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コジキジゲン

挽歌・蕃茄・胡瓜←究理←窮理

2013-07-24 23:19:58 | 古事記字源
 雑草も毟り取り、水もやった昨日・・・発見出来なかったのに・・・今日は胡瓜が四本、を発見。しかも長さは25センチ前後、太さは6センチ未満・・・は、ある。ミニトマトは赤く色づいていたのが6ヶ・・・キュウリ、ナゼ、昨日は発見出来なかったのだろう・・・急激に生長したとしか思えん・・・兎に角、捥ぎとって、試食してみた。粒粒の棘は無く、皮が張っていて結構かたい・・・ミニトマトも昔、子供のころに食べた味である。皮も張って食感もイイ。早速、お袋の処へ細かく切って持参し、食べてもらった・・・お袋の歯はまだ左の方に上下数本ある・・・モグモグと食べてくれたが、旨いのかドウなのかのコトバの反応はない・・・
 北海道の地名に「苫小牧(とまこまい)」があるが、「きゅうり(胡瓜)」に類似する「音」の地名はない・・・「蕃茄(バンカ)」はどうか?・・・「挽歌(バンカ)」は1955年(昭三十年)六月から翌1956年(昭31年)七月まで北海道釧路で発行の「ガリ版刷りでワラ半紙」を綴じた同人誌「北海文学」に十回にわたり連載された「原田康子(はらだ やすこ・1928年1月12日~2009年10月20日)」の、約800枚の長編小説であった・・・

ーー↓原田康子

 父留五郎、母テツ、四女二男の長女として東京中野に生まれ、二歳の時に北海道釧路市川上町に移住。家は製材所を営んでいた。

ーー↓

 ボクはお袋の本棚にあった彼女の「挽歌」を中学校一、二年生の時に読んだのだが・・・「挽歌、輓歌とは中国で葬送の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く者が歌った歌、人の死を悼む詩歌、挽詩、哀悼(あいとう)歌である・・・

 ・・・それにしても「おばさん」に失礼だけれども・・・アマリにも都合のイイ「生死没の年月日」ではある?・・・1928年・昭和三年・戊辰年・・・「張作霖爆殺事件」・・・2009年・平成二十一年・己丑年・・・1月20日黒人、バラク・オバマ(Barack Hussein Obama, Jr)、第44代アメリカ合衆国大統領に就任・・・「オバマ(Obama)」、ルオ族の「ドルオ語(Dholuo)」で「Obam」・・・「曲がった」という意味であるらしい・・・「曲=よこしま・ヨコシマ」・・・

 「バラク(Barack)=祝福」

 「フセイン(Hussein)=美」

 「オバマ(Obama)=曲がった」・・・?

ーー↓

 「苫=篷」は、「菅(すげ)」や「茅(かや)」などを粗く編んだ「筵(むしろ・莚・蓆」で、「和船」や「家屋」を覆って「雨露」をしのぐのに用いるモノ・・・であるらしい・・・「寧ろ(むしろ)」は、比較の、「それよりは・・・である」のコトバである・・・アイヌ語の「沼の奥にある川」を意味する「トマコマナイ」( to mak oma nay ) 、「マコマイ」川の旧河道・河口を指し示す「トゥマコマイtu-makomai(元の・マコマイ川の河口、河道)」の由来があるらしい・・・「苫」は「茅(かや)」であった・・・そして「茅(かや)」は「葺(萱・かや)」で、「蚊帳」で「中はム(ヨコシマ)の文の帳(巾+長→キン+長)」で、「金鳥、蚊取り線香」である・・・しかも、「苫」は「艸(サ・廾・++)→丱」+「占(ト+口)」である・・・

ーーー↓

 「天津日高日子番能邇邇藝命」

   ↓

 「天津日高之御子、虛空津日高」

   ↓

 「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」

   ↓

 「若御毛沼命、亦名、豐御毛沼命、亦名、倭伊波禮毘古命」

ーー

 1873年(明治六年)二月

 「苫細」と漢字表記

 それまでは「カタカナ表記」

 東京都八王子市からの移住者が多かった

 1874年(明治七年)八月二十日

 字名を「苫細」から「苫小牧」に改めた

 「枚(まい)」とするところを

 「牧(まき)」にしたのは

 当時の「役人」の「誤記」とあるが・・・?・・・

 「役人」の「意図的なモノ」と思うのがボクです・・・開拓使東京出張所庶務課の「小牧昌業」が自分の名前の「牧(まき)」を「地名の漢字」としたのは「記念」だったのか?・・・それとも「巻・真紀・蒔・薪」の同音漢字を示唆したのか?・・・この「細(こま・糸+田)かな事件」は「明治七年(1874年)八月二十日」である。「牧=牛+攵」を使いたかった、のだ・・・?・・・

ーー↓とまと・・・ブログ記事からの抜粋

 「唐柿(からがき・トウシ)」

        「柿」の類字に

        「杮落(こけら-おとし)」の

        「杮(ハイ・柾=まさ・柾目の欠片)」

 1708年

 「大和本草・貝原益軒」に「唐柿」と記録

 漢字名

 「蕃茄(バンカ)」

  トマトの常食は日本では「明治以降」

 「トマトの語源」

 中米・メキシコに栄えた

 アステカ文明の言葉

 アステカ語の「Zitomato」→ジトマト

 英名は「Tomato」→トマト

 仏名は「Tomate」→トマテ

 独名は「Tomaten」→トマテン

 中国語は「西紅柿」

 和名は「アカナス(赤茄子)」

 トマトの別名、異名は

 バンカ・サンゴジュナス・ツルナスビ・トウガキ

 ギリシャ語

 「lycos(オオカミ)」+「persicon(モモ)」の合成語?

ーー↓胡瓜

 キュウリ(胡瓜、Cucumis sativus L.)

 ウリ科キュウリ属

 つる(蔓)性一年草、その果実

 日本では平安時代から栽培

 胡瓜は、「胡国、胡人の瓜」

 「キュウリ」の呼称

 漢字で「木瓜」、「黄瓜」(きうり)と記録していたことに由来

 ・・・窮理、究理、九里→庫裏、栗、句理、繰り・・・

 「胡瓜遣」

 滑稽本、2冊

 「仮名垣魯文(かながきろぶん)」著

 明治五年(1872年)刊は、

 福沢諭吉著の物理学書、3巻の

 「窮理図解(きゅうりずかい)」

 慶応四年(1868年)刊。

 を「捩(もじ)ったモノ」・・・「文字理→摸地理→摸知理→文字裏」だろう・・・

 ・・・北海道の地名に「茂尻」がある・・・

ーー↓茂尻(もしり・もじり)

 アイヌ語

 「ポン・モシリ(小さな島)」

 空知川の中州のこと

 大正七年

 大倉鉱業によって開鉱

 昭和六年

 茂尻炭鉱として独立

 昭和十年

 95人の犠牲者を出すガス爆発事故発生

 同年、経営の悪化から雄別炭鉱鉄道に買収

 昭和四十三年

 年産50万トン達成

 昭和四十四年四月二日

 ガス爆発事故発生(46名死傷)

 同年五月三十日閉山

 ・・・最近の「大陸中国の炭鉱事故」は、かっての日本の炭鉱産業の「炭鉱事故」と同類である・・・だが死傷者の「数だけ」を見れば「現今の大陸中国炭鉱事故」は膨大な死傷者を出している・・・

 ・・・「松浦武四郎」に聞いてみたい・・・君の意図は「文字裏」だろう・・・

ーーーーー

 枕草子

 (八八段)・・・八十八段・八拾八段・捌足捌

         8+8=16=十六=壱拾六=足陸

         8×8=64=六十四=陸足肆

 里に

 まかで

 たる

 に、

 殿上

 人

 などの

 來るも、

 安からず

 ぞ

 人々

 いひ

 なす

 なる。

 いと

 あまり

 心に

 引き

 いり

 たる

 覺

 はた

 なければ、

 さいはん

 人も

 にく

 からず。

 また

 夜も

 晝も

 くる人

 をば、

 何

 かは

 なし

 なども

 かが

 やき

 かへ

 さん。

 誠に

 睦じく

 など

 あらぬも、

 さこそは

 來めれ。

 あまり

 うる

 さ

 くも

 實に

 あれば、

 この

 たび

 出で

 たる

 所を

 ば、

 いづく

 とも

 なべて

 には

 知らせず。

 經房、

 濟

 政

 の

 君

 など

 ばかり

 ぞ

 知り

 給へ

 る。

 左

 衞

 門

 尉

 則

 光が

 來て、物語などするついでに、昨日も

 宰相

 中

 將

 殿の、

 妹のあり處さりとも知らぬやうあらじと、いみじう問ひ給ひしに、更に知らぬよし申ししに、

 あや

 にく

 に

 強ひ

 たまひし事

 など

 いひて、

 「ある事あらがふは、いと佗しうこそありけれ。ほとほと笑みぬべかりしに、左中將のいとつれなく知らず顏にて居給へりしを、かの君に見だにあはせば笑みぬべかりしに佗びて、

 臺

 盤

 の

 うへに

 怪しき

 和

 布

 の

 ありしを、

 唯

 とりに

 取りて

 食ひ

 まぎらはし

 しかば、

 中間に

 あやしの

 食物やと人も見けんかし。されど、かしこうそれにてなん申さずなりにし。

 笑ひ

 なま

 しかば

 不用ぞかし。まことに知らぬなめりと思したりしも、をかしうこそ」など語れば、「更にな聞え給ひそ」などいとどいひて、日ごろ久しくなりぬ。

 夜いたく更けて、門おどろおどろしく叩けば、

 何の

 かく

 心もと

 なく

 遠からぬ

 程を

 叩く

 らん

 と聞きて、問はすれば、

 瀧口

 なり

 けり。

 左衞門の文とて、文をもてきたり。皆ねたるに、火近く取りよせて見れば、「明日御讀經の結願にて、宰相中將の御物忌に籠り給へるに、妹の在處申せと責めらるるに、すぢなし、更にえ隱し申すまじき。そことや聞かせ奉るべき。

 いかに

 仰に

 隨はん」

 とぞ

 いひたる。返事も書かで、和布を一寸ばかり紙に包みてやりつ。

 さて

 後に

 きて、

 「一夜

  責めて

  問はれて、

  すずろなる

  所に率てありき奉りて、

  まめやかに

  さいなむに、

  いと

  からし。

  さてとかくも御かへりのなくて、そぞろなる和布の端をつつみて取へりしかば、取りたがへたるにや」といふに、怪しの違物や。人のもとにさる物包みて贈る人やはある。いささかも心得ざりけると見るがにくければ、物もいはで、硯のある紙のはしに、

 かづき

 する

 蜑の

 住家は

 そこ

 なりと

 ゆめ

 いふな

 と

 やめを

 くはせ

 けん

 とかきて出したれば、「歌よませ給ひつるか、更に見侍らじ」とてあふぎかへして遁げていぬ。

 かう

 互に

 後見

 かたらひなどする中に、何事ともなくて、少し中あしくなりたるころ、文おこせたり。

 「便

  なき事

  侍る

  とも、

  ちぎり

  聞えし事は

  捨て給はで、

  よそに

  ても

  さぞ

  などは

  見給へ」といひたり。常にいふ事は、

 「おのれを

  おぼさん

  人は、

  歌など

  よみて

  え

  さ

  す

  まじき。

  すべて仇敵となん思ふべき。今はかぎりありて絶えなんと思はん時、さる事はいへ」といひしかば、この返しに、

 くづれ

 よる

 妹脊の

 山の

 なか

 なれば

 さらに

 よし

 野の

 かは

 と

 だに

 見

 じ

 と

 いひ遣りたりしも、

 誠に

 見ずや

 なりけん、

 返事もせず。

 さて

 かうぶり得て

 遠江介

 など

 いひしかば、

 にく

 くして

 こそ

 やみ

 に

 しか。

ーーーーー

 ・・・

コメント
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