僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

夜逃げ

2015-07-04 | Weblog
学生時代のこと。同じ大学に通う友達が京都で下宿していた。
昭和の時代の学生、しかも貧乏人が多いと有名なR大の学生である。とにかくお金がない。
お酒を買うお金がないので、1本のビールを数人で分けて飲み、これでは酔えないからと走りに行って酒を回そうとしていたなぁ(私は飲めないが何故か一緒に走っていた)。盆地である京都は夏が異常に暑いのだけれど、もちろんエアコンなんかない。トイレは共同、お風呂なんかなければシャワーなんて気の利いたものはもちろんない。だから、同じ下宿の2階の住人に2階から“じょうろ”で水をかけてもらい、シャワーができた、なんて喜んでもいたっけ。下宿に泊り、朝起きたら友達がプールから上がった時によくする“耳の水抜き”をしたので、何をしているんだと尋ねたら、汗が耳に溜まったのでそれを抜いているやと言われた時には、もうただただ笑うしかなかった。その友達は、下宿の部屋をラブホテル代わりに貸してたりもしてた。しかもそれを外から覗かせて覗き料も取るという荒稼ぎだ(ちなみに私ももちろん学生にとっては高額な覗き料を払い覗かせていただいた(笑))。お金はないが豊かな時間ばかりだった。

ある時、その下宿で仕事(報酬はない)を手伝ってくれるように頼まれた。それは「夜逃げ」である。夜逃げがあるとは聞いていたが、実際にみたことはない。とにかく、下宿代を払えない学生が彼女とどこかへ逃げるのを手伝うらしい。どうするのか分からないまま、夜逃げ決行日の深夜、それを手助けする仲間たち(よく覚えていないが7~8人いたのかな)が下宿に集合した。
皆が寝静まった丑三つ時(くらいやったように思う)、いよいよそれは始まった。2階の部屋から家具(といってもわずかな数)を運び出す。狭い急な階段をバケツリレーで降ろす。皆押し殺した声でやり取りする。時間にして恐らく30分位だったのではないか、軽自動車の荷台が余る位のわずかな荷物の積み込みが終った。逃げる二人が乗り込む。何を言ったのかは分からない。泣いていたのか笑っていたのかも覚えていない。ただ仲間たちは霊柩車を見送る人たちのようにただ粛々と彼らを見送り、彼らは淡々と去っていった。

逃げた二人、手伝った仲間たち、そして家賃を踏み倒して逃げた二人をきっと追いかけなかったであろう家主。
とにかくそこには人がいた。人と人が触れ合い、関わり、渦を巻いていた。人の摩擦で温かかった。

インターネットやライン、フェイスブック等で簡単に人が繋がったり切れたりする昨今。
あの日、夜逃げに関わった人たちはきっと今頃、そんな馬鹿馬鹿しいツールからも逃げているに違いない。