喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

「時に逆境を味わうことは‥」 シャーロット・ブロンテ(作家)

2018-04-21 | 生き方
 4月21日は、シャーロット・ブロンテ(作家)の誕生日。

 幸福を味わうために必要なことを述べている。

「冬がなければ、
春をそんなにも気持ちよく感じない。
私たちは、
時に逆境を味わわなければ、
幸福をそれほども喜ばなくなる。」



            「てんとう虫をじっくり見るのは久しぶり」

 人は、厳しい経験をしてこそ、
喜びを強く感じるということだろうか。

          岬人(はなんちゅう)

なつかしの記事 「ふるさとへの恩返し ~阿蘇一の宮町、とり宮のお父さんの思い~」

2018-04-21 | 地域づくり
 何をやっても長続きしなかった私が、ふるさとブログを書き始めて8年になるだろうか。
たまに過去のものを読み返す。
 あれから様々な経験をし、その感じ方も変化したり、
逆に忘れていたことを思い返すことができたりしていいものだ。

 今から7年前、家族で阿蘇神社の門前町を訪れたときのことがグッときた。

「私の関心事の一つにまちづくりがあります。
双海町の若松進一さんとの出会いに灯がつきました。
 それ以来、いろいろなまちを訪れてもその景観や
そこに住む人たちの表情に目がいくようになりました。

 周防大島出身の民俗学者、宮本常一は多くのまちを訪れ、写真を撮っていますが、
洗濯物に注目していたようです。
 洗濯物の種類、洗い方、古さなどを見れば、
そこに住む人たちの生活が見えてくるというのです。
 私もそんなことなどを参考に、
まちの景観を見るようにしています。




 さて、先日から連載している
熊本県阿蘇一の宮町、阿蘇神社の門前町界隈についてです。
 さびれてしまったまちが息を吹き返したのは、
70歳を超えた杉本蘇助さんの取組から始まったのです。

「時代とともにさびれてしまったまちを
何とか元気にしたい。」
そんな思いがつのります。
 何をすればいいのか、見当もつかず、
でも通りに緑があったらいいなということで、
とりあえず、自分の肉屋の脇に桜とくぬぎの木を植えたようです。
 木の成長を考えると、大きな苗木を買って早く桜が咲くように、ということで。

 すぐに桜は咲き始めました。
するとその景観がけっこう評判がよく、他の店の脇にもお勧めして
通りは緑いっぱいになりました。
 夏には、涼しいこかげをつくり、秋には紅葉、冬には雪化粧、
そして春には桜。
 それとあわせて、豊富な水に注目し、打ち抜き水を整備しました。



 人影がなかった通りが少しずつにぎわうようになってきたそうです。
テレビやラジオ、新聞にもとりあげられ、ますます人が多くなってきました。
 杉本さんたちの取組は、若手を刺激し、
イベントを立ち上げていきます。
 2、3年前から始まった桜まつりでは、
通りを車進入禁止にし、通りに沿って畳を敷き、自由に花見や食事・宴会ができるようにしました。
これが大ヒットで、年々人が増えているそうです。

 冬は、店の横の小屋で薪をたき、
自由に立ち寄って暖をとってもらうようにしています。
人は暖かい場所と、おいしい所に集まりますから、
冬場でも多くの人が訪れるようです。

 この変化には、杉本さん自身も驚かれていました。
「私たちの昔ながらの生活や道具・考え方が、魅力あるようです。」と。


 また続けて言われました。
「私は、40年前にほんのわずかな資金で行商として肉を売り始めました。
そしてこの場所に店をかまえることができ、今日まできました。
すべてお客様のおかげなんです。
 店は、息子にバトンタッチしました。
残された人生をお客様へのお返しのつもりで、恩返ししていきたいと思っているんです。」と。

 二宮金次郎の考えを参考にするならば、
 経済なきまちづくりは、寝言。
道徳なきまちづくりは、悪。
 杉本さんの取組は、絶妙なバランスがとれている気がします。

 次に訪れるときが楽しみです。



                「娘も柄杓で水をうつ」

 
 あの時様々なお話を聞かせてもらった杉本さんは、80歳を超えている。
 旅を終えて帰宅し、すぐにお礼の手紙を書いた。
お元気だろうか?
 熊本地震で、阿蘇神社が崩壊するという衝撃の出来事もあった。

 出会いを大切に。
そしてつながりを大切に。

           岬人(はなんちゅう)