喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

今川商店、今までありがとう

2017-06-05 | 感動
 平成29年5月28日(日)。
いつもの日曜なら閉まっている二名津の今川商店。

 ついに店をたたむ日がきてしまった。


 半世紀以上にわたり、二名津の人たちの暮らしを支えてきた店だ。


 店じまいのため、感謝の気持ちで多くの人が訪れ、最後の買い物をしたと聞いた。
棚の商品はほとんどなくなっていた。




 先代の時から今までお世話になった今川商店。
かつ兄ちゃんやかなさんにゆっくりとお礼が言いたくて、最後の日を選んだ。
 妻と娘も一緒に訪ねた。




 かつ兄ちゃんの子どもたちからもお礼の花が贈られていた。


 長い間、お世話になりました。
ずっと今川商店を忘れません。

             岬人(はなんちゅう)

母の日のカーネーション

2017-06-05 | 家族
 妻が母の日に贈ったカーネーションが長い間、きれいに生けられていた。



 母の日にカーネーションを贈るきっかけを作ったのは、アメリカ人の少女アンナ・ジャービス。
亡き母のために白いカーネーションを配ったことから、母の日にカーネーションを贈る習慣ができた。

 少女の母親が亡くなったのは、1905年5月9日のこと。
その3年後の1908年5月10日、アンナ・ジャービスはフィラデルフィアの教会で、
亡き母を追悼するために白いカーネーションを祭壇に飾り、出席者にも配った。
 白いカーネーションは、彼女の母が好きな花だったのだ。


 この出来事をきっかけに1914年、5月の第2日曜日が母の日に制定された。
当初は母親が健在な人は赤いカーネーションを、
母親が故人である人は白いカーネーションを自分の胸に飾っていた。
 それが、やがて母親本人にカーネーションを贈る習慣へと変化していったのだ。



 元々カーネーションは、十字架に架けられたキリストに聖母マリアが落とした涙から咲いた花だといわれている。
そして白いカーネーションは十字架にかけられる前のキリストとマリアを表し、
赤いカーネーションはキリストの体から散った血の色と言われている。
 白と赤では同じカーネーションでも、意味合いが違っているのだ。



 小さな田舎の心温まる出来事だ。
花のある暮らし。
いいものだ。


             岬人(はなんちゅう)