僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

楽観

2020-05-27 | Weblog
楽観主義を肯定する言葉は多い。
「悲観は情緒、楽観は意思」
「人は利口な悲観主義者より、馬鹿な楽観主義者を好む」
ようするに「悲観は後退、楽観は前進」だからだろう。
私は43歳で20年以上勤めた会社を辞めて転職した。その頃は転職するには30歳が限界、みたいな風潮があったがなぜか不安は全くなく自信だけがあった。「なんとかなるやろ」としか思わなかった。やはりなんとかなって、希望だった広告制作会社に転職できた。でもその会社を8年で辞め、次にお世話になった同業の会社は経営難で倒産した。それでもなんとかなるやろ、は変わることがなかった。52歳でまた同業の今の会社にお世話になることになった。幸い今の会社が一番安定していて、コロナの渦中にあっても社員を減らすこともなく健全経営されている。おかげで62歳になり契約社員になった今も退職を促されることもなく働けている。
単に私は運が良かっただけかも知れない。でも悲観して幸運がやってくるとは思えない。人は絶対になんともならないことをなんとかしようなんて思わない。なんとかなる可能性のあることだけをなんとかしようと思うのだ。つまり「なんとかなる」は「なんとかする」の同義語であり意思である。とはいえ、これはあくまでたまたまなんとかなった人が言えるお気楽な考え方なので誰かに是非どうぞ、と言えるものではないが。
さて、私は62歳にしてまだまだケツの青い出来の悪い人間なのだが、これはなんとかなっていると言うのでしょうかね。