僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

避難勧告から学ぶこと

2010-03-02 | Weblog
数日前チリの大地震による津波警報で、非難指示が出ていた地域がいくつかあった。
ただその指示に従った人は数パーセント止まり(避難所に移動してきた人の数なので
それ以外は掴めていないとのことだが)だったとのこと。

指示がでていたあるところの海沿いに住む人は「毎日海を見てるんだから異常があ
れば分かる」と言っていたらしい。

国や自治体としたら当然住民の危険が及ぶ可能性があれば、避難指示を出すのは
当然のこと。でも、俺は「ここにいたら死ぬかも知れんで」と忠告したらそれだけで
もう十分で、そこから先はもう住民の判断に任せて何の問題もないと思う。

これは決して投げやりな解釈ではなく、先の住民の解釈にあるように、何十年もそ
こに住み続け、海を見てきた人の経験や感性、つまり人生をデータで覆そうとしても
それはできん話やん。

今回ホントに気象庁が発表したような大津波がきて、非難指示に従わなかった人にも
し不幸があっても気象庁や自治体が責められる理由など何もないし、その人たちも指
示に従わなかった自分を責めるだけで終わるだろう。
そうなった時初めてその人たちの人生が説得力を持って語り継がれ、同じ轍を踏む人
が減ってゆく。それが自然な姿じゃないのか。

自然の教訓は「生きた人間」からしか学べない。データはあくまで生きとし生けるも
全ての人生の積み重ねなのだから。

メダルの価値は?

2010-03-01 | Weblog
バンクーバーオリンピックも今日で終わり。
まぁ、金メダルがいくつ取れるとかいう話題には元々興味がなかったので、
今回の日本のメダル数がいくつかもよく知らない。
そんな俺やけど、印象に残ったのはやはり男女のフィギィア選手だった。
高橋選手は大怪我を乗り越え―肉体的にも精神的(恐怖心)にも―、浅田選
手は国民の期待を一身に背負いながらも他の選手には誰もできない3回転
半ジャンプを3度も成功させた。
まぁ二人共そら金メダルがよかったに決まってはいるが、俺はこのプレッ
シャーに打ち勝った素晴らしさだけでもう十分なような気がしている。

スポーツをされたいた人にはよく分かると思うが、一度怪我をしたり、プ
レッシャーに負けたりしたら、その恐怖心に打ち勝つことは並大抵のこと
ではない。俺はラグビーをしていたが、2度鎖骨を骨折して、その恐怖心
に打ち勝つことができず、怪我したほうの肩でのタックルは極端に甘くな
ってしまった。
俺のような素人レベルと比べても仕方ないので、プロ野球選手の例をだす
と、一度頭部にデッドボールをくらった打者がその後インコースの球に腰
を引いてしまう癖がつき、プロとして通用しなくなる、という話はいくら
でもあると聞く。それほどに、恐怖心やプレッシャーに打ち勝つには想像
を絶する精神力が必要なのだ。

たまたま目だったフィギィアの2選手を例に出したが、日本はもちろん、
他の国選手もきっと皆同じような苦しみを乗り越えてきた人ばかりであろ
う。その中でのメダルはもうとんでもなく価値のあるものだし、そういう
意味ではやはり、オリンピックは参加する(できる力がある)だけで意味が
ある、というのも分かる気がする。

でも、でも、最後にちょいとだけ言わせてもらうと、カーリング、ちゅう
競技はどうなんやろね?あれって肉体を極限まで鍛える苦しいトレーニン
グが必要なんやろか?尊敬する三宅(久)先生が遊びかスポーツなんだか
分からない、と言われてたが、全く同感である。
苦しい苦しいトレーニングを何年も重ねてきて、重い重いプレーシャーと
戦い続けて、それに勝ったものだけがやっとこそ出場できるのがスポーツ
の祭典オリンピックだと思う。

カーリングファンには申し訳ないけど、俺はもうちょいと競技の種類を見
直したほうがええんやないか、と思うけど皆さんはどう思われます?