僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

引っ越しの副産物

2015-07-23 | Weblog
友人夫妻が引っ越しをして、昨日、その新居の片付けを手伝ってきた。
その際に、友人の奥さんから想像もしない評価をもらった。それは「片付け上手」という称号?である。自分では片付けが上手なんて考えもしなかっただけに、これはとても意外だった。そう言われてもピンとこないが、せっかくそう言ってもらったので、理由を考えてみることに。概ね以下のようなことやないのかな。

1.「じっとしていられない」から。
考えるより先に動いてしまう性格なので、してからよく考えたらよかったと思うことも多いが、引っ越しの荷物を新たに配置するような、「本人たちもどこに何をどう収納したらいいのか分からない」ようなシチュエーション下では、とにかく考えるより、手を動かしモノを動したほうが結果が出やすかったから、というのはあるかもね。

2.「(思考の)スタート位置をすぐ決める」から。
友人の奥さんは、最初のベッドやタンスの配置がピンとこないと悩んでいた。で、奥さんの希望通りにタンスとベッドを入れ替えたのだが何かスッキリしない。結果的には元の位置に戻すことになった。実は、私は最初に配置してあったタンスの位置は動かしようがないと思っていた。それは、前方の空間、上部の空間がまさしく「それ用」のようにぴったり収まっていて、全くムダがなかったからだ。奥さんは寝る時にスッキリしないのが気になって、タンスとベッドを入れ替えようとしたみたいだが、私なら、全くタンスを動かすことを考えずに違う方法を取っていたと思う。とにかく、これしかない、と思ったらすぐにそれを決定する、ということも片付けには、いい方向に働いたのかも知れない。

ということで、「たまたま私の性格が友人夫妻の引っ越しの片付け体系に合っていた」というだけのことで、とても片付け上手とは言えないとは思うが、そんなことより強く思ったのは、大変な作業がまだまだ残っている中、そんなことには全く囚われずに、とにかく一度入れ替えてみようとした奥さんの感性の豊かさである。片付け上手なんかより、囚われないことのほうがよっぽど大切だから。

引っ越しの片付けを手伝っただけで、褒めてもらい、豊かな感性に触れさせてももらえるとはなんとありがたい。
どうか次もまた、よく理解できない配置換えや片付けを依頼して欲しいものである。