僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

自然のバランス

2008-03-31 | Weblog

先日、娘婿のおじいさんが亡くなられ、お通夜に行ってきた。
その人はもう90歳近く、大往生だったので、ある意味では"明るい"お通夜だったんやけど、
中でも、沈みがちな雰囲気を明るくしたのは自分の孫でもある6ヶ月の赤ちゃんの存在だった。

俺も50歳になり、年齢相応に数々のお通夜お葬式に顔を出させていただいた訳やけれど、
いつもそこには必ずと言っていいほど乳飲み子や3歳位までの子供がいた。彼らは時に
泣いたりごねたり、機嫌がよければ笑ったり歌ったりする。そしてその無邪気な態度に皆の
悲しみは一瞬癒されるのだ。

昨日は、その役目をたまたまうちの孫がしてた訳やけど、それを見てて癒されるのと同時に、
亡くなった人と入れ替わりにこの子たちが生まれてきたんやなぁ、ということをつくづく思った。

皆に見守られてこの世を去る人、同じく見守れてこの世に生まれる人。このバランスが取れ
ていて初めて健全な社会が構成される。

昨今少子化が叫ばれ子供を生ま(め)ない女性が増えている。方や医学の進化により、本来
(という言い方が適当なのかは別として)命を無くしてもおかしくない老人が植物状態になって
も生き延びているという現実もある。

女性が仕事を重んじ子供を生まないことが間違っているとは一概に言えない。逆に、避妊も
せず出来るままに子供を作るのがいいわけでもないと思う。
また、延命治療に関しては直る可能性がわずかでもある人なら、親族としては生かせておき
たいという気持ちも分かるので、安易に見捨てるのがいいと言ってる訳でもない。

ただ、人が亡くなること、そして生まれることというのはこの世のどんなことよりも崇高なことで
あり、生まれてからその一生を終えるまでの命の営みということを考えた時、医学ということの
前に「必死に生きる」ということが大前提にあるべきだと思う。

この世に生を受けたわずか6ヶ月のあかちゃんと90年を生きてきたおじいさん。
昨日はこの二人にまた人生を教わった気がします。


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