前回、家に舞い込んだ「一匹のハエさん」のハナシが跳んでしまった・・・「古事記」と「日本書紀」の「はえいろね」・・・今日は朝は雨で、午後から今現在は晴れ・・・庭でミニトマトの実に赤身がサシしてきた・・・胡瓜は未だ実があらず・・・葡萄は実が生りそうも無い・・・薔薇が咲いているが、マーガレットは終わりつつある・・・百合が一輪・・・白い小さな花、ドクダミらしいが、可憐に、騒がしそうに咲き始めた・・・
ドクダミ(毒痛み)の別名は、「ドクダメ(毒溜め)」、「ギョセイソウ(魚腥草)」、「ジゴクソバ(地獄蕎麦)」であるらしい・・・地獄が傍にいるって・・・十字型の白い花を咲かせるので薬草としては「十薬(ジュウヤク)」と呼ばれているそうだ。「白い花びらに見えるのは、葉が変化したもの」・・・?・・・最初は「馬に与えた薬草だった」・・・ですか。利尿・湿疹・腫れ物・蓄膿症などに効能あると説明されていたのだが・・・花言葉は「白い追憶」・・・
最近は紙で製本された本、書籍を読まなくなった。調べたいことはスベテ、コンピュータのウエブから。特に殆んどが「ウイッキペデア」から引用するか、ブログ辞典からの引用です・・・それでも、半日以上検索しても「知りたいコト」に出会わないコトがある。以前、本で読んだことのあるハズの「コトバ」だが、記憶が曖昧で再確認するために、コレも記憶にあるらしい本の場所を捜し、手にとって、その頁を捜すのだが・・・殆んど無駄骨・・・危険かも・・・ネッ・・・ドクダミの煎じ方を勉強しなくちゃぁ・・・
ーー↓はえ・蠅・蝿・ヨウ・はい
幼虫は「蛆虫(うじむし)」で、馬糞や牛糞の家畜から「ゾクゾク」と湧き出るように見えたので一族、氏子の繁殖を願っての「氏(うじ・シ)」なんだろう・・・「氐(て・テイ)」は「氏+一」であるから「氏の初め」である。「蛆(うじ・ショ・ソ)=中+ム+且(かつ・シャ・ソ)」は「虫(ムシ)」か、「中(ナカ)」の「ム(ヨコシマ)」の「且(かつ、シャ・ソ)」である・・・
「氏子(うじこ)」は「得(鵜・鸕・有)字拠」の示唆で、「字」は市町村、「邑(くに・むら・ユウ)」、現住所に記される「字(あざ)」である。「字=宀+子」で、「家の子」であり、「家の孑(ひとり・ひとつ・ちいさい・みじかい・のこる・あまる」、「孑孑(ケツゲツ)」で「 たった一つ・ぽつんと立ったさま・孤立したさま・一つだけ抜け出ているさま・小さいさま」、「ぼうふら=蚊の幼虫」で、正しくは「孑孒(ゲツゲツ)」と書く・・・
イズレにしても「子(こ・ね・シ・ス)・孑(ひとり・ケツ・ケチ)・孒(ケツ)」は「増える」であり、「一(はじめ)」+「了(おわり)」の合体漢字である。
ーー↓昆虫の蝿(はえ)
ハエ(蠅・蝿)
ハエ目(双翅目・ソウシモク)
ハエ亜目(短角亜目)
環縫短角群(カンポウタンカクグン)
ハエ下目(Muscomorpha)に属する総称
日本だけで60ほどの科と、
そこに
属する3,000種近い種が存在
成虫
コンパクトな胴体、
よく発達した
前翅、
後翅が
変化した
平均棍を持つ
飛翔能力は昆虫類の中でも
非常に高い
空間に完全に固定されたかのような
ホバリングや、
高速での
急激な方向転換
複雑で敏捷な飛翔をこなす
「短角亜目」で触角は通常短い
羽化
蛹(さなぎ)の
背中が
縦に割れずに
環状に開く
蛹(さなぎ)の
縫い目が環状
で
「環縫短角群 」、
「環縫群」
「環縫類」とも呼ばれる
アブは通常
ハエとは別の
直縫短角群を指す呼称だが、
「アブ」と名のつくもののうち
ハナアブ科や
アタマアブ科などは
ハエの仲間であり、
逆に
「ハエ」と名のつくもののうち、
アシナガバエ科や
オドリバエ科などは
アブの仲間である
・・・則天武后は「阿武(アブ・虻)」と呼ばれ・・・そして、「ねずみ(鼠・子)」とも呼ばれた・・・
ーー↓魚の鮠(はえ)
ハヤ(鮠・鯈・芳養)
日本産の
コイ科淡水魚
中型で
細長い体型をもつものの総称
「ハエ、ハヨ」とも呼ばれる
釣り用語や各地での
「方言呼称」に用いられ、
標準和名に
「ハヤ」が組みこまれた種もある
呼称は動きが
「速い」ことに由来するという説がある
・・・「葉諭・葉喩・葉矢・葉夜」だろう・・・
主な魚
アブラハヤ
ウグイ
オイカワ
カワムツ
タカハヤ
ヌマムツ
コンゴウハヤ
(金剛ハヤ)
・・・以上の「サカナ」の名前を漢字転換してみる・・・
漢字分解は
鮠=魚+危
鯈=イ+|+ノ一(かみさし)+魚
・・・である・・・
ーー↓古語の「はや」
はや
…だった、よッ・…なかったョなぁ~
文末に用いて、
強い
詠嘆の意を表す
源氏物語
須磨
漁(いさ)りせむとは思はざりし「はや」
漁をすることになろうとは思いも
「しなかったョなぁ~」
・・・で、あるらしい・・・
ーーー↓はえいろね
日本書紀
倭 迹迹 日 百 襲 媛 命
やまと とと ひ ももそ ひめのみこと
生没年不詳
(紀元前92年以前~紀元前88年以降)
孝霊天皇(紀元前342年~紀元前215年)の
皇女
母は、倭 国 香 媛
やまとのくに か ひめ
同母兄弟は、
倭迹迹稚屋姫命
彦五十狭芹彦命
異母兄弟は
孝元天皇
ーー↓はえいろね
古事記
蠅 伊 呂 泥
はえ い ろ ね、
夜麻登 登 母 母 曾 毘売 命
やまと と も も そ ひめのみこと
母は、意富 夜麻登 玖邇 阿禮 比賣 命
おお やまと くに あれ ひめのみこと
同母兄弟は
日子刺肩別命
比古伊佐勢理毘古命
倭飛羽矢若屋比売
ーー↓
紀元前92年に
崇神天皇に頼まれて、
災害がつづく理由を占うと、
三輪山の大物主神が神懸かりし
我を祀れば国は治まるといった。
崇神は、
神の娘
大田田根子を
大神神社の神主にすると、
平和になった
ーー↓
紀元前88年
四道将軍の一人、
大彦命がきいた
童歌から
武埴安彦命の反乱を予言
彼の妻
吾田媛と
二手に分かれて攻めてくるとも
予言
・・・「童歌」は明治~今現在ならば「童謡」である・・・「童謡・尋常小学校唱歌」には明治時代の「謎の解答」が込められている、と言うワケです・・・
ーー↓「記紀」の使用漢字の相違
倭 迹 迹 日 百 襲 媛 命(書記)
夜麻 登 登 母母 曾 毘売 命(古事記)
ーー母
倭 国 香 媛(書記)
意富 夜麻 登 玖邇 阿禮 比賣 命(古事記)
ーー↓
ワイ、マタ、マタ、ニチ(似知・被)・・・「百を襲う媛の命」とは「百済(徐=扶余=扶餘)を襲った媛(女+爰)の命令」だろう・・・唐時代なら「則天武后」、清朝時代なら「西太后」ダロウ・・・「襲」は「龍+衣」で、「劉のイ」、「劉のコロも」である・・・「劉仁軌・劉仁願・劉仁高」である・・・
ーー↓
「後漢(劉氏)」の時代ならば
光武帝の事情か・・・
中元二年・57年・丙辰年
「漢委奴国王」
ーー↓
安帝
後漢第六代皇帝
第三代皇
帝章帝の孫
父は
清河孝王劉慶
母は
左姫、
前皇帝
「和帝」の
「皇后の氏」である・・・?
ーー↓
永初(107年)元年
二月
清河国が分割
九月に
氏の母の
陰氏に
新野君が与えられた
西域都護が廃止
秋九月
太尉の
徐防、
司空の尹勤が免職
張禹と周章が後任
十月
倭国からの使者来訪
十一月
周章が帝位の廃立を目論んだとして誅殺
ーー
168年(建寧元年)
霊帝(後漢第十二代皇帝)
諡号は
孝霊皇帝
本名は
劉宏
解瀆亭侯、劉萇=建の子
解瀆亭侯、劉淑の孫
河間王、劉開の曾孫
章帝の玄孫
ーー
霊帝は皇后の
宋氏を廃し、
何氏を皇后に立て、
その兄の
何進を大将軍
何進は宦官に不満を持つ
袁紹に支持され、
十常侍との対立
何皇后も
霊帝の実母である
董太后と対立
ーー
漢の霊帝の
光和中(178~184年)
倭国は大乱
卑弥呼を共立し王
(梁書)
ーー
中平一年(184年)
太平道の教祖
張角が起こした農民反乱
中平四年(188年)
西園八校尉という制度を新設
宦官の蹇碩により
何進や袁紹、曹操を統率
劉焉の勧めにより
州牧制を復活させた
ーー
中平五年(189年)
霊帝崩御
実子の
劉弁と
劉協との間で
皇位継承争いが起こった
ーー
238年(延熙元年・戊午年)
卑弥呼の時代
魏の曹操へ使者
ーー↓
・・・「曽=曾」は「ソウ・ゾ」で「かつて・すなわち・以前に」で「世代が重なること」で「曽孫(そうそん)・ 曽祖父(そうそふ)・曽祖母(そうそぼ)」の熟語がある。
1)本人→2)子→3)孫→4)孫の子→
ーー↓
夜麻 登 登 母母 曾 毘売 命
「ママのママが重なった」・・・臍を売る命令・・・
「毘(へそ・たすける・ビ)=田+比」→「他意・伝比」
「臍(へそ・ほぞ・セイ・ザイ)
↓ navel・belly button
肉(にく・ジク)+齋(ものいみ・いつく・サイ・セ)
肉+亠+丫+刀+斤(氏)+冂+一?
(|+|+二)
ーーーーー↓
枕草子
(七五段)・・・七拾五段・七十五段・漆足伍段
7+5=12=十二=壱拾弐=足弐
7×5=35=三十五=参拾五=参足伍
また、
冬の
いみじう
寒きに、
埋もれ
臥して
聞くに、
鐘の
音の、
ただ
物の
底
なる
やうに
聞ゆる、
いとをかし。
鶏の
声も、
はじめは
羽の
うちに
鳴くが、
口を
籠めながら
聞けば、
いみじう
もの
深く
遠きが、
明くる
ままに
近く
聞ゆる
も、
をかし。
ーーーーー
・・・
ドクダミ(毒痛み)の別名は、「ドクダメ(毒溜め)」、「ギョセイソウ(魚腥草)」、「ジゴクソバ(地獄蕎麦)」であるらしい・・・地獄が傍にいるって・・・十字型の白い花を咲かせるので薬草としては「十薬(ジュウヤク)」と呼ばれているそうだ。「白い花びらに見えるのは、葉が変化したもの」・・・?・・・最初は「馬に与えた薬草だった」・・・ですか。利尿・湿疹・腫れ物・蓄膿症などに効能あると説明されていたのだが・・・花言葉は「白い追憶」・・・
最近は紙で製本された本、書籍を読まなくなった。調べたいことはスベテ、コンピュータのウエブから。特に殆んどが「ウイッキペデア」から引用するか、ブログ辞典からの引用です・・・それでも、半日以上検索しても「知りたいコト」に出会わないコトがある。以前、本で読んだことのあるハズの「コトバ」だが、記憶が曖昧で再確認するために、コレも記憶にあるらしい本の場所を捜し、手にとって、その頁を捜すのだが・・・殆んど無駄骨・・・危険かも・・・ネッ・・・ドクダミの煎じ方を勉強しなくちゃぁ・・・
ーー↓はえ・蠅・蝿・ヨウ・はい
幼虫は「蛆虫(うじむし)」で、馬糞や牛糞の家畜から「ゾクゾク」と湧き出るように見えたので一族、氏子の繁殖を願っての「氏(うじ・シ)」なんだろう・・・「氐(て・テイ)」は「氏+一」であるから「氏の初め」である。「蛆(うじ・ショ・ソ)=中+ム+且(かつ・シャ・ソ)」は「虫(ムシ)」か、「中(ナカ)」の「ム(ヨコシマ)」の「且(かつ、シャ・ソ)」である・・・
「氏子(うじこ)」は「得(鵜・鸕・有)字拠」の示唆で、「字」は市町村、「邑(くに・むら・ユウ)」、現住所に記される「字(あざ)」である。「字=宀+子」で、「家の子」であり、「家の孑(ひとり・ひとつ・ちいさい・みじかい・のこる・あまる」、「孑孑(ケツゲツ)」で「 たった一つ・ぽつんと立ったさま・孤立したさま・一つだけ抜け出ているさま・小さいさま」、「ぼうふら=蚊の幼虫」で、正しくは「孑孒(ゲツゲツ)」と書く・・・
イズレにしても「子(こ・ね・シ・ス)・孑(ひとり・ケツ・ケチ)・孒(ケツ)」は「増える」であり、「一(はじめ)」+「了(おわり)」の合体漢字である。
ーー↓昆虫の蝿(はえ)
ハエ(蠅・蝿)
ハエ目(双翅目・ソウシモク)
ハエ亜目(短角亜目)
環縫短角群(カンポウタンカクグン)
ハエ下目(Muscomorpha)に属する総称
日本だけで60ほどの科と、
そこに
属する3,000種近い種が存在
成虫
コンパクトな胴体、
よく発達した
前翅、
後翅が
変化した
平均棍を持つ
飛翔能力は昆虫類の中でも
非常に高い
空間に完全に固定されたかのような
ホバリングや、
高速での
急激な方向転換
複雑で敏捷な飛翔をこなす
「短角亜目」で触角は通常短い
羽化
蛹(さなぎ)の
背中が
縦に割れずに
環状に開く
蛹(さなぎ)の
縫い目が環状
で
「環縫短角群 」、
「環縫群」
「環縫類」とも呼ばれる
アブは通常
ハエとは別の
直縫短角群を指す呼称だが、
「アブ」と名のつくもののうち
ハナアブ科や
アタマアブ科などは
ハエの仲間であり、
逆に
「ハエ」と名のつくもののうち、
アシナガバエ科や
オドリバエ科などは
アブの仲間である
・・・則天武后は「阿武(アブ・虻)」と呼ばれ・・・そして、「ねずみ(鼠・子)」とも呼ばれた・・・
ーー↓魚の鮠(はえ)
ハヤ(鮠・鯈・芳養)
日本産の
コイ科淡水魚
中型で
細長い体型をもつものの総称
「ハエ、ハヨ」とも呼ばれる
釣り用語や各地での
「方言呼称」に用いられ、
標準和名に
「ハヤ」が組みこまれた種もある
呼称は動きが
「速い」ことに由来するという説がある
・・・「葉諭・葉喩・葉矢・葉夜」だろう・・・
主な魚
アブラハヤ
ウグイ
オイカワ
カワムツ
タカハヤ
ヌマムツ
コンゴウハヤ
(金剛ハヤ)
・・・以上の「サカナ」の名前を漢字転換してみる・・・
漢字分解は
鮠=魚+危
鯈=イ+|+ノ一(かみさし)+魚
・・・である・・・
ーー↓古語の「はや」
はや
…だった、よッ・…なかったョなぁ~
文末に用いて、
強い
詠嘆の意を表す
源氏物語
須磨
漁(いさ)りせむとは思はざりし「はや」
漁をすることになろうとは思いも
「しなかったョなぁ~」
・・・で、あるらしい・・・
ーーー↓はえいろね
日本書紀
倭 迹迹 日 百 襲 媛 命
やまと とと ひ ももそ ひめのみこと
生没年不詳
(紀元前92年以前~紀元前88年以降)
孝霊天皇(紀元前342年~紀元前215年)の
皇女
母は、倭 国 香 媛
やまとのくに か ひめ
同母兄弟は、
倭迹迹稚屋姫命
彦五十狭芹彦命
異母兄弟は
孝元天皇
ーー↓はえいろね
古事記
蠅 伊 呂 泥
はえ い ろ ね、
夜麻登 登 母 母 曾 毘売 命
やまと と も も そ ひめのみこと
母は、意富 夜麻登 玖邇 阿禮 比賣 命
おお やまと くに あれ ひめのみこと
同母兄弟は
日子刺肩別命
比古伊佐勢理毘古命
倭飛羽矢若屋比売
ーー↓
紀元前92年に
崇神天皇に頼まれて、
災害がつづく理由を占うと、
三輪山の大物主神が神懸かりし
我を祀れば国は治まるといった。
崇神は、
神の娘
大田田根子を
大神神社の神主にすると、
平和になった
ーー↓
紀元前88年
四道将軍の一人、
大彦命がきいた
童歌から
武埴安彦命の反乱を予言
彼の妻
吾田媛と
二手に分かれて攻めてくるとも
予言
・・・「童歌」は明治~今現在ならば「童謡」である・・・「童謡・尋常小学校唱歌」には明治時代の「謎の解答」が込められている、と言うワケです・・・
ーー↓「記紀」の使用漢字の相違
倭 迹 迹 日 百 襲 媛 命(書記)
夜麻 登 登 母母 曾 毘売 命(古事記)
ーー母
倭 国 香 媛(書記)
意富 夜麻 登 玖邇 阿禮 比賣 命(古事記)
ーー↓
ワイ、マタ、マタ、ニチ(似知・被)・・・「百を襲う媛の命」とは「百済(徐=扶余=扶餘)を襲った媛(女+爰)の命令」だろう・・・唐時代なら「則天武后」、清朝時代なら「西太后」ダロウ・・・「襲」は「龍+衣」で、「劉のイ」、「劉のコロも」である・・・「劉仁軌・劉仁願・劉仁高」である・・・
ーー↓
「後漢(劉氏)」の時代ならば
光武帝の事情か・・・
中元二年・57年・丙辰年
「漢委奴国王」
ーー↓
安帝
後漢第六代皇帝
第三代皇
帝章帝の孫
父は
清河孝王劉慶
母は
左姫、
前皇帝
「和帝」の
「皇后の氏」である・・・?
ーー↓
永初(107年)元年
二月
清河国が分割
九月に
氏の母の
陰氏に
新野君が与えられた
西域都護が廃止
秋九月
太尉の
徐防、
司空の尹勤が免職
張禹と周章が後任
十月
倭国からの使者来訪
十一月
周章が帝位の廃立を目論んだとして誅殺
ーー
168年(建寧元年)
霊帝(後漢第十二代皇帝)
諡号は
孝霊皇帝
本名は
劉宏
解瀆亭侯、劉萇=建の子
解瀆亭侯、劉淑の孫
河間王、劉開の曾孫
章帝の玄孫
ーー
霊帝は皇后の
宋氏を廃し、
何氏を皇后に立て、
その兄の
何進を大将軍
何進は宦官に不満を持つ
袁紹に支持され、
十常侍との対立
何皇后も
霊帝の実母である
董太后と対立
ーー
漢の霊帝の
光和中(178~184年)
倭国は大乱
卑弥呼を共立し王
(梁書)
ーー
中平一年(184年)
太平道の教祖
張角が起こした農民反乱
中平四年(188年)
西園八校尉という制度を新設
宦官の蹇碩により
何進や袁紹、曹操を統率
劉焉の勧めにより
州牧制を復活させた
ーー
中平五年(189年)
霊帝崩御
実子の
劉弁と
劉協との間で
皇位継承争いが起こった
ーー
238年(延熙元年・戊午年)
卑弥呼の時代
魏の曹操へ使者
ーー↓
・・・「曽=曾」は「ソウ・ゾ」で「かつて・すなわち・以前に」で「世代が重なること」で「曽孫(そうそん)・ 曽祖父(そうそふ)・曽祖母(そうそぼ)」の熟語がある。
1)本人→2)子→3)孫→4)孫の子→
ーー↓
夜麻 登 登 母母 曾 毘売 命
「ママのママが重なった」・・・臍を売る命令・・・
「毘(へそ・たすける・ビ)=田+比」→「他意・伝比」
「臍(へそ・ほぞ・セイ・ザイ)
↓ navel・belly button
肉(にく・ジク)+齋(ものいみ・いつく・サイ・セ)
肉+亠+丫+刀+斤(氏)+冂+一?
(|+|+二)
ーーーーー↓
枕草子
(七五段)・・・七拾五段・七十五段・漆足伍段
7+5=12=十二=壱拾弐=足弐
7×5=35=三十五=参拾五=参足伍
また、
冬の
いみじう
寒きに、
埋もれ
臥して
聞くに、
鐘の
音の、
ただ
物の
底
なる
やうに
聞ゆる、
いとをかし。
鶏の
声も、
はじめは
羽の
うちに
鳴くが、
口を
籠めながら
聞けば、
いみじう
もの
深く
遠きが、
明くる
ままに
近く
聞ゆる
も、
をかし。
ーーーーー
・・・