雑草も毟り取り、水もやった昨日・・・発見出来なかったのに・・・今日は胡瓜が四本、を発見。しかも長さは25センチ前後、太さは6センチ未満・・・は、ある。ミニトマトは赤く色づいていたのが6ヶ・・・キュウリ、ナゼ、昨日は発見出来なかったのだろう・・・急激に生長したとしか思えん・・・兎に角、捥ぎとって、試食してみた。粒粒の棘は無く、皮が張っていて結構かたい・・・ミニトマトも昔、子供のころに食べた味である。皮も張って食感もイイ。早速、お袋の処へ細かく切って持参し、食べてもらった・・・お袋の歯はまだ左の方に上下数本ある・・・モグモグと食べてくれたが、旨いのかドウなのかのコトバの反応はない・・・
北海道の地名に「苫小牧(とまこまい)」があるが、「きゅうり(胡瓜)」に類似する「音」の地名はない・・・「蕃茄(バンカ)」はどうか?・・・「挽歌(バンカ)」は1955年(昭三十年)六月から翌1956年(昭31年)七月まで北海道釧路で発行の「ガリ版刷りでワラ半紙」を綴じた同人誌「北海文学」に十回にわたり連載された「原田康子(はらだ やすこ・1928年1月12日~2009年10月20日)」の、約800枚の長編小説であった・・・
ーー↓原田康子
父留五郎、母テツ、四女二男の長女として東京中野に生まれ、二歳の時に北海道釧路市川上町に移住。家は製材所を営んでいた。
ーー↓
ボクはお袋の本棚にあった彼女の「挽歌」を中学校一、二年生の時に読んだのだが・・・「挽歌、輓歌とは中国で葬送の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く者が歌った歌、人の死を悼む詩歌、挽詩、哀悼(あいとう)歌である・・・
・・・それにしても「おばさん」に失礼だけれども・・・アマリにも都合のイイ「生死没の年月日」ではある?・・・1928年・昭和三年・戊辰年・・・「張作霖爆殺事件」・・・2009年・平成二十一年・己丑年・・・1月20日黒人、バラク・オバマ(Barack Hussein Obama, Jr)、第44代アメリカ合衆国大統領に就任・・・「オバマ(Obama)」、ルオ族の「ドルオ語(Dholuo)」で「Obam」・・・「曲がった」という意味であるらしい・・・「曲=よこしま・ヨコシマ」・・・
「バラク(Barack)=祝福」
「フセイン(Hussein)=美」
「オバマ(Obama)=曲がった」・・・?
ーー↓
「苫=篷」は、「菅(すげ)」や「茅(かや)」などを粗く編んだ「筵(むしろ・莚・蓆」で、「和船」や「家屋」を覆って「雨露」をしのぐのに用いるモノ・・・であるらしい・・・「寧ろ(むしろ)」は、比較の、「それよりは・・・である」のコトバである・・・アイヌ語の「沼の奥にある川」を意味する「トマコマナイ」( to mak oma nay ) 、「マコマイ」川の旧河道・河口を指し示す「トゥマコマイtu-makomai(元の・マコマイ川の河口、河道)」の由来があるらしい・・・「苫」は「茅(かや)」であった・・・そして「茅(かや)」は「葺(萱・かや)」で、「蚊帳」で「中はム(ヨコシマ)の文の帳(巾+長→キン+長)」で、「金鳥、蚊取り線香」である・・・しかも、「苫」は「艸(サ・廾・++)→丱」+「占(ト+口)」である・・・
ーーー↓
「天津日高日子番能邇邇藝命」
↓
「天津日高之御子、虛空津日高」
↓
「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」
↓
「若御毛沼命、亦名、豐御毛沼命、亦名、倭伊波禮毘古命」
ーー
1873年(明治六年)二月
「苫細」と漢字表記
それまでは「カタカナ表記」
東京都八王子市からの移住者が多かった
1874年(明治七年)八月二十日
字名を「苫細」から「苫小牧」に改めた
「枚(まい)」とするところを
「牧(まき)」にしたのは
当時の「役人」の「誤記」とあるが・・・?・・・
「役人」の「意図的なモノ」と思うのがボクです・・・開拓使東京出張所庶務課の「小牧昌業」が自分の名前の「牧(まき)」を「地名の漢字」としたのは「記念」だったのか?・・・それとも「巻・真紀・蒔・薪」の同音漢字を示唆したのか?・・・この「細(こま・糸+田)かな事件」は「明治七年(1874年)八月二十日」である。「牧=牛+攵」を使いたかった、のだ・・・?・・・
ーー↓とまと・・・ブログ記事からの抜粋
「唐柿(からがき・トウシ)」
「柿」の類字に
「杮落(こけら-おとし)」の
「杮(ハイ・柾=まさ・柾目の欠片)」
1708年
「大和本草・貝原益軒」に「唐柿」と記録
漢字名
「蕃茄(バンカ)」
トマトの常食は日本では「明治以降」
「トマトの語源」
中米・メキシコに栄えた
アステカ文明の言葉
アステカ語の「Zitomato」→ジトマト
英名は「Tomato」→トマト
仏名は「Tomate」→トマテ
独名は「Tomaten」→トマテン
中国語は「西紅柿」
和名は「アカナス(赤茄子)」
トマトの別名、異名は
バンカ・サンゴジュナス・ツルナスビ・トウガキ
ギリシャ語
「lycos(オオカミ)」+「persicon(モモ)」の合成語?
ーー↓胡瓜
キュウリ(胡瓜、Cucumis sativus L.)
ウリ科キュウリ属
つる(蔓)性一年草、その果実
日本では平安時代から栽培
胡瓜は、「胡国、胡人の瓜」
「キュウリ」の呼称
漢字で「木瓜」、「黄瓜」(きうり)と記録していたことに由来
・・・窮理、究理、九里→庫裏、栗、句理、繰り・・・
「胡瓜遣」
滑稽本、2冊
「仮名垣魯文(かながきろぶん)」著
明治五年(1872年)刊は、
福沢諭吉著の物理学書、3巻の
「窮理図解(きゅうりずかい)」
慶応四年(1868年)刊。
を「捩(もじ)ったモノ」・・・「文字理→摸地理→摸知理→文字裏」だろう・・・
・・・北海道の地名に「茂尻」がある・・・
ーー↓茂尻(もしり・もじり)
アイヌ語
「ポン・モシリ(小さな島)」
空知川の中州のこと
大正七年
大倉鉱業によって開鉱
昭和六年
茂尻炭鉱として独立
昭和十年
95人の犠牲者を出すガス爆発事故発生
同年、経営の悪化から雄別炭鉱鉄道に買収
昭和四十三年
年産50万トン達成
昭和四十四年四月二日
ガス爆発事故発生(46名死傷)
同年五月三十日閉山
・・・最近の「大陸中国の炭鉱事故」は、かっての日本の炭鉱産業の「炭鉱事故」と同類である・・・だが死傷者の「数だけ」を見れば「現今の大陸中国炭鉱事故」は膨大な死傷者を出している・・・
・・・「松浦武四郎」に聞いてみたい・・・君の意図は「文字裏」だろう・・・
ーーーーー
枕草子
(八八段)・・・八十八段・八拾八段・捌足捌
8+8=16=十六=壱拾六=足陸
8×8=64=六十四=陸足肆
里に
まかで
たる
に、
殿上
人
などの
來るも、
安からず
ぞ
人々
いひ
なす
なる。
いと
あまり
心に
引き
いり
たる
覺
はた
なければ、
さいはん
人も
にく
からず。
また
夜も
晝も
くる人
をば、
何
かは
なし
なども
かが
やき
かへ
さん。
誠に
睦じく
など
あらぬも、
さこそは
來めれ。
あまり
うる
さ
くも
實に
あれば、
この
たび
出で
たる
所を
ば、
いづく
とも
なべて
には
知らせず。
經房、
濟
政
の
君
など
ばかり
ぞ
知り
給へ
る。
左
衞
門
尉
則
光が
來て、物語などするついでに、昨日も
宰相
中
將
殿の、
妹のあり處さりとも知らぬやうあらじと、いみじう問ひ給ひしに、更に知らぬよし申ししに、
あや
にく
に
強ひ
たまひし事
など
いひて、
「ある事あらがふは、いと佗しうこそありけれ。ほとほと笑みぬべかりしに、左中將のいとつれなく知らず顏にて居給へりしを、かの君に見だにあはせば笑みぬべかりしに佗びて、
臺
盤
の
うへに
怪しき
和
布
の
ありしを、
唯
とりに
取りて
食ひ
まぎらはし
しかば、
中間に
あやしの
食物やと人も見けんかし。されど、かしこうそれにてなん申さずなりにし。
笑ひ
なま
しかば
不用ぞかし。まことに知らぬなめりと思したりしも、をかしうこそ」など語れば、「更にな聞え給ひそ」などいとどいひて、日ごろ久しくなりぬ。
夜いたく更けて、門おどろおどろしく叩けば、
何の
かく
心もと
なく
遠からぬ
程を
叩く
らん
と聞きて、問はすれば、
瀧口
なり
けり。
左衞門の文とて、文をもてきたり。皆ねたるに、火近く取りよせて見れば、「明日御讀經の結願にて、宰相中將の御物忌に籠り給へるに、妹の在處申せと責めらるるに、すぢなし、更にえ隱し申すまじき。そことや聞かせ奉るべき。
いかに
仰に
隨はん」
とぞ
いひたる。返事も書かで、和布を一寸ばかり紙に包みてやりつ。
さて
後に
きて、
「一夜
責めて
問はれて、
すずろなる
所に率てありき奉りて、
まめやかに
さいなむに、
いと
からし。
さてとかくも御かへりのなくて、そぞろなる和布の端をつつみて取へりしかば、取りたがへたるにや」といふに、怪しの違物や。人のもとにさる物包みて贈る人やはある。いささかも心得ざりけると見るがにくければ、物もいはで、硯のある紙のはしに、
かづき
する
蜑の
住家は
そこ
なりと
ゆめ
いふな
と
やめを
くはせ
けん
とかきて出したれば、「歌よませ給ひつるか、更に見侍らじ」とてあふぎかへして遁げていぬ。
かう
互に
後見
かたらひなどする中に、何事ともなくて、少し中あしくなりたるころ、文おこせたり。
「便
なき事
侍る
とも、
ちぎり
聞えし事は
捨て給はで、
よそに
ても
さぞ
などは
見給へ」といひたり。常にいふ事は、
「おのれを
おぼさん
人は、
歌など
よみて
え
さ
す
まじき。
すべて仇敵となん思ふべき。今はかぎりありて絶えなんと思はん時、さる事はいへ」といひしかば、この返しに、
くづれ
よる
妹脊の
山の
なか
なれば
さらに
よし
野の
かは
と
だに
見
じ
と
いひ遣りたりしも、
誠に
見ずや
なりけん、
返事もせず。
さて
かうぶり得て
遠江介
など
いひしかば、
にく
くして
こそ
やみ
に
しか。
ーーーーー
・・・
北海道の地名に「苫小牧(とまこまい)」があるが、「きゅうり(胡瓜)」に類似する「音」の地名はない・・・「蕃茄(バンカ)」はどうか?・・・「挽歌(バンカ)」は1955年(昭三十年)六月から翌1956年(昭31年)七月まで北海道釧路で発行の「ガリ版刷りでワラ半紙」を綴じた同人誌「北海文学」に十回にわたり連載された「原田康子(はらだ やすこ・1928年1月12日~2009年10月20日)」の、約800枚の長編小説であった・・・
ーー↓原田康子
父留五郎、母テツ、四女二男の長女として東京中野に生まれ、二歳の時に北海道釧路市川上町に移住。家は製材所を営んでいた。
ーー↓
ボクはお袋の本棚にあった彼女の「挽歌」を中学校一、二年生の時に読んだのだが・・・「挽歌、輓歌とは中国で葬送の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く者が歌った歌、人の死を悼む詩歌、挽詩、哀悼(あいとう)歌である・・・
・・・それにしても「おばさん」に失礼だけれども・・・アマリにも都合のイイ「生死没の年月日」ではある?・・・1928年・昭和三年・戊辰年・・・「張作霖爆殺事件」・・・2009年・平成二十一年・己丑年・・・1月20日黒人、バラク・オバマ(Barack Hussein Obama, Jr)、第44代アメリカ合衆国大統領に就任・・・「オバマ(Obama)」、ルオ族の「ドルオ語(Dholuo)」で「Obam」・・・「曲がった」という意味であるらしい・・・「曲=よこしま・ヨコシマ」・・・
「バラク(Barack)=祝福」
「フセイン(Hussein)=美」
「オバマ(Obama)=曲がった」・・・?
ーー↓
「苫=篷」は、「菅(すげ)」や「茅(かや)」などを粗く編んだ「筵(むしろ・莚・蓆」で、「和船」や「家屋」を覆って「雨露」をしのぐのに用いるモノ・・・であるらしい・・・「寧ろ(むしろ)」は、比較の、「それよりは・・・である」のコトバである・・・アイヌ語の「沼の奥にある川」を意味する「トマコマナイ」( to mak oma nay ) 、「マコマイ」川の旧河道・河口を指し示す「トゥマコマイtu-makomai(元の・マコマイ川の河口、河道)」の由来があるらしい・・・「苫」は「茅(かや)」であった・・・そして「茅(かや)」は「葺(萱・かや)」で、「蚊帳」で「中はム(ヨコシマ)の文の帳(巾+長→キン+長)」で、「金鳥、蚊取り線香」である・・・しかも、「苫」は「艸(サ・廾・++)→丱」+「占(ト+口)」である・・・
ーーー↓
「天津日高日子番能邇邇藝命」
↓
「天津日高之御子、虛空津日高」
↓
「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」
↓
「若御毛沼命、亦名、豐御毛沼命、亦名、倭伊波禮毘古命」
ーー
1873年(明治六年)二月
「苫細」と漢字表記
それまでは「カタカナ表記」
東京都八王子市からの移住者が多かった
1874年(明治七年)八月二十日
字名を「苫細」から「苫小牧」に改めた
「枚(まい)」とするところを
「牧(まき)」にしたのは
当時の「役人」の「誤記」とあるが・・・?・・・
「役人」の「意図的なモノ」と思うのがボクです・・・開拓使東京出張所庶務課の「小牧昌業」が自分の名前の「牧(まき)」を「地名の漢字」としたのは「記念」だったのか?・・・それとも「巻・真紀・蒔・薪」の同音漢字を示唆したのか?・・・この「細(こま・糸+田)かな事件」は「明治七年(1874年)八月二十日」である。「牧=牛+攵」を使いたかった、のだ・・・?・・・
ーー↓とまと・・・ブログ記事からの抜粋
「唐柿(からがき・トウシ)」
「柿」の類字に
「杮落(こけら-おとし)」の
「杮(ハイ・柾=まさ・柾目の欠片)」
1708年
「大和本草・貝原益軒」に「唐柿」と記録
漢字名
「蕃茄(バンカ)」
トマトの常食は日本では「明治以降」
「トマトの語源」
中米・メキシコに栄えた
アステカ文明の言葉
アステカ語の「Zitomato」→ジトマト
英名は「Tomato」→トマト
仏名は「Tomate」→トマテ
独名は「Tomaten」→トマテン
中国語は「西紅柿」
和名は「アカナス(赤茄子)」
トマトの別名、異名は
バンカ・サンゴジュナス・ツルナスビ・トウガキ
ギリシャ語
「lycos(オオカミ)」+「persicon(モモ)」の合成語?
ーー↓胡瓜
キュウリ(胡瓜、Cucumis sativus L.)
ウリ科キュウリ属
つる(蔓)性一年草、その果実
日本では平安時代から栽培
胡瓜は、「胡国、胡人の瓜」
「キュウリ」の呼称
漢字で「木瓜」、「黄瓜」(きうり)と記録していたことに由来
・・・窮理、究理、九里→庫裏、栗、句理、繰り・・・
「胡瓜遣」
滑稽本、2冊
「仮名垣魯文(かながきろぶん)」著
明治五年(1872年)刊は、
福沢諭吉著の物理学書、3巻の
「窮理図解(きゅうりずかい)」
慶応四年(1868年)刊。
を「捩(もじ)ったモノ」・・・「文字理→摸地理→摸知理→文字裏」だろう・・・
・・・北海道の地名に「茂尻」がある・・・
ーー↓茂尻(もしり・もじり)
アイヌ語
「ポン・モシリ(小さな島)」
空知川の中州のこと
大正七年
大倉鉱業によって開鉱
昭和六年
茂尻炭鉱として独立
昭和十年
95人の犠牲者を出すガス爆発事故発生
同年、経営の悪化から雄別炭鉱鉄道に買収
昭和四十三年
年産50万トン達成
昭和四十四年四月二日
ガス爆発事故発生(46名死傷)
同年五月三十日閉山
・・・最近の「大陸中国の炭鉱事故」は、かっての日本の炭鉱産業の「炭鉱事故」と同類である・・・だが死傷者の「数だけ」を見れば「現今の大陸中国炭鉱事故」は膨大な死傷者を出している・・・
・・・「松浦武四郎」に聞いてみたい・・・君の意図は「文字裏」だろう・・・
ーーーーー
枕草子
(八八段)・・・八十八段・八拾八段・捌足捌
8+8=16=十六=壱拾六=足陸
8×8=64=六十四=陸足肆
里に
まかで
たる
に、
殿上
人
などの
來るも、
安からず
ぞ
人々
いひ
なす
なる。
いと
あまり
心に
引き
いり
たる
覺
はた
なければ、
さいはん
人も
にく
からず。
また
夜も
晝も
くる人
をば、
何
かは
なし
なども
かが
やき
かへ
さん。
誠に
睦じく
など
あらぬも、
さこそは
來めれ。
あまり
うる
さ
くも
實に
あれば、
この
たび
出で
たる
所を
ば、
いづく
とも
なべて
には
知らせず。
經房、
濟
政
の
君
など
ばかり
ぞ
知り
給へ
る。
左
衞
門
尉
則
光が
來て、物語などするついでに、昨日も
宰相
中
將
殿の、
妹のあり處さりとも知らぬやうあらじと、いみじう問ひ給ひしに、更に知らぬよし申ししに、
あや
にく
に
強ひ
たまひし事
など
いひて、
「ある事あらがふは、いと佗しうこそありけれ。ほとほと笑みぬべかりしに、左中將のいとつれなく知らず顏にて居給へりしを、かの君に見だにあはせば笑みぬべかりしに佗びて、
臺
盤
の
うへに
怪しき
和
布
の
ありしを、
唯
とりに
取りて
食ひ
まぎらはし
しかば、
中間に
あやしの
食物やと人も見けんかし。されど、かしこうそれにてなん申さずなりにし。
笑ひ
なま
しかば
不用ぞかし。まことに知らぬなめりと思したりしも、をかしうこそ」など語れば、「更にな聞え給ひそ」などいとどいひて、日ごろ久しくなりぬ。
夜いたく更けて、門おどろおどろしく叩けば、
何の
かく
心もと
なく
遠からぬ
程を
叩く
らん
と聞きて、問はすれば、
瀧口
なり
けり。
左衞門の文とて、文をもてきたり。皆ねたるに、火近く取りよせて見れば、「明日御讀經の結願にて、宰相中將の御物忌に籠り給へるに、妹の在處申せと責めらるるに、すぢなし、更にえ隱し申すまじき。そことや聞かせ奉るべき。
いかに
仰に
隨はん」
とぞ
いひたる。返事も書かで、和布を一寸ばかり紙に包みてやりつ。
さて
後に
きて、
「一夜
責めて
問はれて、
すずろなる
所に率てありき奉りて、
まめやかに
さいなむに、
いと
からし。
さてとかくも御かへりのなくて、そぞろなる和布の端をつつみて取へりしかば、取りたがへたるにや」といふに、怪しの違物や。人のもとにさる物包みて贈る人やはある。いささかも心得ざりけると見るがにくければ、物もいはで、硯のある紙のはしに、
かづき
する
蜑の
住家は
そこ
なりと
ゆめ
いふな
と
やめを
くはせ
けん
とかきて出したれば、「歌よませ給ひつるか、更に見侍らじ」とてあふぎかへして遁げていぬ。
かう
互に
後見
かたらひなどする中に、何事ともなくて、少し中あしくなりたるころ、文おこせたり。
「便
なき事
侍る
とも、
ちぎり
聞えし事は
捨て給はで、
よそに
ても
さぞ
などは
見給へ」といひたり。常にいふ事は、
「おのれを
おぼさん
人は、
歌など
よみて
え
さ
す
まじき。
すべて仇敵となん思ふべき。今はかぎりありて絶えなんと思はん時、さる事はいへ」といひしかば、この返しに、
くづれ
よる
妹脊の
山の
なか
なれば
さらに
よし
野の
かは
と
だに
見
じ
と
いひ遣りたりしも、
誠に
見ずや
なりけん、
返事もせず。
さて
かうぶり得て
遠江介
など
いひしかば、
にく
くして
こそ
やみ
に
しか。
ーーーーー
・・・