喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

2001年アメリカ同時多発テロ後のニューヨークを訪れる

2016-09-11 | 社会
 今日2016年9月11日は、アメリカ同時多発テロが起こってから15年目になる。
 2001年9月11日――。いつもと変わらないニューヨークの朝。
ビジネスマンや市民がストリートを足早に歩いていた。
 午前8時46分、アメリカン航空11便は世界貿易センター北棟(110階建て)に時速750kmで突入し、爆発炎上。
その直後、ユナイテッド航空175便も南棟(109階建て)に突入し、爆発炎上。
 南棟に続き、北棟も大音響とともに崩壊。
 その直後、アメリカン航空77便はペンタゴン(国防総省本庁舎)に激突炎上、ユナイテッド航空93便はペンシルベニア州シャンクスヴィルに墜落炎上したとされる。

 突如として起きた米国同時多発テロ事件。
航空機4機のハイジャックによる史上最大最悪のテロ事件は、米国だけでなく世界中に計り知れない衝撃と悲嘆をもたらした。
 その余波は、米軍によるアフガニスタンとイラクへの報復戦争に飛び火し、おびただしい人たちが悲惨な犠牲を強いられた。

 日米若手教員米国派遣事業により全国から集まった10人。
事業も終盤12月、テロ事件から3年目になるニューヨーク(グラウンドゼロ)に行ってみた。

 世界金融の中心ウォール街。
 ティファニーなどのブランドショップが建ち並ぶ五番街。
 様々なイベントやショーでにぎわうブロードウェー。

 自由の女神とリバティー島。




 エンパイア・ステートビルからの展望。


 ロックフェラービルのクリスマスイルミネーション。


 そして世界貿易センタービルが建っていたグラウンドゼロ。


 破壊された鉄骨で追悼の十字架が立てられていた。


 グラウンドゼロ辺りには、様々な楽器演奏をする人たちや
絵や写真を制作して売る人たちが多くいた。
 そんななか、お土産に1枚の絵を買った。


 テロや戦争とは無縁なふるさとに暮らしながら、テロがあったグラウンドゼロに立ち、
不思議な感覚になったことを覚えている。

 報道によれば、確認された死亡者は3025人(ハイジャック機の乗員・乗客246人、国防総省125人、世界貿易センタービル2602人など)。
死亡者数に明らかな誤差があり、今なお多数の犠牲者の身元が不明。
 現在もおよそ2万グループに及ぶ遺体断片の確認作業が続けられている。
だが、米政府は、死亡者数の誤認や身元確認の遅滞の理由を公式には明示していないため、正確な犠牲者数を把握できない。

 たとえば、世界貿易センタービルの死亡者数には、ニューヨーク市消防局の消防士343人、ニューヨーク市警察本部の警察官23人、ニューヨーク港湾管理委員会の職員37人が含まれている。
 だが、粉々に破壊され、散乱したビルの残骸を現場検証したものの、およそ1100人もの遺体は発見されていない。

 つまり、ニューヨークでは、3,025人もの命が奪われながらも、
15年も経つのに未だ4割以上にあたる1,100人もの遺体が発見されていないという悲しい事実。
 

 この事件は、今でも様々な疑問が取り上げられている。
 テロ後の米軍によるアフガニスタンとイラクへの報復戦争も含め、
おびただしい人たちが悲惨な犠牲を強いられた。

 その一方で、政治や経済の面でかなり得をした人たちもいるだろう。
イスラム教はかなり厳しい見方をされたし、テロを許さないという考えでアメリカはまとまった。
そして報復戦争により軍需産業は潤った。

 この事件が仕組まれたことだったとしたら。

 国や世界の政治や経済に何の影響もない田舎で暮らしていても、
広い見方や考え方は大切だと考える。

  「Think Globally、 Act Locally」


亡くなった方々に祈りをささげる。
いつかまた、あの場所を訪れてみたい。

              岬人(はなんちゅう)




 


 

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