「たとしへなきもの」・・・比べようがない。たとえようがない・・・「たとしえ‐なし(譬へ無し)」・・・「比べるもの・比較するモノ」が無いとドウなるのか?・・・そもそも、ナゼ、「比べるモノ」が必要なのか?必要となったのか?・・・「譬(たとし)へ無し」・・・「譬」は「ヒ」・・・「たと・し・へ」は「たとえ・たとえる」なのか?・・・「たと+し+へ」は「たとへ」に強意の副助詞「し」が挿入された語?とは・・・イト、オカシ・・・兎に角「例え・喩え・譬え・仮令」→「比喩」=「譬喩」ですか・・・「方便」なのか・・・「前代未聞」、「想定外」なのか、「初発・初見」なのか・・・「比=毘→臍(へそ)」であったが・・・「毘沙門天」・・・「たとえ=他問え・多問え・太問え・詫問え」だろう・・・それに「たと」と「え」の間に「シ」である・・・「シ・し」の同音のコトバのスベテを問え・・・デ、アル、かな・・・「火宅の人」・・・初めて「現物」を見たヒトなら「ナニ、コレ」である・・・
ーーー
「妙法蓮華経二十八品」
↓
「第三譬喩品(ヒユホン)」
↓
「法華七喩(ホッケシユ)」
↓
「法華経」の七つの譬え話」
↓
法華七喩=七譬(シチヒ)・・・「漆(うるし)の喩え」?
↓
三車火宅(サンシャカタク・譬喩品)
長者窮子(チョウジャグウジ・信解品)
三草二木(サンソウニモク・薬草喩品)
化城宝処(ケイジョウホウショ・化城喩品)
衣裏繋珠(エリケイシュウ・五百弟子受記品)
髻中明珠(ケイチュウミョウシュ・安楽行品)
良医病子(ロウイビョウシ・如来寿量品)
譬喩品(ヒユホン)第三
世尊は我等に、
劣った乗物
スナワチ
小乗の法を説き
我等は
それを修行しているのではないか、と
疑念があった。
だが
世尊は我等を
阿耨 多羅三 藐 三 菩提
(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
サンスクリット
anuttara- samyak-sambodhiの音写
無上正等覚(しょうとうかく)と訳す
仏の悟りの智慧(ちえ)・平等円満
阿耨多羅(anuttara)は無上
あんたら→彼方(貴方・貴女)等
三藐(samyak)は正しく完全なもの
三菩提(sambodhi)は悟り
纂模代
耨=ドウ・ジョク・くわ・すく・くさぎる
鍬(くわ)・鉏(すき)
藐=バク・ビョウ・ボウ
マク・ミョウ
軽んじる・遠い
亜(蛙)之句多等纂視訳纂模冊
百済
へ
導く
方便として、・・・方は便宜として
我等に
説かれたのだと
判った。
今は
一切の・・・・・「一説・壱説・一節・壱節」之
疑念は消え
世尊の・・・・・ヨのミコトの・与(余)の見事
この法を
聞いて、
本当の・・・・・「本にアテる埜(木木十一)
(の・記紀足位置)」
阿羅漢・・・・・阿は網の漢・亜は等く漢字
(アラカン)
になった
気がします・・・
・・・「気がします」って・・・ならば、未だ「ホトケのサトリの子」ではないだろう?
ーーーーー↓たとしえ‐なし(譬へ無し)
枕草子
(七二段)・・・七拾弐段・七十二段・漆足弐段
7+2=9=九=玖
7×2=14=十四==壱拾四=足肆
たとしへ
なきもの
夏と・・・・・解
冬と。・・・・問う・唐・等・読・答
夜と
晝と。
雨ふると
日てると。
若きと
老いたると。
人の
笑ふと
腹だつと。
黒きと
白きと。
思ふと・・・・恋、愛
憎むと。
藍と
黄蘖と。・・・黄蘖(きはだ・こわし・こうし
コウゲツ・オウゲツ)
で染めた紙
黄麻紙(おうまし)
ひろはノきはだ・しころ
黄紙⇒黄麻紙(おうまし)
コウシ(koushi)
経巻を書くのに用いた、
黄蘖(きはだ)で染めた紙。
蘖(ひこばえ・ゲツ)
樹木の切り株や
根元から生えてくる若芽
太い幹に対して、
孫(ひこ)に見立てて
「ひこばえ(孫生え)」
雨と
霧と。
おなじ人
ながらも・・・長柄模・乍(ながら)摸
長等喪・名臥等
長賀(長野・長州)等の藻(クス)
志うせぬる、
誠にあらぬ
人
とぞ
覺ゆる
かし。
ーーーーー
・・・おなじ人ながらも、志うせぬる、誠にあらぬ人とぞ、覺ゆるかし・・・同じ人物なのに、志を失ったとは、誠実では無い人なんだろう、と・・・思ってしまう・・・
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「妙法蓮華経二十八品」
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「第三譬喩品(ヒユホン)」
↓
「法華七喩(ホッケシユ)」
↓
「法華経」の七つの譬え話」
↓
法華七喩=七譬(シチヒ)・・・「漆(うるし)の喩え」?
↓
三車火宅(サンシャカタク・譬喩品)
長者窮子(チョウジャグウジ・信解品)
三草二木(サンソウニモク・薬草喩品)
化城宝処(ケイジョウホウショ・化城喩品)
衣裏繋珠(エリケイシュウ・五百弟子受記品)
髻中明珠(ケイチュウミョウシュ・安楽行品)
良医病子(ロウイビョウシ・如来寿量品)
譬喩品(ヒユホン)第三
世尊は我等に、
劣った乗物
スナワチ
小乗の法を説き
我等は
それを修行しているのではないか、と
疑念があった。
だが
世尊は我等を
阿耨 多羅三 藐 三 菩提
(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
サンスクリット
anuttara- samyak-sambodhiの音写
無上正等覚(しょうとうかく)と訳す
仏の悟りの智慧(ちえ)・平等円満
阿耨多羅(anuttara)は無上
あんたら→彼方(貴方・貴女)等
三藐(samyak)は正しく完全なもの
三菩提(sambodhi)は悟り
纂模代
耨=ドウ・ジョク・くわ・すく・くさぎる
鍬(くわ)・鉏(すき)
藐=バク・ビョウ・ボウ
マク・ミョウ
軽んじる・遠い
亜(蛙)之句多等纂視訳纂模冊
百済
へ
導く
方便として、・・・方は便宜として
我等に
説かれたのだと
判った。
今は
一切の・・・・・「一説・壱説・一節・壱節」之
疑念は消え
世尊の・・・・・ヨのミコトの・与(余)の見事
この法を
聞いて、
本当の・・・・・「本にアテる埜(木木十一)
(の・記紀足位置)」
阿羅漢・・・・・阿は網の漢・亜は等く漢字
(アラカン)
になった
気がします・・・
・・・「気がします」って・・・ならば、未だ「ホトケのサトリの子」ではないだろう?
ーーーーー↓たとしえ‐なし(譬へ無し)
枕草子
(七二段)・・・七拾弐段・七十二段・漆足弐段
7+2=9=九=玖
7×2=14=十四==壱拾四=足肆
たとしへ
なきもの
夏と・・・・・解
冬と。・・・・問う・唐・等・読・答
夜と
晝と。
雨ふると
日てると。
若きと
老いたると。
人の
笑ふと
腹だつと。
黒きと
白きと。
思ふと・・・・恋、愛
憎むと。
藍と
黄蘖と。・・・黄蘖(きはだ・こわし・こうし
コウゲツ・オウゲツ)
で染めた紙
黄麻紙(おうまし)
ひろはノきはだ・しころ
黄紙⇒黄麻紙(おうまし)
コウシ(koushi)
経巻を書くのに用いた、
黄蘖(きはだ)で染めた紙。
蘖(ひこばえ・ゲツ)
樹木の切り株や
根元から生えてくる若芽
太い幹に対して、
孫(ひこ)に見立てて
「ひこばえ(孫生え)」
雨と
霧と。
おなじ人
ながらも・・・長柄模・乍(ながら)摸
長等喪・名臥等
長賀(長野・長州)等の藻(クス)
志うせぬる、
誠にあらぬ
人
とぞ
覺ゆる
かし。
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・・・おなじ人ながらも、志うせぬる、誠にあらぬ人とぞ、覺ゆるかし・・・同じ人物なのに、志を失ったとは、誠実では無い人なんだろう、と・・・思ってしまう・・・