僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

俺が聞かな誰が聞くねん

2015-07-01 | Weblog
先日、遠く徳之島に暮らす友に悩み事を聞いて欲しくて電話した。
彼はこのブログのタイトルにもなった「僕たちは一生子供だ」という名言を残した人物で、私が最も信頼し尊敬する友である。
このブログでも以前紹介したが、今年、57歳にして、故郷の徳之島に帰り、まったく経験のない農業を一から始めた。
それは、故郷で一人暮らしをしている年老いたお母さんの面倒を見るためだ。
経験のない仕事、弱っていくお母さんの面倒、人一倍どころか人百倍友達の多かった彼が別れてきた人の数、どれもこれも私ごときが想像できるようなことではなく、まさしくその辛さは想像を絶するものに違いない。

彼はかような状態であるからして、私は何度も何度も電話することを躊躇した。人の悩みなんて聞いていられるほど余裕があるわけがない、彼をこれ以上困らせる訳にはいかないから、と。でも私の悩みは私が最も信頼する彼にしか打ち明けられないことだったから、結局自分に負けて電話してしまった。

最初に私は彼にこう言った。「聞いて欲しいことがある。お前が大変な時に申し訳ない」
彼はこう答えた。「俺が聞かな誰が聞くねん」と。

最初のこの一言で私の気持ちは半分以上楽になっていた。
そのあともちろん、色々な話をしたが、お互いおせっかいが何よりも嫌いな二人であるから、ああしろこうしろはもちろんない。彼は自分の経験から、自分自身と私を語ってくれるだけである。

最後に彼はこう言ってくれた。「俺のことよりお前のその悩みのほうが苦しいよ」

どう考えても生きることに精一杯の彼より苦しいことが私にあるはずがない。それでも彼はそう言ってくれた。

自分より苦しい人が私のことを苦しいだろう、と理解してくれる。尊敬する友はやはり今だに子供のように成長を続けている。
私もとりあえず子供に戻って考えてみるのもいい。なにかそう思えるのである。