僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

ペットとウンチ

2006-08-27 | Weblog

生にはそれぞれ個体の寿命がある。
問題なくその寿命を生きるとすると、例えばうちの家族なら俺より
先に逝くのは母親と犬の優だ。
母親が先に逝くのは世の常で覚悟もしているので、それは辛いだ
ろうが耐えられると思うし、耐えなければいけない。
でも優が先にいなくなるというのは、同じ世の常でもそれを考えた
だけで、耐えられない気がする。それを見るくらいなら優より先に
逝きたいと思うくらい ―もちろんこれは象徴的な話で、生きたくて
も生きられない方々も多くいらっしゃる訳やし自分の生きる責任
を全うしてないうちに許される話やないけど―。

何故それほどまでに彼が愛おしいのかというと、やはりそれは、彼
が「私はあなたなしでは生きていけないのです」という態度を何
の恥じらいもなく見せて生きているから。
医者に連れていったら先生が怖いといって俺や嫁に抱きつき、
お腹が減ったといっては休みの日の早朝から口をペロペロなめて
起きてよ、と言う。出かける時にはついていくと大騒ぎをし、誰か
が帰ってくるたびに、世の中にこんな嬉しいことがあるのかというく
らい大喜びをする。
かように彼は、事実俺達がいなければ生きていくことができない
訳で、俺達は生を請け負っている責任感と連帯感に加えて、
可愛らしさが相まって愛おしさを何倍にも増幅させている。

でも、犬の正しい育て方、みたいな本を読むとこういうふうに育て
てしまうのは、あきらかに間違った育て方である。
医者を怖がるのは別として、その本にはこういうことが書いてある。
まず、犬と一緒に寝る ―朝、口をなめるというのは一緒に寝てる
ということ― というのはしてはいけないことで小さい頃から一人で寝
れるように、犬は別の部屋もしくはゲージに入れて寝かせるように
しつけなければいけない。これは、普通のサラリーマン家庭では、
犬はどうしても家に一人で置いておかれることが多くなるので、寂
しさに苦しまなくて済むようにするために、とても大切なこと。うちの
ように育ててしまっては、出かける度に寂しがってしまうことになる。
後のこともよく似た話でつまりは人間と同じであまりに甘やかせす
ぎると結局は犬を苦しませることになる。人の命令を聞かなくなり、
いつまでも鳴き続けて他人様に迷惑をかけるようなことにもなりか
ねないので、ペットの飼い主としてはこういう育て方をしてはいけな
い。

正論だと思う。が、それは“飼い方”としてはともかく、“育て方”として
正しいのか、というとそれはまた別の話だ。生き物を育てるのには正
論も正解もなく、いかに自分達と飼う動物との適切な距離と関係
を発見して、それを保つかということにあるんだと思う。

当たり前のことだが、ペットは家族ではあっても人間ではない。でも、
人間社会で飼う限りは当然人間のルールに従わなければいけない。
ペットが可愛いそうだからと言ってリードをつけずに散歩させたり、ペ
ット持込み禁止場所に連れて入ったり、うちの子は人を噛んだりし
ませんから、などと言って、平気で小さい子供に近づけたり、散歩
中の糞を片付けずに行ってしまう等は言語道断の愚行であって、
同じペットを飼うものとして恥ずかしい限りだ。こういう人達は全く
ペットと飼い主の距離と関係を分かっていない。

ウチの犬の育て方は正論からは外れているし、初めて飼ったペット
やったから俺達としても間違った育て方をしたと反省してる部分も
多々あるが、少なくとも人間社会のルールには則っていると思う。
俺達はペットとの距離をほぼ家族と同じに保ち、関係を長男に位
置付けている(娘が二人なので)。
俺達家族はいつも、彼の元に寄り、彼に癒され、彼を守り、彼が
いなくなったらたぶん一生分の涙を流す。彼も一人の時は確かに
つらいだろうが、家族と一緒にいる時はその分も幸せだと思って育
てている。もちろん、俺達のうぬぼれもあるやろうし、そんなの間違
ってるという人もいるやろうけど、ものすごくまとめた言い方をすると、
「ウンチを決まった場所でしただけで褒めてもらえる」それがペットで、
それを褒めてやれるのが飼い主だと思うのだ。

子猫を殺している作家も、
動物愛護協会も、動物の「生」の話ば
かりをしていて、「育」の話を忘れているように思う。
動物(ペット)について論じるなら、少なくとも動物の「生」と「育」と
の距離と関係くらいはつかんでるべきやなかったのかね。
まったく、どちらにも賛同しかねるなぁ。


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