喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

記憶に残る新たな物語 ~藤の咲く風景~

2018-04-22 | ふるさと
 先週はわが家の塀に沿って咲く藤の花が見ごろを迎えた。
ちょうどツワブキのおいしい季節でもあり、そのコントラストもいい。



 この藤の花には思い出がある。
 昔の古い家の門を入ると、腰の曲がったような大きな幹をした樹があった。

 幼い私には、その形がおもしろくもあり、不気味でもあった。
だから春のこの時期に藤の花を咲かせるということは、どうでもいいことだった。

 家を建て替える時、父はこの藤の樹を切らずに残した。
 門の場所が移動したため、邪魔になる存在でもあったようだ。
父は考え、藤のカズラを塀に沿ってはわせた。
それが今、塀を超えて流れ出る滝のようになっている。




 この藤の花の前では、この時期だけ記念撮影が行われる。





 ふるさとには、思い出に残るものがある。
それがまた記憶に残る新たな物語を生む。

 いいものだ。
物語のある風景。


         岬人(はなんちゅう)

 

神様が宿るふるさと・平礒の春祭り

2018-04-22 | ふるさと
 4月15日は、ふるさと平礒の春祭り。
いつものように幟が2本立てられ、お宮で神事が行われる。



 今年はちょうど日曜日だったため、久しぶりに9時からの神事に参列した。
祝詞をあげていただき、榊を奉納した。
 ちなみに平礒では玉串という言い方はあまり使われないが、玉串とは、神道の神事において参拝者や神職が神前に捧げる紙垂(しで)や木綿(ゆう)をつけた榊の枝のこと。



 田舎の素朴な神事である。

 神事が終わると、お供えしたものを御下がりとしていただく。
鏡もちを少しずつ切り分け、いただく。
お神酒もいただく。
御菓子もいただく。

 お宮での全てが終わると、いつものことながら
神主様をわが家にお招きし、我が家の地神様、鍾馗様を拝んでいただく。



 両親と私たち夫婦、そして長男。


 目には見えない力をいただく。
生かされている命に感謝。

 息子と母が、お世話になった阿部神主様の荷物を持ち、お見送りする。
私は深々とお礼のため頭を下げる。
 春風とともに、清々しい気持ちが起こる。
いいものだ。
神様が宿るふるさと。
 


                岬人(はなんちゅう)

 

「もっとも危険なことは負けることではない」  レーニン

2018-04-22 | 生き方
 4月22日は、レーニンの誕生日。

 世界で初めての社会主義国であるソ連の土台を築いたレーニンの残した言葉。

「もっとも危険なことは、
敗北よりもむしろ
自分の敗北を認めるのを
恐れることであり、
その敗北から
何も学ばないことである。」



          「釜木から左方面の亀の首を望む」

 負けることは、次の成功へのステップ。


           岬人(はなんちゅう)