たちとの交流によって、
楽しさや喜びを感じることができたら、幸せだなと思っている。

 それは、10年間続いている喜久家プロジェクトで十分感じていることなのだ。


                  岬人(はなんちゅう)