ラグビーをしている頃、先輩に厳しく教えられた。
「たとえ1センチでもいい、縦に前に進め」と。
これは特に、走力のある選手が横に走って相手を振り切ろうとすることに対する苦言である。横に走ってもボールは1センチも前に進まない。私は、走力に自信があった訳ではないが、つい、同じようにしてしまった時に厳しく叱られた。
人生も同じである。逃げていては1センチも前に進まない。
しかし、自分ではっきりと認識できることや理屈で分かることにはなんとか向かっていけても、説明のつかない不安や苦しさにはどう立ち向かったらいいのか分からないこともある。つまり、どちらが縦(前)か分からないのである。1センチが、方向が分からなくなると100メートルにも1キロメートルにも感じられる。
そんな時、一番頼りになるのは、やはり私をよく知っていてくれていて、尚且つ心から信頼できる友である。友は「君が向く方向はこっちなんだ」と教えてくれる。闇の中、方向が分からなくなった私に方向を示してくれる。そして、その後、方向を確かめて歩き出した私を、それでいいんだよ、と後押ししてくれる。
最近、私は信頼する友に、人間としての生き方の危機を助けてもらった。それは、ある意味人生の危機でもあった。
助けてもらってから思うと、たかが1センチのことだったのかも知れない。でも、それは間違いなく私の一生分の距離でもあった。
友には、感謝などと生易しい言葉を贈っても全く足らない。
次には必ず、私が君を1センチ前に進ませてあげるから、と誓うのみである。
「たとえ1センチでもいい、縦に前に進め」と。
これは特に、走力のある選手が横に走って相手を振り切ろうとすることに対する苦言である。横に走ってもボールは1センチも前に進まない。私は、走力に自信があった訳ではないが、つい、同じようにしてしまった時に厳しく叱られた。
人生も同じである。逃げていては1センチも前に進まない。
しかし、自分ではっきりと認識できることや理屈で分かることにはなんとか向かっていけても、説明のつかない不安や苦しさにはどう立ち向かったらいいのか分からないこともある。つまり、どちらが縦(前)か分からないのである。1センチが、方向が分からなくなると100メートルにも1キロメートルにも感じられる。
そんな時、一番頼りになるのは、やはり私をよく知っていてくれていて、尚且つ心から信頼できる友である。友は「君が向く方向はこっちなんだ」と教えてくれる。闇の中、方向が分からなくなった私に方向を示してくれる。そして、その後、方向を確かめて歩き出した私を、それでいいんだよ、と後押ししてくれる。
最近、私は信頼する友に、人間としての生き方の危機を助けてもらった。それは、ある意味人生の危機でもあった。
助けてもらってから思うと、たかが1センチのことだったのかも知れない。でも、それは間違いなく私の一生分の距離でもあった。
友には、感謝などと生易しい言葉を贈っても全く足らない。
次には必ず、私が君を1センチ前に進ませてあげるから、と誓うのみである。